最初にお断りしておきたいのですが、AV新法に反対するデモにも、それに対してのカウンターデモにも、私は賛同していません。 売買春やAVをなくしたいとも思っていないし、セックスワーク論も支持していません。 また、私は高校生の時に違法のマッサージ店でレイプされ、その1ヶ月後そのオーナーが経営する今考えればこちらも違法の、未成年者を雇っている風俗店で働き始め、その後10年間セックスワークに従事していました。自分でも何故か分からなくて私は風俗店でしか働けない人間だと信じていました。仕事自体すごくしんどくて、いつもお客さんがつきませんようにと祈りながら仕事をしていました。いったい何だったのか、お金がなかったわけでも、居場所がなかったわけでもありませんでした。 その間、グラビアの仕事を始めて、内容は「着エロ」と呼ばれるグラビアの中でも過激なもので、バストトップが露出されたものを勝手に発売されるという被害
中北浩爾『日本共産党 「革命」を夢見た100年』(中公新書)を読了。細かい評価は別にして「本としてどういう印象を持ったか」をざっくり書いておきたい。 日本共産党-「革命」を夢見た100年 (中公新書 2695) 作者:中北 浩爾 中央公論新社 Amazon 組織構造や政策などを論評するという「ヨコの軸」での本ではなく、100年の歴史を振り返ることで「日本共産党」という政党を論じる「タテの軸」での本である。 日本共産党は世界的にみて資本主義国では共産党という名前の政党が極端に小さくなったり消滅する中で「かなりの踏ん張りをみせている」(p.24)という評価をしている。 そのような「かなりの踏ん張り」はなにゆえ生じているかをみたときに、一言で言えばソ連や中国の影響を脱して、「宮本路線」、つまり1961年に現在の原型となる綱領を確定し、指導者であった宮本顕治が率いてきた自主独立の路線によるものだと
このことは、現代の男性性一般を考えるにあたって鍵になるのではないか。私はそう考えて、男性性論『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)をこの度上梓した。 バネット゠ワイザーが述べた通り、私たちは男であれ女であれそれ以外であれ、新自由主義的な資本主義という大状況を共有し、それによってさまざまな苦しみを受けたり、場合によっては解放を得たりしている。だがもちろん、同じ状況を共有しているからといって、男性と女性が同じ経験をしているわけではない。男性がマジョリティであることは確かなこの世界で、経験のあり方にはやはり非対称性があるのだ。 本稿で述べた通り、一部の男性はそのような非対称性を見るのではなく、この世界を男女平等がすでに達成された社会として了解し、反応するのだが、それは苦しみの真の原因(例えば新自由主義的資本主義)を別のもの(ポストフェミニズム的女性という藁人形)へと転嫁するルサンチマン的な反応にな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く