過去の保有車両[編集] 鉄道線[編集] 14710形 14750形 14790形(登場当時は14770形) 14780形 10020形 14720形 デキ6500形・デキ8100形 デキ8000形 デキ14730形 デキ19040形 モハ7540形・モハ10040形(元富山電気鉄道モハ500形) 1936年(昭和11年)日本車輌製、18m級2扉の大型車。両運転台車で前面は緩くカーブした半流線形だった。モハ501・502は1949年(昭和24年)の一斉改番でモハ7540形モハ7541・7542となり、モハ503は1939年(昭和14年)にモーターを75kW×4に交換し出力を増強、1949年(昭和24年)の一斉改番でモハ10040形モハ10043となった。モハ7540形は1980年(昭和55年)に、モハ10040形は1981年(昭和56年)に廃車された。 クハ1010形→モハ7510形 194
佐伯 宗義(さえき むねよし、1894年(明治27年)2月28日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山地方鉄道創業者、立山黒部貫光創業者。 経済学博士、従三位、勲二等、富山市名誉市民、立山町名誉町民。 1894年(明治27年)2月28日、富山県立山村(現・立山町)芦峅寺に生まれる。代々雄山神社の神官を務める家柄であった。 1924年(大正13年)に信達軌道(現福島交通)の再建に携わることとなり、専務に就任。1930年(昭和5年)に富山電気鉄道を設立し、代表取締役専務に就任。「富山県一市街化」をスローガンとして戦前戦後を通じ、国鉄を除く生活交通を主力として県内交通の整備と充実に注力した。 1943年1月1日「陸上交通事業調整法」に基づいて富山電気鉄道を中心に富山県内のすべての私営・公営の鉄軌道・バス会社を合併、社名を富山地方鉄道と改称した。 196
冬の宇奈月温泉ににぎわいを呼び込もうと、富山地方鉄道と黒部・宇奈月温泉観光協会が主催する「宇奈月温泉謝恩号」の運行が10日、始まった。電鉄富山―宇奈月温泉駅の運賃が無料になる特別電車で、来年4月10日まで運行する。 10日は午前10時43分の第1便の到着に合わせ、着物姿の旅館のおかみらが宇奈月温泉駅の改札で観光客を出迎え、記念のタオルを手渡した。駅ではつきたての餅やお茶も振る舞われた。 謝恩号は今年で10年目。毎日3往復し、引換券で乗車運賃(片道1790円)が無料になる。行きの引換券は同協会のHP(http://www.kurobe-unazuki.jp/)から入手できる。温泉街で宿泊や買い物をすれば帰りの引換券がもらえる。運行時刻などの問い合わせは同協会のHPへ。
富山市の環状線路面電車「セントラム」が23日で開業1か月を迎えた。 中心市街地活性化の切り札として同市が約30億円をかけて導入したが、「客足は伸びない」と渋い顔の商店主もおり、開業効果は今のところ実感できるほどではないようだ。一方、街中心部に住民を増やす取り組みが、じわりと広がっている。 床が低く、乗り降りしやすい2両編成の路面電車が、JR富山駅、県庁、富山城などを静かに巡る。 市の中心部から約2キロ離れた郊外に住む会社員佐々木浩さん(33)は「普段は車で出掛け、じっくり中心市街地を回ったことはなかったが、気付かなかった風景が見えてきた。知らない店が多く、これからセントラムを使って訪ねてみたい」と話す。 車の免許を返上し、沿線に住む亀井三郎さん(77)は「楽にゆったり乗れるのでありがたい。昔のように路面電車の路線をもっと延ばしてほしい」と語り、利用者には好評だ。 富山市は、車がな
街を囲む路面電車、36年ぶり復活 富山、高齢化見越し2009年12月21日 印刷 ソーシャルブックマーク 市街地を試験運転する路面電車。黒、白、銀の3色の車両が走る=富山市 車がなくても暮らせる街づくりを進める富山市で23日、中心市街地をぐるりと回る路面電車が36年ぶりに復活する。かつての環状線は、車社会の発達で1970年代に、一部路線が廃止されてしまった。それが今回、少子高齢化や地球温暖化を背景に、これからの街の交通手段の中核と期待されて「再登板」することになった。 富山市中心部を走るのは3両の次世代型路面電車。JR富山駅を発着点に、公園や百貨店がある中心市街、県庁や市役所周辺の約3.5キロを反時計回り方向に20分間で結ぶ。愛称は「セントラム」。車両は、旧来型と比べて乗り降りしやすい低床で、都市型路面電車の先進地・ヨーロッパで走るのと同様のモデルだ。料金は1回につき200円で、昼間は10
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く