16世紀末の「肥後国衆一揆」の中心となった武将、隈部親永(ちか・なが)公の銅像が山鹿市菊鹿町の観光施設「あんずの丘」に完成し、26日、除幕式があった。隈部氏の子孫のほか、県や山鹿市幹部ら約100人が出席。自らの所領を守るため、時の権力者に命がけで抵抗した郷土の先人をしのんだ。 親永公は1587年(天正15年)、豊臣秀吉に任命された肥後国主、佐々成政が強行した検地に反発。同調した国衆とともに戦ったが、秀吉が派遣した大軍に鎮圧され、最期を遂げた。山鹿市内には国指定史跡の隈部氏館跡が残る。 銅像は台座も合わせて高さ約10メートル。親永公が右手の扇をかざし、領地を指し示す姿を表現している。山鹿市が昨年から建立事業を進め、1億円の工事費は宝くじ社会貢献広報事業補助金などで調達した。式典では蒲島郁夫知事が「理にかなわないと、どんな権力にも反逆した。420年以上後に顕彰されることは素晴らしい」とあい