日本のパレスチナ支援運動は「反ユダヤ主義」と紙一重だとずっと思っていた。あの「ナブルス通信」でさえ、フィンケルシュタインを留保無しで肯定的に扱っていた。 でも、現在パレスチナがイスラエルによって圧倒的な暴力にさらされていることを考慮すれば、心情としてそのような気持ちを持ってしまうこともおかしくないし、それを公表してしまうのかもしれない。その怒りさえ否定してしまっては、運動家はただの評論家に堕することになる。そう思って今まではあまり指摘してこなかった。 でも、ここ数日のパレスチナ支援家と歴史修正主義との親和性を見てると、やっぱダメだと思った。確かにパレスチナは緊急の暴力にさらされている。でも、ぼくたちは安全な日本にいる。であるならば、パレスチナにたいするコミットは、より厳しい倫理が求められるはずである。運動家は倫理的に高潔でなければいけないとは思わないし、運動は資格を問わずに参加できるのが望