彼らが原発を攻撃した時、私は声をあげなかった 私は原発賛成ではなかったから 彼らが政権を攻撃した時、私は声をあげなかった 私は政権支持者ではなかったから 沖縄で警官が攻撃された時(以下略) そして、彼らが私を攻撃した時 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
終わらない水俣病 胎児性患者は今 不知火(しらぬい)海を望む高台にある水俣病患者の療養施設「明水園」(熊本県水俣市)。小崎達純(たつずみ)さん(57)は約6年前から利用を始め、月の半分以上をここで暮らす。 「急に倒れたば…ば…場合のことば、か…考えたら、明水園にお…おった時のほうが、あ…あ…安心は安心。み…耳が遠かもんばっかりで」。水俣病に典型的な言葉のもつれ。熊本地震後は揺れを警戒し、園に滞在する日数を増やした。 水俣市の北隣、熊本県芦北町の漁村に生まれた。産湯を使った日、漁を仕切る網元の祖父が家族に熊本大学付属病院へ連れて行かれ、そのまま入院した。劇症型の水俣病で目が見えず、口もきけなくなり、2カ月後に死亡。母キヨ子さん(77)ら20人を超す親族が患者と認定されている。 達純さんは生まれる前から水俣病だった。魚介類を汚染したメチル水銀に、母の胎内でさらされた胎児性患者だ。「あの頃、魚を
眼球や鼻がトランジスタなどの電気回路と共生し、乳母車には大きな脳が鎮座するなど、ちょっと恐ろしくも好奇心をそそる光景の数々。1960年代からパリに渡り、挑発的な表現を繰り広げた前衛アーティスト・工藤哲巳の作品世界は、テクノロジーと人間の暮らし、さらに人と自然との関わりについての示唆に満ちています。それはときにグロテスクな迫力を帯びながら、必ずしも人間・文明批判だけに収まるのではなく、むしろ「逆説的なパラダイス」の風景でもある? 活動の大半をヨーロッパで過ごしたこともあり、いまだ「知られざる巨匠」感もある彼の全貌を紹介する『あなたの肖像―工藤哲巳回顧展』が今、東京国立近代美術館で開かれています。同館研究員の桝田倫広さんを案内役に、今だからこそ見ておきたい「工藤哲巳ワールド」の扉をくぐってみましょう。 (メイン画像:工藤哲巳『人間とトランジスタとの共生』1980-81年 国立国際美術館蔵 撮影
米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設が進む米軍北部訓練場の通称「N1裏」の市民テント前に沖縄防衛局が8月上旬にレンタカー2台を駐車し、2カ月半以上、手つかずで放置されたままとなっている。防衛局は取材に「工事用道路としての使用が可能となった後に速やかに道路として使用できるよう駐車した」と説明し、工事用道路確保の観点から駐車していると明らかにした。21日までの2台のレンタカー代は約79万円となっているという。 工事を監視している市民によると、レンタカーは当初、テントへの入り口をふさぐ格好で縦列に2台駐車していた。テントへの通路を確保するため市民らは1台をずらして移動した。駐車以降、エンジンをかけるなど防衛局職員による車両への接触や移動などはないという。 防衛局によると、局がレンタカーを設置したのは8月2、3日。2台とも黒の「わ」ナンバーのレンタカーで、車内をうかがうと何も搭載されていな
米大統領選で、赤いセーターの男性が脚光を浴びている。討論会で民主党のクリントン氏と共和党のトランプ氏が中傷合戦を行う中、真剣に政策を質問する姿が称賛された。赤いセーターが品切れになるほどの人気ぶりだが、それだけ政策論争が乏しいことの裏返しでもあるようだ。 男性はイリノイ州の石炭火力発電所で働くケン・ボーンさん(34)。9日にミズーリ州セントルイスであった第2回テレビ討論会で、有権者を代表してエネルギー政策を質問した。真剣なまなざしや穏やかな物腰に、米メディアは「ボーン氏こそが討論会の真の勝者」と報じた。 ボーンさんのツイッターのフォロワー数は討論会前は7人で、うち2人は祖母だったが、21日現在、25万人以上に急上昇。討論会で着ていた赤いセーターが、ネット通販のアマゾンで瞬く間に売り切れになった。 セーターの製造元は「ケンのク…
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