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漫画といつかに関するmimizuku004のブックマーク (3)

  • #196 何でだろう?の問いが自分を引っ張りあげる | mammo.tv (山田 玲司)

    今までできなかったことができるようになると、それが自信になる。でも、「何かができること」にこだわった途端、不自由になってしまう。経験は自分が自由になるためにあるのであって、自分を限定するためにあるものじゃないはず。より自由になること。それを成長と呼ぶのではないか? 漫画家の山田玲司さんの描く作品は、絶えず自由とは何か?の問いが響いている。それは絶望に至らないための道標ではないだろうか。 「絶望に効く薬」「Bバージン」をはじめ、山田さんの描かれている漫画には、考えることで成長しようという気持ちが根底にあるように思います。 僕の考えは日々変わるから、今日の考えを言えば、考える人は「考えるようにさせられる環境にいる」ということで、考えるタイミングは人それぞれにやって来るんだと思う。でも一方では考えなくても何とかなる人もいて、考えないことが能力だったりする。 かつては「みんなが考えたほうが世の中は

  • 博物士 - 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡

    昨秋の発売直後に買って読んだものの,途方に暮れていたのが伊藤剛(id:goito-mineral)『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(ISBN:4757141297)。 平易な文章で書かれているのに,どうにも理解できないでいた。昨日,文学部の院生が開く読書会での題材に取り上げられていたので,討議に参加させてもらった。3時間ほど話し合って,ようやく着眼点らしきものが見えてきたので,備忘録として書き残しておくことにします。 このが提示したマンガの分析枠組みは,次の2つ。 キャラ/キャラクター フレームの不確定性 後者については,別な参加者が論文のネタにしているところのようなので,ここでは触れないでおきます。 端的に言ってしまえば,概念の不確定性と射程範囲の不明瞭さが書の分かりにくさを生んでいる理由でしょう。 例えると,鍛冶師が多機能スイスアーミーナイフを売り出したけれど,

    博物士 - 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡
  • キャラが演じるキャラクター - 漫棚通信ブログ版

    手塚治虫のスター・システムというのがありまして。 ぼくが読者に試みたサービスのひとつに、スター・システムがある。 ぼくは、芝居に凝っていたので、ぼくの作品に出てくる登場人物を、いっさい劇団員のように扱って、いろいろ違った役で多くの作品に登場させた。メイキャップもその都度かえさせ、善玉がたまに悪玉の役をやったり、いろいろ演技のクセなども考えた。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』新版、1979年) たとえば、初期の手塚作品の主人公は、きまってケン一くんとヒゲオヤジのコンビでした。役名は「ケン一」と「ヒゲオヤジ」と同じであっても、別の作品で別のキャラクターを「演じて」いました。『鉄腕アトム』ではふたりとも脇に回ってましたね。 アセチレン・ランプやハムエッグは、多数の作品に登場して悪役を演じています。ロック・ホームは『ロック冒険記』などで主役をはってましたが、『バンパイヤ』で悪役に転じ、これは手塚自身も

    キャラが演じるキャラクター - 漫棚通信ブログ版
    mimizuku004
    mimizuku004 2007/07/20
    スターシステム
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