被爆地・長崎の象徴として知られる浦上天主堂を原爆の投下から10日余りあとに撮影した2枚の写真が北九州市で見つかりました。長崎原爆資料館によりますと、原爆投下後の浦上天主堂を写した中では、最も古い写真の可能性があるということです。 見つかったのは、北九州市にある九州工業大学の前身、明治工業専門学校の調査団が、昭和20年8月20日から24日にかけて撮影した浦上天主堂の写真2枚です。調査団の一員で後に竜巻研究の世界的な権威となった故・藤田哲也博士の北九州市の生家に残されていました。 藤田博士の生家では、ことし3月、被爆直後の長崎の爆心地付近の写真33点が見つかっていますが、今回の2点は、ことし8月になって遺族が新たに見つけました。 浦上天主堂は、長崎の爆心地から500メートルほどの場所にある、当時、国内最大の教会で、被爆地・長崎の象徴として知られています。 写真を分析した長崎原爆資料館によります