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『表徴の帝国』の誤訳――ロラン・バルト雑感その2 - 翻訳論その他
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『表徴の帝国』の誤訳――ロラン・バルト雑感その2 - 翻訳論その他
バルトの著作の翻訳については、とりわけ日本に紹介され始めた頃の翻訳のひどさがよく指摘される。前出... バルトの著作の翻訳については、とりわけ日本に紹介され始めた頃の翻訳のひどさがよく指摘される。前出のユリイカ2003年12月増刊号では、やはり松浦寿輝が宗左近訳『表徴の帝国』その他いくつかの書名を挙げ、「ああいう欠陥商品を平然と刊行して本屋に並べているのは出版社の恥だ」と容赦ない。でも、こうまで言われると、逆に読んでみたくなる。いったいどれだけひどいのか。 同じ誌面で、丹生谷貴志が宗左近訳の一部を取り上げ、原文と対照させた上で批判している。ちょうどいいので見てみよう。批判されているのは、「かなた」という見出しを持った、『表徴の帝国』冒頭の断章に含まれる箇所である。該当部分の原文は下の通り。 Je ne regarde pas amoureusement vers une essence orientale, l’Orient m’est indifférent, il me fournit