(前回までのあらすじ)木曜 25:00、BS-i のひそかな愉しみをエロDVD鑑賞と間違われる(その1)。のちにエロゲ原作のアニメだと知られ、マジ離婚を検討される。しかし、ナユキストであるダンナに引きずられるように、いつしか一緒に観るようなるのだが――(その2) このエントリは、京アニKanonの最終回のネタバレを含むよ(反転表示)。 いわゆるギャルゲについての認識が根本的に誤っていたことを、京アニに思い知らされる、しかも徹底的に。 つまりこうだ、ギャルゲとは、複数の女の子から一人の娘を選び取り、その子と仲良くなるプロセスを楽しむことが醍醐味だと思っていた。したがって、選ばれなかった子たちは、選ばれなかったエンディングへ向かうことになる。 より反語的な例として「君が望む永遠」を挙げよう。あれは、「選ばれなかったほう」のストーリーこそ秀逸であり、いかに彼女らが傷心と共に己の運命を受け止めたか
cogniさんのところ見ててずっと考えてたんですが、個人的には「家族」という言葉の一般的な意味から麻枝さんの描く関係性を考えるのってどうなのかなあ?とか思っていたりします。 いろいろとネタバレをしつつ。 そんなことを思いつつ、「CLANNADから遡って読み込む形で「家族」を見出す」について考えてみたんですが、「業」とか「個人の思い入れ」あたりじゃないかと思います。 「業」は、切っても切り離せない、そういうものというイメージです。 CLANNADで言うと、直幸と別れた後も直幸が逮捕されることによって職業に影響が出る辺り。AIRだと、血縁的なものとしての翼人の呪い。本人の意思とは関係なく、「そうあるもの」という価値判断抜きのものかなと。どちらにしろ、家族というより親と子と言う方が適切な気もしますが。 「個人の思い入れ」の方は、CLANNADで秋生さんが親は子に夢を託すことができる*1というよう
原作・監修 株式会社ビジュアルアーツ/Key © VisualArt's/Key/東映アニメーション/フロンティアワークス
みなさま、拙作「川口茂美の特別な夏」に最後まで付き合っていただき、まことにありがとうございました。ひょっとしたらいきなりこのあとがきから読んでいる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう面倒くさがりの方にはさっさと結末を報告しておきます。物語はハッピーエンドでした。川口茂美の尽力によって、神尾観鈴の呪いはすべて解かれました。国崎往人も消えることなく、晴子も観鈴の母親として、新たな人生のスタートを切りました。そしてこの結末こそが、本SSの最大の目的だったのです。 非常に私見なのですが、私はドラマというものは、理想化された人間関係のモデル計算だと考えています。現実世界ならば60億人分を考えなければいけない人間関係をある程度の人数に限定して、その中での登場人物の反応を計算していく、それがドラマのシナリオであると考えているのです。計算によっては、ある特徴的な結果を出すために極端に理想化されたモ
昨日実家から京都へ戻ってきたのですが、誰もいないアパートの部屋が広く感じられた……何てこともなく(事実狭い)、割と快適に過ごしています。家族と暮らすメリットというのもある、けれど、ひとりで暮らす人生がつまらないというのは偏見だ、と僕は思うのですよ。 いきなり自分語りから始まりましたが、つまり現代では「家族」を無条件で肯定するような見方はリアリティを失いつつある、という話です。「家族」がユートピアであるための条件はあまりに多く、もし「家族」がユートピアであると思うのであれば、それは誰かの努力によって必死に支えられているか、あるいは単なる思い込みじゃないの?と。 「家族や絆をテーマとして取り上げることが多い」とwikipediaに書かれている麻枝准、そしてkey作品においてもそれは例外ではありません。いや、むしろ家族を肯定しようとするkey作品においてこそ、家族という概念は変質せざるを得ないの
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
前のページへ 1|2 今も昔も、泣ける話は泣けるんです 今回「Kanon」をプレイして、最初のうちは「そんなに泣けないのでは?」と思っていた。しかし、その予想は見事に裏切られる結果となった。 真琴の初登場シーン。このシーンの真琴だけは凛々しく、キャラクターがかぶっている川澄舞(かわすみまい)と同様に、ものすごいシリアスな展開になるかと思っていたのだが…… 最後までプレイして、泣いた。ボロボロ泣いた。えぇ泣きましたとも! あゆシナリオには泣かせてもらいました。ネタバレになるので詳細は語らないが、終盤でとてつもなく印象に残るあゆのセリフがある。この一言に込められたあゆの想いを考えると、……もう涙腺が緩みきってしまい、泣いても泣いてもとめどなく涙があふれてきた。思わず「この展開はずるい! ずるいよ開発者さん!!」と内心毒づいてしまう。レビューを書かなくてはいけないのに涙が止まらないのだ。 しかし
今の「Kanon」と昔の「Kanon」 1999年といえばノストラダムスの大予言の年! 地球が滅ぶと騒いでいる傍らで、美少女ゲームジャンルに波紋を呼ぶ作品が誕生したのだ 1999年にPCゲームとして発売された「Kanon」は、いまやNo.1の泣きゲーメーカーとして名をはせるKeyの処女作でもある。ギャルゲー界に旋風を巻き起こしたこの作品は、当然のようにプレイステーション 2やドリームキャストなどのコンシューマ機へ移植されており、また漫画や小説、アニメといった他メディアにも進出している。一言でいえば「猛烈にヒットしたゲーム」ということだ。 そんな「Kanon」だが、昨今のゲームファンにとっては、現在(2007年2月)放映しているアニメの方が、印象に強いのではなかろうか。実は「Kanon」は、2002年にフジテレビ・関西テレビで一度アニメ化されている。2回目のアニメ化である今回は、2006年に
最近、泣いてますか? 2004年にゲームブランドのKeyが作成したPCゲーム「CLANNAD」(クラナド)は、同ブランドの「Kanon」、「AIR」に続く“泣きゲー”として、多くのファンを泣かせたのは記憶に新しい。その1年半後、「CLANNAD」本編に登場したヒロインの一人、坂上智代の後日談を描いた「智代アフター ~It's a Wonderful Life~」が、これまたPCゲームとして登場した。 坂上智代は、不良生徒たちとのケンカで無敗を誇るほど強いという力強さと、子供が好きという女の子らしさを兼ね備えた人気ヒロインだ。 そして2007年1月25日、プレイステーション 2版として「智代アフター~It's a Wonderful Life~CS Edition」登場した。シナリオや新規イベントグラフィック追加など、PC版に比べてボリュームも大きくアップしている。 ひとまず、本作の物語をざ
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