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ブックマーク / blogs.itmedia.co.jp/natsume (4)

  • 早大「イメージ文化史」宮本大人「速度と重力、名前と音声」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/ 日、午後1時からえんえん6時半過ぎまで行われた宮大人氏の長大講義。案の定、膨大で密度の高い問題提起に満ちた講義でありました。 早稲田大学総合人文科学研究センター研究部門「イメージ文化史」主催ワークショップ「マンガ、あるいは「見る」ことの近代」第3回(長い)として行われた宮大人「速度と重力、名前と音声ー大正末から昭和戦前・戦中期の子供向け物語漫画におけるキャラと空間ー」(だから長い!)。いつもながら勉強になります。刺激的な観点が山ほど提出され、語り口も面白いので、飽きませんが、いかんせんほっとけば24時間でも話し続けられる人なだけに、質疑はなかなか時間を取れなかったのがやや難。これでも、夕べ準備で20分しか寝てないというのだから、まだ若いです。 三輪健太朗の議論をふまえてマンガやアニメの重力、飛行、身体、それを支える空間

    早大「イメージ文化史」宮本大人「速度と重力、名前と音声」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • JRの「痴漢撲滅」マンガ広告のもやもや:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    しばらく以前から目白駅にはこんな「痴漢撲滅キャンペーン」のマンガ広告が貼ってあって、マンガ・ゼミの帰りに学生と階段を降りるといつも眼に入ってきた。かなりレトロ感を、それも微妙な線のマンガを狙って引いてきてる感じなので、そもそも元のマンガがあっての転載なのか、それともデザイナーの模写的創作なのかなどと、もやもやと話し合ったりしていた。僕が連想した作家は、六田登、篠原とおる、あと名前忘れたけどサラリーマンマンガ描いてた人とか‥‥。で、その次のバージョンがこれ↓ 少しばかり時代が下がった気もするが、相変わらず微妙な線を狙っている。あー、やっぱりどこかで見たようなキャラクターが。もやもや‥‥。 というわけで、検索してみたら、とあるデザイナーの作品だったらしいです。 東京新聞記事 「正真正銘オリジナル イラストレーター・師岡とおるさん」 Jタウンネット おさんぽコラム 「「痴漢撲滅」ポスターのレトロ

    JRの「痴漢撲滅」マンガ広告のもやもや:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 論文の「引用」と著作権法:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    9月25日の学習院、僕の批評研究ゼミで、「引用」と著作権に関する講義を行いました。 以下、そのレジュメです。なお、引用した宮大人氏の論文を、改変して例とした部分については宮氏の許諾を得ました。 2013.9.25 マンガ・アニメーション批評研究ゼミ 論文の「引用」と著作権法 夏目房之介 1)論文の引用例 宮大人「昭和50年代のマンガ批評、その仕事と場所」より 「ぼくら」にとって、「日常性をとび越える」ことは、目の前にある「日常性のリアリティー」から逃れることではなく、それを通過したその「向こう側」にしかありえない、という認識を与えてくれたのは「青年まんが」であった。しかし、1970年代に入ってからのそれは「日常性を切り捨て、ひたすらロマンの自閉の道を目指した、小池一夫、梶原一騎の原作」18)の方向と、「何をやっても先がみえてしまっている、日常の枠からとびだしてみせることの困難さを知っ

    論文の「引用」と著作権法:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 映画『風立ちぬ』:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    http://kazetachinu.jp/ 観ました。 けっこう長い映画なのに、感じませんでした。娯楽作としてよくできているということでしょう。「感動」もするし、涙ぐむ場面もあります。そして、そのこと自体に戸惑い、批判的になってしまう人もいるでしょうが、それもおそらくは宮崎監督の狙いだろうか、と思います。ある時期以降、素直に作品を楽しむだけでは終わらず、なぜかその背後などを考えてしまう作品を作るのが、この監督の「作家性」みたいなところがありますから。宮崎アニメの蓄積が、観る層をそうさせてしまうところも、もちろんありますけど。 あ、庵野秀明の声は、意外と、という以上によかったです。まあ、少年時の声からすると、いささか声変わりがひどすぎる気はしますが(笑)。 一言でいえば、宮崎監督が自分の矛盾として意識してきたことを、はっきりと、もっとも矛盾としてわかりやすく見せた映画、ということかもしれま

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