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災害と地理に関するkochizufanのブックマーク (2)

  • 標高の決め方 変わります | NHKニュース

    土地の高さを示す標高の決め方について、国は、135年にわたって続けてきた手作業による水準測量から、人工衛星などを使ってより早くデータが得られる方法に変えることを決めました。災害の復興の迅速化や、カーナビゲーションの精度向上などにつながると期待されています。 特に、7年前の巨大地震では、東北沿岸の被災地で最大で1メートル以上沈降するなど地盤が大きく変動しましたが、水準測量におよそ7か月かかり、復興計画作りに影響が出ました。 このため、国土地理院は、より早く標高を決められる新たな方法を導入することを決めました。 具体的には、GPSなど衛星から得られる土地の高さのデータに、航空機で上空から測定した重力のデータを加えて修正し、各地の正確な標高を素早く割り出します。 この方法で決められた新たな標高のデータは、6年後をめどに一般に提供される見通しです。 国土地理院の矢萩智裕物理測地課長は「正確な標高の

    標高の決め方 変わります | NHKニュース
  • マンハッタンの古地図とハリケーンサンディ緊急避難区域が完全に一致

    左は1776年のマンハッタン島、右はハリケーン・サンディの緊急避難区域。なるほど...今回緊急避難命令が出たゾーンA(赤)は、1776年当時まだ海だった場所なんですね。 ゾーンAは海抜が最も低く、浸水の可能性が最も高い区域のこと。サンディの影響で今だに水に浸かったままの地域も多々あります。マンハッタンが埋立てされて今のかたちになる前は、このゾーンA東の境界線のグリニッジ通りまでハドソン川だったんです。 古地図と照合して気づいた点をManhattanPastはこうまとめていますよ。 グリニッジ通りに沿って流れるゾーンA東の境界線(昔のハドソン川沿い)は、1776年当時ウォーターフロントだった場所だ。 昔イーストリバー河畔の停泊所は内陸のクイーン通り(現在のPearl通り)までい込んでいたが、イーストリバー側のゾーンAの境界線もこの通りのそばに引かれている。 1776年の古地図で目を引く点は

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