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ホロコーストに関するnagonaguのブックマーク (6)

  • もうダメだ - 過ぎ去ろうとしない過去

    のパレスチナ支援運動は「反ユダヤ主義」と紙一重だとずっと思っていた。あの「ナブルス通信」でさえ、フィンケルシュタインを留保無しで肯定的に扱っていた。 でも、現在パレスチナがイスラエルによって圧倒的な暴力にさらされていることを考慮すれば、心情としてそのような気持ちを持ってしまうこともおかしくないし、それを公表してしまうのかもしれない。その怒りさえ否定してしまっては、運動家はただの評論家に堕することになる。そう思って今まではあまり指摘してこなかった。 でも、ここ数日のパレスチナ支援家と歴史修正主義との親和性を見てると、やっぱダメだと思った。確かにパレスチナは緊急の暴力にさらされている。でも、ぼくたちは安全な日にいる。であるならば、パレスチナにたいするコミットは、より厳しい倫理が求められるはずである。運動家は倫理的に高潔でなければいけないとは思わないし、運動は資格を問わずに参加できるのが望

    もうダメだ - 過ぎ去ろうとしない過去
    nagonagu
    nagonagu 2009/03/26
    id:tari-G氏やid:negative_dialektik氏ら村上春樹批判に一家言あった人々が、反ユダヤ主義や陰謀論にまるで警戒感がないのに唖然。当事者性を欠き弄ぶ批判は空理空論。とても残念。
  • 2009-03-23

    hokusyuさんからコメントいただいた。 hokusyuさんは、id:hokusyu:20090318 、コメント欄、および20090323と、論じて(主にzames_makiさんを相手に)こられ、その流れでうちにも来られたようだ。 わたしの現在の問題意識は、ホロコーストの対象とは何か?を確定させずに、現在まで来たということ自体がとてもおかしなことのように思えるという点にあります。 もう一度最初からおさらいします。 (1) ホロコースト犠牲者数は何人か?というとWikipediaでは、600万人と900〜1100万人という二つの数字があがっている。前者(A)は殺害されたユダヤ人の数。後者は、それ以外のロマ人、スラブ民族(特に戦争捕虜)、共産主義者、ポーランド人、身体障害者、同性愛者など(B)を含めた数である。 数の問題はひとまず置くと、少なくとも二種類の犠牲者がいたわけである。 「ホロコ

    2009-03-23
    nagonagu
    nagonagu 2009/03/24
    “「悪しき商業主義のせい」でかたずけて可”などと引用元は言ってるとは思えないし、“他の同様の事件”が何を指しているのかもわからないが、それぞれの事件は「唯一無比」ではないのか?何処から話しているのか?
  • “単に「知らないから勉強します」”はなぜ「知的に極めて真っ当」ではないか - Apeman’s diary

    http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/comment?date=20090323#c cf. http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20090323%231237780327 まず重要な点として、このエントリ以降の negative_dialektik氏の振る舞いはとても“単に「知らないから勉強します」”という意思の表明としては要約できないという問題があるのだが(つまり id:tari-G氏の「単なる読解力の問題」)、これについてはすでに hokusyuさんが指摘しているので割愛。まあひとことだけ言っておくと、「勉強」するまでは踏み込むべきでないところに踏み込んじゃったら「知らないから勉強します」だとは言えないよね、ということ。具体的には次のような一節だ。 かかるアレルギーの抗体保持者は

    “単に「知らないから勉強します」”はなぜ「知的に極めて真っ当」ではないか - Apeman’s diary
    nagonagu
    nagonagu 2009/03/24
    あのような物言いこそが“極めて素朴な全体主義”と親和力があるのではないか。そんなことを考え出しています。/id:tari-Gさん、残念ながらあなたが感情的になっているようにしかみえない。何か書いたらidコールします。
  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「ホロコースト」宣伝はイスラエルのプロパガンダであるという妄想にたいする認識 - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090318/p1#c コメント欄で良いこと書いた気がするので転載。 hokusyu 2009/03/21 07:26 >zames_makiさん あまりに酷い陰謀論なのでちゃんと答えておきますが、ドラマ「ホロコースト」の放映がホロコースト認知に大きな影響を果たしたのはそのとおりですが、それはきっかけにすぎず、より重要なのはドイツの「過去の克服」の進展です。 「ホロコースト」放映は1978年ですが、それ以前の、1950年代〜60年代のドイツにおいては、「ホロコースト」は忘れたい過去として、あまり触れてほしくないものでした。しかし、ブラント政権の成立、あるいは戦後世代(68世代)の成長などにより、政治的にも、「過去の克服」が一気に加速しました。 1978年、アメリカで「ホロコースト」が放映されたとき、ドイツでもそれを受け入れる用

    「ホロコースト」宣伝はイスラエルのプロパガンダであるという妄想にたいする認識 - hokusyu’s blog
  • ホロコーストの基礎知識について - Danas je lep dan.

    これを読んで,何だか気の毒になってきた。 私自身は、未だ明確に、自身を「修正主義者」だと考えているわけではないですが(「はてな村」では既にそうだと決め付けられていますが)、ルドルフも言うとおり、何十年も「ホロコースト正史」に何の疑いもなく生きてきました。ごく普通の生育暦です。ところが、そんな平和な常識を根底から覆す「修正主義」の学説に触れれば、「え? どういうこと?」と思って、好奇心が沸き起こり、その学説を夢中で読みふけったとしても、人間の好奇心のありようとして、いかにも自然だと思います。むしろ、自分が常識として知っていることを書いてある書物を夢中で読む人がいたら、ちょっと変わっているんじゃないでしょうか。むろん、「正史」と、それへの批判を、比較検討するのであれば、両者の見解を調べる必要があるのは自明です。 でも、とりあえず、「修正主義」の学説が、好奇心をそそるので、そっちから読みます。幸

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