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2015年2月11日のブックマーク (2件)

  • 『漢字と日本人』高島俊男

    中国文学者の高島俊男氏による漢字論。軽妙な調子で日語と漢字の「腐れ縁」を語った名著です。 筆者の中核的メッセージは、「あとがき」にわずか一文でまとめられています。 わたしの考えは、まず第一に、漢字と日語とはあまりにも性質がちがうためにどうしてもしっくりこないのであるが、しかしこれでやってきたのであるからこれでやってゆくよりほかない、ということ、第二に、われわれのよって立つところは過去の秘しかないのだから、それが優秀であろうと不敏であろうと、とにかく過去の日との通路を絶つようなことをしてはいけないのだということ、この二つである。 一見すると「伝統礼賛」のようですが、まったく異なります。 「漢字は日の伝統、素晴らしい、守らないといけない!」といったナイーヴな論を時々見かけますが、高島氏の仰ることはこれとは違って、「基的に漢字は漢語(いわゆる中国語)のためのもので、あらゆる点で漢語を

    『漢字と日本人』高島俊男
    kj-54
    kj-54 2015/02/11
    アラビア語への連想が興味深い。
  • 政権批判の自由 - 国家鮟鱇

    先月のフランス紙襲撃テロ事件における日人の反応は「テロには強く反対する。しかしフランスの表現の自由にも違和感がある」というものが大多数であったように思う。右から左までイデオロギーに関係なく同じような反応が見られた。 これはなぜかというと、日人の表現の自由の感覚が普遍的なものだからというわけではなくて、おそらくは日の風土によって培われた感覚であり、つまり日の特殊性であったろうと思う。もちろん米英などでも似たような反応はあったわけだが、それもまたそれぞれの風土によるものであり、そしてフランスはフランスで特殊な表現の自由の感覚があるということだろうと思う。 その「フランスの表現の自由」の感覚というのは、フランス革命以来のフランスの歴史によってつくられたものであり、「現実社会における目的があって宗教を風刺する必要があったから風刺した」というよりも「自分達には宗教を風刺する自由があるのだ」と

    政権批判の自由 - 国家鮟鱇
    kj-54
    kj-54 2015/02/11
    その「フランスの表現の自由」の感覚というのは、…「自分達には宗教を風刺する自由があるのだ」ということを確認したいために風刺している、…「表現の自由」は…それ自体が目的となっているのだろう…』