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倫理に関するnagonaguのブックマーク (2)

  • 七重のまったり日記:「道徳」って誰のものですか?

    件の18禁ゲームの議論の流れが何かフェミ系の議論を離れ過ぎていることに違和感を持っていたのだけど、どうやらそれはあたしだけでもない、らしい。 というわけで、書いちゃいます。 規制反対派の方々は 「他の表現手段がエロゲを生贄にしようとしている」 というニュアンスバリバリなんだけど、フェミ的には 「現実社会がエロゲを生贄にして差別を温存しようとしている」 だと思うんだよねー。 だってさ、規制を検討する発言の主は「自民党」の「山谷えり子」だよ?絶対性差別なんか考慮してくれてるわけないじゃん。 ただでさえ報道において抗議内容の主眼が「社会の」性差別から児童ポルノにすり替えられてるのに。 あとは、ちょっと「道徳」の使い方について。 こっちは畳む。 ここのコメント欄でブログ主のNaokiTakahashi氏が「道徳」っていう言葉をあまりに無邪気に使っているように見えることが違和感バリバリ。 こっちの反

  • 倫理の鏡 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、いつも、何ものでもなく、ただ「わたし」でありたいと願っているのですが、でも、わたしが何ものでもなく「わたし」だと思っているものは、当に何ものでもない「わたし」であるのか、いつもわからなくなります。  わたしは、今、朝鮮舞踊とチャンゴを習っています。舞踊のほうは、今年で四年目で、チャンゴの方は、習い始めてまだ一年しか経っていません。どちらも難しいですが、でも、習い始めてよかったと思っています。踊りを習い始めたきっかけは、オモニたちのように「オッケチュム」を踊れるようになりたいな、そして、わたしも、オモニたちと一緒にほがらかな顔で楽しく「オッケチュム」を踊りたいな、そう思ったことでした。「オッケチュム」は、オッケ(肩)をつかって自由に踊る踊りで、もともとは、どこかに習いに行くというような、形式ばったものではないように思います。むしろ、そういう形式性とはもっともほど遠い、ひとりひとり

    nagonagu
    nagonagu 2009/04/04
    80年代に東京中野の小さな公園で、チャンゴとエイサー太鼓と鹿踊で夜毎ゴチャゴチャ遊んでたことがある。とっても楽しかった。
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