第7部 14代仲哀天皇① 〈帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、穴門(あなと)の豊浦宮(とよらのみや)と筑紫の訶志比宮(かしひのみや)に坐(いま)して、天の下治(し)らしめしき〉 古事記は、倭建命(やまとたけるのみこと)の御子が14代仲哀(ちゅうあい)天皇として即位したことを書く。ヤマトタケルの異母弟で、仲哀天皇にとっては叔父である13代成務天皇が崩御し、皇統を継ぐことになったのだ。 もともと、12代景行(けいこう)天皇には3人の太子(ひつぎみこ、皇太子)がいた。ヤマトタケルと成務天皇になる若帯日子命(わかたらしひこのみこと)、そしてその同母弟、五百木之入日子命(いぼきのいりひこのみこと)である。この3人が娶(めと)った妻の中で最も高貴な血筋は、ヤマトタケルの妃になった布多遅能伊理毗売命(ふたぢのいりびめのみこと)だった。11代垂仁(すいにん)天皇の女(むすめ)で、ヤマトタケル