ロラン・バルトが描いてみせた「作者の死」の光景には、作者の死体と並んで、批評家の死体が転がっている。 ひとたび「作者」が遠ざけられると、テクストを<解読する>という意図は、まったく無用になる。あるテクストにある「作者」をあてがうことは、そのテクストに歯止めをかけることであり、ある記号内容を与えることであり、エクリチュールを閉ざすことである。このような考え方は、批評にとって実に好都合である。そこで、批評は、作品の背後に「作者」(または、それと三位一体のもの、つまり社会、歴史、心理、自由)を発見することを重要な任務としたがる。「作者」が見出されれば、テクストは<説明>され、批評家は勝ったことになるのだ。したがって、「作者」の支配する時代が、歴史的に、「批評」の支配する時代でもあったことは少しも驚くにあたらないが、しかしまた批評が(たとえ新しい批評であっても)、今日、「作者」とともにゆさぶられて