濱口梧陵 広川町役場前にある濱口梧陵の銅像 濱口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日(1820年7月24日)[1] - 1885年(明治18年)4月21日[1])は、日本の実業家・社会事業家・政治家。 紀伊国有田郡広村(現・和歌山県有田郡広川町)出身[1]。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則。駅逓頭や初代和歌山県会議長を務めた。 醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った[1]。津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても知られる[1][2](後述)。 紀州湯浅の醤油商人である濱口分家・七右衛門の長男として生まれる。12歳で本家(濱口儀兵衛家)の養子となって、銚子に移る。 その後、若くして見聞を広め、開国論者となった。海外留学を志願するが、開国直前の江戸幕府の受け容れるところとならず、30歳で帰郷して事業を行った。嘉永5年(1852年