薩摩街道を歩こう 3(松崎宿~山家宿) 山家宿数名の講師に来ていただき、グループに分けて説明を受けました。 地図の中の説明文。 この図は、明治初年の字図をもとに万延元年ー文久元年(1860-61)頃を復元したものです。 なお、原 采蘋塾跡は嘉永3年ー安政6年(1850-59)の間、開かれていました。 ⑪ 山家西構口 筑前六宿の構口の内、残っているのはこの「山家西(やまえにし)」と「小屋瀬(こやのせ)」だけである。 石垣と土壁とも残っているのは福岡県内ではこの「山家西構口」のみである。また、両側とも残っているので道幅もよく分かる貴重な遺跡である。 ⑫ 原 采蘋(さいひん)塾跡(筑紫路の漢詩人)筑前秋月藩の藩学稽古館(けいこかん)の教授 原古処の長女として生まれる。秋月の藩制では女子が藩外に出るのは困難だったため、久留米藩士の養女という形で京に上り、京では頼山陽・梁川星巌、江戸では斉藤一斉、松