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ブックマーク / magazine-k.jp (114)

  • 本の激変期のなかでどう生きるか

    第1信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 この夏に下北沢の屋B&Bで行われたDJイベントで久しぶりにお会いしたあとで、なんどかご相談させていただいていた「マガジン航」での往復書簡の企画を始めることにしました。 藤谷さんに最初にお目にかかったのは、2014年まで下北沢にあったフィクショネスという屋でのことでした(『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』の文庫解説にもこのときの思い出を書きました)。藤谷さんがまだ「小説家」になる前、もしかしたらまだ20世紀だった頃の出来事かもしれません。 「まだ20世紀だった頃」などというと、自分たちがとんでもなく年寄りになった気もしますが、実際そうなのかもしれません。というのも、その後に出版の世界は大きく様変わりしたからです。いや、出版の世界どころか世界そのものが大きく変わったように思います。 僕らはたまたま同学年で、おそらく似たような読書経験をして育ってき

    本の激変期のなかでどう生きるか
  • 出版流通はなんでもありの変革期を迎えた

    「頭脳」がない。あるのは「身体」だけである。日の出版業界のことだ。 出版界が「業界」、すなわち、経営的に回っている状態にあるか、と言われれば、それは「否」と答えざるを得ないだろう。1996年以来の売上高の減少に対し、無為無策のままで進行していることがその証左である。曰く「出版は文化的事業であり、他の業界とは違う」。ええ、他の業界の人も「自分の業界は他と違う」と思っていますよ。 もはや業界として一般から「支持されていない」 取次の収支は公表されており、日販もトーハンも営業損益レベルでは実質的には赤字である。書店もまた多くは「苦しい、苦しい」の連呼である。では、業界三者の最後、出版社がもうかっているかといえば、経済産業省の特定サービス産業実態調査に従えば、近年はやはりこちらも赤字である。もちろん、個々の企業の凹凸はあるが、総体として主業だけでは「赤字」なのである。つまり、業界として一般から「

    出版流通はなんでもありの変革期を迎えた
  • 読書専用端末の時代は終わったのか

    先月の終わりに、電子出版ビジネスの草分け的存在であるイーストの下川和男さんから、古くなったり壊れたりして使えなくなった電子書籍端末を肴に語り合う会、名付けて「昔の読書端末放出放談会」にお誘いいただいた。 ちょうど「マガジン航」で西牟田靖さんが、亡くなられたノンフィクション作家の蔵書の形見分けについての記事を書いてくれた直後だったこともあり、「紙の」と「電子の(こちらは端末のみで中身は読めないのだが)」それぞれの最後の身の処し方について考える機会になると思い、参加した。 この会に持ち込まれた端末は、どれも基的に動かないジャンク品である。アマゾンのKindle DX(初期の大画面タイプ)やバーンズ・アンド・ノーブルのNook(やはり初期型)、ソニーのReader(北米版のやはり初期型)といった比較的有名なものから、オランダのiRex Technologies(バーンズ・アンド・ノーブルに

    読書専用端末の時代は終わったのか
  • ジャーナリスト・惠谷治さんの死と蔵書大頒布会

    引っ越したアパートの床が蔵書で埋まってしまった——というシーンから始まるエッセイ『で床は抜けるのか』をサイトに掲載したのが2012年。それ以来、蔵書をめぐるルポを書き続け、2015年には同名で書籍化、2018年には文庫化された。この連載や書籍の印象から、僕のことを“蔵書問題ライター”だと思っている方は多いかもしれない。 しかし、それは僕の一面でしかない。かつて「日」だった国や地域、日の国境の島々を回る、旅系・辺境系のライターとして僕のことを認識している読者もいるだろうし、僕自身、どちらかというと、そのように自負している。 今回の記事は、その双方の要素が入り交じっている。旅系・辺境系ライターとしての僕が最も憧れるジャーナリストの死とその蔵書の行方について記してみたい。 惠谷治さんはロシア革命を成し遂げたレーニンさながらの強面な風貌と、細かな分析による北朝鮮論評、アフリカやアフガニスタ

    ジャーナリスト・惠谷治さんの死と蔵書大頒布会
    ivory_rene
    ivory_rene 2018/09/04
    圧倒的なもの
  • 出版業界は沈みゆく泥舟なのか

    まるで沈みゆく泥舟のようではないか、と思う。日の出版業界のことだ。 このコラムは毎月、基的に月初に公開することにしている。毎月更新される小田光雄氏の「出版状況クロニクル」や、ジュンク堂書店の福嶋聡氏の「屋とコンピュータ」といったコラムを意識しつつ書いているのだが、これまではできるだけポジティブな話題を見つけるようにしてきた。でも今月はどうしても筆が進まず、公開が週をまたいでしまった。いまだに何を書いてよいやら、という諦めのような境地にさえなっている。 「文字もの」電子書籍は未だに紙の4% そうした思いを抱いた理由の一つは、先月に相次いで公開された出版市場統計である。 まず、インプレス総合研究所から2017年の日電子書籍と電子雑誌の市場規模が発表された。同研究所の調査によると、昨年の電子書籍市場規模は前年比13.4%増の2241億円、電子雑誌市場規模は前年比4.3%増の315億円。

    出版業界は沈みゆく泥舟なのか
  • クリエイター自身がpublishしはじめた時代 « マガジン航[kɔː]

    いまではもうあまり使われなくなった「電子出版」という言葉がある。昨今では「電子書籍」という言葉のほうが目にする機会が多いが、後者が〈名詞〉であるのに対して前者は〈動詞〉であり、「電子的な手段で出版(publish)する」という行為を意味していた。1990年代の前半、ウェブがまだ一般化する以前の時代のことだ。 電子的な手段で何かを「出版」しようと思ったときに、当時いちばん手っ取り早かったのは、CD-ROMやフロッピーを用いることだった。たとえば1994年には、フロッピーディスクに収められた電子作品を展示するインディペンデントの展覧会「フロッケ展」が始まり、2000年まで継続して開催された。アートの文脈からみれば「展覧会」だが、「複製物の販売」という観点から見れば、十分に出版と言えるものだった。 この「フロッケ展」が開催されていたギャラリーを運営していたのが、デジタローグという会社だ。雑誌「N

  • ロジスティックス革命と1940年体制の終わり

    「マガジン航」のエディターズ・ノートは毎月1日に公開することにしているのだが、今月はどうしても考えがまとまらないまま最初の週末を越えてしまった。理由はほかでもない、出版物流の限界がはっきりと露呈してきたからであり、それを前提とした出版産業の未来をポジティブに考えることが難しいと思えたからである。 取次自身が認めたシステム崩壊 出版関係者の多くが読んでいると思われる二つのネット連載が、この問題に触れている。まず小田光雄氏の「出版状況クロニクル」は6月1日の記事(第121回)で「新文化」(4月26日付)や「文化通信」(5月21日付)などが伝えた大手取次のトーハン、日販の経営者の生々しい発言を紹介している。 「出版業界は未曽有の事態が起こりつつある」(トーハン・藤井武彦社長) 「取次業は崩壊の危機にある」(日販・平林彰社長) こうした大仰な発言の背景にあるのは、取次という出版流通ビジネスの屋台骨

    ロジスティックス革命と1940年体制の終わり
  • 私が柳美里さんの本屋「フルハウス」を手伝うことになった理由

    東日大震災から7年、私自身が横浜から福島県に移住してから4年が経つ。偶然と縁がこれだけ重なると、必然だったのかもしれないとも思う。 いま私は、芥川賞作家の柳美里さんが、福島県南相馬市小高区の自宅をリノベーションして、2018年4月9日に開店した屋「フルハウス」の、主にイベント運営のお手伝いをしている。 [フルハウスの店内風景] 最初のきっかけは、私が2016年に受講していた、福島県の起業家育成支援「ふくしま復興塾」の代表をしている加藤博敏さんの塾生に対しての呼び掛けだった。曰く、「芥川賞作家の柳美里が南相馬市に屋と劇場をつくろうとしている。著名な人が多く関わる一大プロジェクトになる。クリスマスイブにキックオフイベントが開催されるので手伝いを募集する。関わって絶対損はない」。 柳美里さんのことは、もちろん知っていた。そして私自身、中学生の頃小説家になりたかったとか、中学・高校は演劇部だ

    私が柳美里さんの本屋「フルハウス」を手伝うことになった理由
    ivory_rene
    ivory_rene 2018/05/29
    山根さーん
  • 出版業界はブロッキング問題で岐路に立っている

    先月にまきおこった海賊版マンガ・アニメサイトに対する緊急ブロッキングをめぐる議論の推移をみていて、不思議に思ったことがある。展開があまりにも急だったこともあるが、決定までの経緯がクローズドなままなので憶測するしかないことも多く、余計に不明瞭な印象を強くした。なんのことかと言えば、出版業界の対応である。 これまでの経緯 経緯を簡単にふりかえろう。政府の知的財産戦略部・犯罪対策閣僚会議(部長・安倍晋三首相)がインターネット接続業者(ISP)に対して、「漫画村」「Anitube」「Miomio」の3サイト及びこれらと同一とみられる海賊版サイトへのサイトブロッキング(接続遮断)を「促す」緊急対策を決定したのが4月13日のこと。政府は自主的な対応を「促す」だけで「要請」ではなく、あくまでも法整備までの緊急措置だとしたが、これが波紋を呼んだ。 なぜなら通信事業者によるサイトブロッキングには明確な法

    出版業界はブロッキング問題で岐路に立っている
  • 第7回 「紙vs電子」はWin, Lose or Draw

    イメージ通りではなかった電子コミック時代 第1回の「出揃った電子コミックのプレイヤーたち」から連載をスタートしてまもなく一年が経つ。第1回では、コンテンツホルダーでもある出版社が格的に電子コミックに舵を切ったことでいよいよ格的な電子コミック時代が来る、ということを書いた。 たしかに電子コミック市場は右肩上がりを続けている。逆に紙の出版物は部数、金額ともに縮小に歯止めがかかっていない。予想通りといえばその通りなのだが、現状は思い描いていた電子コミック時代とは少し違っている。 肝心の「電子コミック」の未来像がよく見えてこないのだ。原因は三つある。 一つ目は、配信の中心になっているのが無料コミックアプリだということだ。無料コミックアプリはコミックを売るのではなく、コミックでお客を集めて、コミック以外の広告やスタンプを売るビジネスと考えたほうがいい。コミックはおまけみたいなものだ。配信元は内容

    第7回 「紙vs電子」はWin, Lose or Draw
  • インディー文芸誌は文芸復興の担い手となるか

    あけましておめでとうございます。「マガジン航」は2009年10月の創刊以来、9度目の新年を迎えることができました。これも寄稿者および読者のみなさん、スポンサー各位のご支援のおかげです。年もどうぞよろしくお願いします。 純文学を支える裾野の広がりと分散化 さて、新年はじめの話題は文芸出版である。ことに「純文学」と呼ばれる芸術性の高い文芸の世界について、その最初の掲載媒体となる雑誌の面から考えてみたい。きっかけは、以前「マガジン航」でも紹介したことのある書肆侃侃房が発行する文芸ムック「たべるのがおそい」(vol.4)に掲載された宮内悠介の短編「ディレイ・エフェクト」が、第158回芥川龍之介賞の候補作となったことである。以前にも同誌創刊号に掲載された今村夏子「あひる」が第155回芥川賞の候補となっている。 「純文学」というジャンルは作品の内容から定義されるというよりも、掲載媒体から逆算して類推

    インディー文芸誌は文芸復興の担い手となるか
  • 第3回 これからの図書館、公共施設づくりと地域デザイン

    地域デザインを取り巻く環境 第1回目の連載「図書館におけるデザインとは何か?」でも書いたとおり、際限なく広がっていくようにみえるデザインの領域は、産業化の流れによって定義づけされた、デザインする対象の違いによる区分であった。これから書く「地域デザイン」は、それらの産業構造による区分とは少し違う。「地域デザイン」という言葉は近年、耳にすることが多くなったが、その言葉自体はかなり古くからあった。 CiNiiで「地域デザイン」「出版年:古い順」で検索すると、『地域デザイン論』(山岸政雄)という1987年の論文が出てくる。この論文(オープンアクセス)を読んでみると、都市景観やまちなみとしての造形という観点から「地域デザイン」という言葉が使われている。この時点での「地域デザイン」はあくまでも地域における「都市デザイン」「建築デザイン」に限定したものを対象としており、それは我々がいま地域デザインという

    第3回 これからの図書館、公共施設づくりと地域デザイン
  • 第2回 図書館のプロダクト・デザインの変革はブックトラックから始まる

    プロダクト・デザインとインダストリアル・デザイン まずは図書館のプロダクト・デザインから始めたいと思う。その言葉自体は意識されていないとしても、図書館におけるデザインでもっとも身近に感じられるのがプロダクト・デザインではないだろうか。それは図書館用品として、図書館に関わる皆さんが日常的に触れているデザインだ。この「触れている」という側面が、プロダクト・デザインの特性を強く特徴づけるものになっているのだが、それについては後述する。 図書館のプロダクト・デザイン、図書館用品のデザインについて書くまえに、デザインを考えるための基礎知識として「プロダクト・デザイン」と「インダストリアル・デザイン」という言葉について、その違いを含めて説明したい。 『最新 現代デザイン事典』(平凡社、2017年)の中で、それぞれの言葉の来歴を以下のように書いている。 「インダストリアル・デザイン(ID)は、第二次世界

    第2回 図書館のプロダクト・デザインの変革はブックトラックから始まる
  • 第1回 図書館におけるデザインとは何か?

    皆さんは「デザイン」という言葉を聞いたときに、何を思い浮かべるだろうか。 スマートフォンに代表されるようなデジタルガジェット、家電、文房具などのプロダクト・デザイン。ロゴ、広告、CI・VIなどのグラフィックデザイン。洋服、アクセサリーなどのファッションデザイン。建築、インテリア、ランドスケープなどの環境デザイン。ウェブ、アプリ、インフォグラフィックス(情報、データ、知識を感覚的に表現したもの)などの情報デザイン。コンピューターゲーム、ソーシャルゲームなどのゲームデザイン。 ほかにも、サービスデザインや地域デザイン、ソーシャルデザイン、データデザインといった近年、耳にするようになった新しいデザイン分野もあり、(数年後には消えていく分野、消えていく名称もあると思われるが)デザインが対象とする領域は際限なく広がっていくようにみえる。 これらのデザイン分野は、モノであれ、コトであれ、産業化によって

    第1回 図書館におけるデザインとは何か?
  • ITは純文学を「再設計」できるか

    文芸誌「新潮」の10月号から連載が始まった上田岳弘の『キュー』という長編小説を、スマートフォンのブラウザでも無料で読めるようにした実験的なプロジェクトが進行中だ。「新潮」とYahoo! JAPAN、そしてデザイン会社のtakramが共同で行うもので、特設サイト上では「純文学の体験を再設計する」と謳われている。 「再設計」とはどのようなことか。シンギュラリティー(人工知能が人間の知能を上まわる技術的特異点)以後の世界を描こうとする『キュー』という作品自体が、きわめて野心的な試みである。それをどのような読書体験として提供しようとしているのか、紙の雑誌とウェブ版を読み比べてみた。 「縦書き・縦スクロール」は再設計といえるか? 「スマホならではの読書体験のスタンダード」と高らかに謳われているのは、「縦書き・縦スクロール」というユーザーインターフェイスだ。アプリやブラウザ上で動く従来の電子書籍のなか

    ITは純文学を「再設計」できるか
  • 福岡の出版社、書肆侃侃房の挑戦

    いわゆる“”と呼ばれるジャンルが、近年では確立している。これは、書店経営者や書店員などの「屋」に携わる人々の書く出版物として、大型書店などでは棚1にまとめきれないほど数が増えている。直近の刊行物で言えば、大井実『ローカルブックストアである:福岡ブックスキューブリック』、辻山良雄『屋、はじめました』、田口幹人『まちの屋』などである。 列挙した上記三つの作品を通読してみると、共通するキーワードがあることがわかる。それは、“コミュニティ”としての屋であり、「」を手に取ってもらうための仕掛けだ。どのにもそのエピソードや考えが数多く述べられている(ぜひ屋で手に取ってほしい)。この三氏は、それぞれの地域において、読書屋・出版にまつわる地域イベントとの関係性が近く、かつ深い。 屋Titleの辻山さんはブックマークナゴヤ(愛知県名古屋市など)、さわや書店の田口さんはモリブロ(岩

    福岡の出版社、書肆侃侃房の挑戦
  • 「まちおこし小説」が投げかける文筆の公共性

    町に向き合って書くこと 特定の土地にこだわって書く作家がいる。 函館の物語を書き続けた佐藤泰志、紀州熊野を舞台にした「紀州サーガ」で知られる中上健次、最近だと大阪を書き続ける西加奈子がいる。多くの場合、作家と結びついた土地は故郷か居住地である。 その一方で村上龍のように横浜に住んでいながら、横浜らしさをまったく感じさせない作家もいる。過去においてはデビュー当時住んでいた福生の物語『限りなく透明なブルー』や、故郷・佐世保での高校時代を追想した『69』のように土地と結びついた作品をいくつか執筆している。しかし現在彼が住んでいる横浜を舞台として選んだ作品は寡聞にして知らない。たぶん村上にとって、横浜の郊外に向き合う必然性は希薄なのだろう。 では必然性がないにもかかわらず特定の土地を舞台にして書かなければならない場合、作家はどのような思考を経て作品をつくっていくのだろうか。 なぜこんな疑問を持った

  • 本屋とローカリティと切実さと

    出版科学研究所の調査による「2016年出版物発行・販売概況」が『出版月報』1月号に掲載され、書籍市場・雑誌市場・電子出版市場(電子書籍、電子雑誌、電子コミックの三分野)の現況が明らかになった。 同調査によれば、2016年の書籍と雑誌(コミックスを含む)を併せた紙の出版物の販売金額は1兆4,709億円。うち書籍が7,370億円、雑誌が7,339億円とほぼ同程度ではあるが、僅差とはいえ書籍が雑誌を上回った。これは同調査では1975年以来、41年ぶりの出来事だという。 他方、電子出版市場は1,909億円まで成長し、紙と電子を併せた出版物販売金額は1兆6,618億円と前年比99.4%の微減となった。ことに成長著しい電子コミック(1,460億円、前年比27%増)、電子雑誌(191億円、前年比53%増)が牽引役となったかたちだ。しかし、マンガを除いた文字物の電子書籍は前年比13%増の258億円にとどま

    本屋とローカリティと切実さと
  • 「読む」「書く」「編む」の未来

    新年あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は今年で創刊から8年目を迎えます。の未来を模索するささやかなメディアをここまで長く続けられたのも、寄稿者および読者の皆様のおかげです。あらためてこの場を借りて御礼申し上げます。 * * * この年末年始に読んだで印象深かったのは、町会や『屋図鑑』などの仕事で知られる空犬太郎さんが、東京創元社の編集者として長く活躍された戸川安宣さんの個人史をオーラル・ヒストリーとして聞き取りまとめた『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会刊)でした。1947年生まれの戸川さんが幼少時からの読書史を語った「読む」の章、1970年に東京創元社に入社して以後の編集者人生が語られる「編む」の章、そして吉祥寺にあったミステリ専門書店「TRICK + TRAP(トリック・トラップ)」に関わった日々を綴った「売る」の章、それぞれ読み応えがあり、思わず

    「読む」「書く」「編む」の未来
    ivory_rene
    ivory_rene 2017/01/06
    “場をつくり、人を集め、そこから知恵を出し、世の中を変える。「マガジン航」は今年も、そのための小さな船=メディアでありつづけます。”
  • ウィキペディアを通じてわがまちを知る

    ぼくがウィキペディアタウンを知ったのは2012年のことだったと思う。イギリスのモンマス(Monmouth)が世界初のウィキペディアタウンに認定されたというニュースがフェイスブックのタイムラインに流れてきたところ、偶然目にとまったのだった。 参考:Welcome to the world’s first Wikipedia Town(Wikimedia Blog) モンマスはイギリスのウェールズ南東に位置する人口9千人弱の小さな田舎町で、11世紀初頭にノルマン人の軍事拠点として発祥。モンマス城をはじめ千年近くの歴史を持つ遺産が多く残されているらしい。そんなモンマスで、ある活動が立ち上がった。文化機関のスタッフや市民によるボランティアグループが名所旧跡や博物館の所蔵品など街の観光資源になりそうなあれこれについての記事や写真を次々にウィキペディアにアップロード、そして、ウィキペディアの記事へのリ