2007-11-25 先日、池袋のまんだらけに行った際、あきらかに冷やかしと分かる、三人組の男のオタクがいた。 棚を探すでもなく、突っ立って、にやにやと笑いながら、店内を見渡していた。 はっきり言って、ものすごく異様だった。 異質な存在だった。そして、嘲笑と悪意に満ちていた。 あの人たちはなんだったんだろう。 「腐女子というもの」を、観察したかったのだろうか。 正直に言って、そういう目線というものは、女子更衣室に隠しマイクを仕掛けるような、女子ならではのプライバシーを覗き見ようとするような、卑劣なものだと思う。 それはセクハラ、なのに。 「腐女子」だから、そういう冷やかしをしに行っても構わないと、彼らは思っているのだ。 この文を読んで思い出すのは、空気読めないDQN男(女にもいるけど)による同性愛指向を持つ女性へのセクハラ。 「どういう風にHするの?」←コレ。 説明できるわけねえだろシ寝よ
「クッキーと紅茶と」を開設して3回目の12月13日を迎えた。 一般的には、南京事件の開始は1937年12月13日とされている。ということで、今日は70周年の日にあたる。 と、あらたまってはみたものの。 南京事件については、私にはまだまだわからないこと、知らないことが多い。中国では、最近合計55巻もの資料集が2回に渡り刊行されたが、中国語を読めない私としては、日本語で書かれた(及び翻訳された)文献や資料の範囲で、南京事件を知り、向き合うことを続けてきた。 日本語文献(その多くは日本軍関連の史料である)に限定される、ということの制約は大きい。しかしそれでも、大きく2つの事柄について理解を深めることができた。 ひとつは、南京事件の発生プロセス、発生の背景についての理解である。 もうひとつは南京事件否定派の言説が、いかなるトリックを用いて成立しているかについての理解である。 しかし、南京事件と向き
『本日の水木サン』より 「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。 (彼女がナニカを排泄する様子の描写)
秋田の児童殺害事件の裁判で、検察側証人として遺族が出されて、感情を問われ、死刑を望むと言わされた。 検察は自分の方に有利にするため利用しているだけで、裁判が終われば冷淡なもの。経済的にも精神的にも、ろくなケアがない。そうなってから気づく遺族たちは怒っている。 そもそも、感情とは人によって異なり、同じ人でも時によって変化する。だから裁判は感情を排するのが常識だった。ところが、という訳だ。 この調子では、証拠がなくても冤罪でも、遺族が引っ張りだされて感情に訴え、これに裁判員たちがほだされるという裁判が横行するだろう。 そうなれば、誰もが、カフカの小説の主人公のようになり、その官権の共犯者とさせられる可能性がある。 Excite %u30A8%u30AD%u30B5%u30A4%u30C8 : %u793E%u4F1A%u30CB%u30E5%u30FC%u30B9
橋下弁護士の立候補で慄然としたのは、やしきたかじんや島田シンスケに電話でおうかがいを立てたという件だった。彼らに「やれ」といわれたから出馬を決めたらしい。 なんだろう。他の世界だったら袋叩きに遭う話ではないか。「や、出ないつもりでしたけど、医師会の理事長が出ろというものですから」とか「労組の書記長が出馬を許してくれましたから。最初は出るつもりはなかったんですけど」なんて会見する馬鹿がどこにいるというのだ。 しかしまあタレント議員にはうんざりだ。しかしネットやメディアで「なぜ自公はタレント候補を立てるのか!」なんて怒りの意見を見かけるが、それはちょっと違うと思う。自公だからタレント候補を立てるのだ。 自民党はあらゆる大組織とつるんで生きてきた歴史がある。郵政、金融、土建、農業、漁業、医者、製薬会社、防衛、パチンコ警察、暴力団。つるめなかったのは労組とインテリぐらいだろう。しかし小泉安倍のネオ
私は、大阪の生まれである。 大阪には幼い頃にしか住んでいなかった。その後、各地を転々としたが、どこに移り住もうとも、大阪生まれであるという事実は変えられない。大阪というのは不思議な都市で、首都・東京に対抗心を燃やしているにもかかわらず、近くの京都や神戸からも見下されている。京都も神戸もプライドの高い都市で、横浜や千葉・埼玉が東京に頭が上がらないのとは対照的である。私が高校生の頃、「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」という日曜夜のラジオ大阪の深夜放送が人気を集めていたが、ある時、放送作家の新野新が「大阪を好きなのは大阪人だけ」と言ったことが印象に残っている。 そんな大阪の府知事選に、橋下(はしもと)徹という男が出馬を表明した。この橋下という男がまた、「大阪の恥」としか言いようのない人物なのだ。 12月6日のエントリ 「恥も外聞もなく「橋下弁護士」擁立を模索する呆れた自民党」 でも書いたように、橋下
あまり触れたくなかったのだけど、どうしても明らかにしておきたいので書くことにした。 光市母子殺害事件で、橋下徹弁護士が「説明責任を果たせ」と叫び、弁護団へのバッシングが未だに続いている。「凶悪犯を弁護することが許せない」という刑事弁護への究極の無理解、もはや説得や相互理解が不可能な意見はさておき、いったい何について説明が足りないのか、俺はよく理解できないでいた。 差し戻し審の弁護団は会見や資料提供など、橋下弁護士が騒ぐ前から行っていた(それをメディアがどう取り上げるか、それは弁護団の責任ではない)から、橋下弁護士がそれを知らなかっただけだろう。 今回、橋下弁護士のブログで、何について説明が足りないのか、憤りの理由がよく分かった。光市母子殺害事件弁護団に僕が求めたのも、事案の詳細を語れと言ったわけではない。 主張の変更の理由、すなわち1審・2審の弁護士は何をやっていたのかきっちりと説明しろと
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