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「上昇負荷」という設定が絶妙だなあ、と思ったわけです。 「メイドインアビス」は、つくしあきひと先生の手による奈落探堀漫画です。一見すると絵本のようなかわいらしい絵柄と、実際読んでみると結構エグい描写が盛りだくさん、というギャップが特徴の一つかと思われます。 序盤の数話と、最新数話はWebで参照することが出来ます。 まんがライフWIN:メイドインアビス ですが、序盤の数話を読んで「あ、面白そう」と思った場合、最新数話を読む前にまず単行本を購入することをお勧めします。ただ、ある程度エグい描写もあるので注意してください。 メイドインアビス 1 (バンブーコミックス) - で、漫画の話なのですが。 メイドインアビスは、ジャンル的には「冒険漫画」に分類されると思います。 推定深度は2万メートルを超え、奥底に何があるのかは誰も知らない巨大な縦穴、「アビス」。アビスの中には、過酷な環境と、致命的な生物群
早い話、好きなものにはちゃんとお金使いましょうよ、と。 最近気付いたことなんですけど、どうも世の中には、 ・何かにお金を使うというのは、単に「自分のお金が減る」ということではなく、「それを作っている人にお金が渡る」ということでもある、ということをいまいち理解していない人 ないし、 ・何かを作るということは、それがゲームであれ、漫画であれ、小説であれ、動画であれ、音楽であれ、手間もかかれば費用もかかるのだ、ということをいまいち理解していない人 という方々が時折いらっしゃるようなのです。直近で何例か観測しました。 なので、上記に該当しない方には、以下の話は「当たり前じゃねーか」としか思えない内容になると思います。ご容赦ください。 特に創作の世界というものはシビアなもので、食えないアーティストはあっという間に行き詰まります。お金を稼ぐ手段がなくなるか、お金を稼ぐことによって創作の時間がなくなると
この記事に対する需要が、2015年現在、一対この世のどこに存在するのか、ということは全く気にせずに書きます。基本的に、俺の俺による俺のための記事なので皆さま宛てではありません。ごめんなさい。お願いですからもうちょっと有用な記事を読んでください。 ラージャンハンターというゲームをやっている間、たまに気分転換でDSのシレン4をやっていました。シレン4は超面白く、シレンプレイヤーの中でもかなり高評価な一作だと思います。 挑むのは専ら、相変わらずの浜辺の魔洞、いわゆる「もっと不思議なダンジョン」です。 で、浜辺の魔洞は、20階以降、難易度が激しく上がります。ギャザー、ドラゴン、オヤジ戦車辺りの揃い踏みを皮切りに、キツい敵、厳しい敵、頭おかしい敵(ドレッドラビとか乱れ大根とかアークドラゴンとか)の目白押しです。しんざきも結構な回数浜辺に挑戦している筈ですが、まだ3回くらいしかクリア出来ていません。
原作版ナウシカのお話なのである。長文なのである。ネタバレなのである。いまさらネタバレを気にする作品なのかどうか分からないけど。 宮崎駿氏の手による原作版「風の谷のナウシカ」は、言うまでもなく素晴らしいエンターテインメント大作であり、数々の魅力的なキャラクターを擁してもいる。 本エントリーでは、そんな魅力的なキャラクター群の中でも「指導者的立ち位置」にいる人達に着目して、マネージャーとしてのナウシカキャラを分析したり適当にだべったり思いつきを書き連ねてみたりしたいと思う。 1.ナウシカにおける「指導者」とは誰か。 ナウシカという作品には、様々な組織や勢力が登場して、衝突したり協力したりすれ違ったりいがみあったり、それぞれの組織が色んな展開を見せる。トルメキアとか、土鬼(ドルク)諸侯連合とか、風の谷を含む辺境諸国とか、蟲使いとか森の人とか、とにかく色んな勢力がある。 当然、それぞれの組織にはマ
「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「本来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日本語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛
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