1行目と2行目が重なり合うことは間違いがない。「足もとの鳥」は、「自分の妻」と自分から極めて近い所にいるものとしての共通性を持つ。「たつ」はもちろん「飛び立つ」の意味だから、鳥が飛び立つことで、自分の妻が発狂したことを比喩することが、明確に示されていると言える。昨日引いた3人の解釈は、どれも智恵子の発狂が突然のことであったことに対する驚愕を表すとしている。それは決して間違いではないだろう。 3行目の「自分の着物がぼろになる」で、上杉氏は「着物」を「妻」の比喩であるとし、大島・湯原氏は光太郎の日常生活全体を意味するとする。「着物」を「妻」の比喩とした場合、この詩の中には、「鳥=妻」と「着物=妻」という二つの比喩が、重層的に含まれていることになる。果たして、高村光太郎という少なくとも外見的には極めて平易な詩を書き続けてきた人が、わずか5行の詩の中に、それほど面倒な構造を組み込むだろうか。私には