週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20080602/1212379147泥のように働けという一連の騒ぎの後、老害というのにフォーカスがあたってる気がしてて、ひがさんが何で老害というのがあるのかについて書いてて読んだので、ちょっと書いてみようかと。ビッグバン宇宙論という本の中で、科学の世界における老害というのに触れられてるので、ぜひ読んでみてほしいのだけど、「自分の考えを変えることができないご老人たちのおかげで云々」というまさに最近騒がれている老害そのものな話が書かれている。ビジネスの世界では、ほとんどの老害は定年というイベントを迎えればいなくなるので、せいぜい10年もすれば変わるだろうと期待が持てるけど、科学者の世界では80でも90でも居座り続けるので、まー大変!最近では、冥王星が惑星からはずされることになって、アメリカの天文学会が「そんなんしらねーよ!俺たち
誕生日を祝うのを、そろそろ止めてみてはどうだろうか。こう考えている人は、わりあいにたくさんいるのではないかとおもっている。どうしても誕生日を祝いたいのであれば、恋人や家族などのごく近しい間柄でのみおこなう。それより外側には、バースデーを持ちださない。わたしは「おたんじょう会」を粉砕するべく立ち上がった。誕生日を祝うというしきたりの見直しをつよく提案したいのである。 まずもって、誕生日を祝うという行為にはどういう意味あいがあるのか。世間的にはめでたいこととされているが、ここがよくわからない。誰にだって誕生日くらいある。生まれたからには、365日いずれかの日に誕生しているわけだ。「Aさんが六月五日に生まれた」。ここに、どういった特別な意味あいを見いだせばいいのか。三月生まれもいれば十二月生まれだっている。みんな生まれているのだ。あえてそこを掘り下げなくてもいいのではないか。どうにかむりに話題を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く