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なるほどに関するnavecinのブックマーク (9)

  • 中抜きの話 - REV's blog

    http://soulwarden.exblog.jp/6469132/ ああ、つまり、違和感の源泉は、 「缶ジュースの原価は10円だ!果物農家は、大手飲料メーカーに中抜きされている!!」 とか、 「印税は、たった10%だ!作家は、出版社に中抜きされている!俺は、作者に、600円全額を渡したい!!!」 とか、そういう問題設定に違和感を感じていたのだ。 「コーヒーの原価は10円だ!自動販売機で買えば、120円、ディスカウントストアなら90円なのに、このファミレスでは250円も取るなんて!」 「ランチでは無料で付いて来るんだ。タダで飲んで何が悪い」 ここは、とあるレストランの裏にある倉庫の中。 彼は、特殊なチューブ(U字型に曲がっている)を、倉庫のベンダーに差し込み、タンクのコーヒーを、にこにこと飲み始めた。回しのみする仲間は、彼を神と称える のだった。

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  • 「腹を割って話す」の思い出

    「そんな言い方誰もしない」と言い張るお子様たち(みやきちさん) 百家争鳴って感じで、被言及の多い記事。私もちょっと書こうかな。思い出があるので。 まず、以下の小学校国語の問題を読んでみてくださいな。 問題:次の(  )にあてはまるものをア~エの中から選びなさい。 その問題の解決には(  )が折れた。 彼は(  )が広い男だ。 (  )があいたら、手伝ってください。 (  )を割って話し合おう。 選択肢:ア.腹 イ.顔 ウ.骨 エ.手 塾でこういう問題を小学生にやらせてみると、これはもう壊滅的にできません。「手が折れた」だの、「顔を割って話し合おう」だの、おそろしい文章を作りますよ、やつらは。おまけに、慣用句を知らないだけならまだしも、「そんな(『骨が折れる』とか『顔が広い』とか)言い方誰もしないよ!」と文句を言う子がかなりいます。誰もって誰だよ、アンタのクラスの小学生連中か? 小学生はしな

  • 松尾匡のページ - ガチウヨ世代のソ連イメージ

    松尾匡のページ  07年1月26日 ガチウヨ世代のソ連イメージ  僕の経験からすると、手のつけられないウヨの学生というのは、今の20代後半から30歳すぎぐらいに多かったような気がする。おそらくこの世代がネット右翼などの中核部隊をなしていると思われる。もちろん、正反対の、今まちでNPOなどの活動を支えている中心的な若い人達もこの世代なのだけど。  でも、僕が講義などで学生から感じる右翼的な反発みたいなものは、ここ数年は劇的に少なくなっていると感じる。何かしらその点での世代の変化がある。いったい今の20代後半から30歳すぎの世代というのは、何か特別なことがあったのだろうか。  たしかに小林『戦争論』の影響が一番大きかった世代だし、彼らの学生時代は「つくる会」も一枚岩だった。それは大きな要因だろう。しかし、それ以外にもうひとつ、決定的に大きな原因だとにらんでいるものがある。  それは

  • 小野和俊のブログ:心に残るプレゼンは、必ずと言っていいほど事前に用意周到に準備されている

    私はもともとはプレゼンは完全にアドリブ派で、大まかな流れだけサッと考えて直前に資料をつくって、後はぶっつけ番で、残り時間を見ながら話す内容をその場で考えてプレゼンする、というのがお決まりのスタイルだったのだが、昨年末あたりから、このやり方だと、内容はそれなりに伝えられても、発言に冗長なところがあったり、表現が洗練されていなかったり、そして何よりも、プレゼンの中にドラマがないというか、良いプレゼンを見ていると、どれも周到に準備されていて、話の展開はもちろんのこと、沈黙のタイミングや長さ、声の調子に至るまで微にいり細にいり実によく考えられており、アドリブのプレゼンだと、このようによく準備されたプレゼンと比較すると、演出の面において決定的に劣ってしまうのではないかと考えるようになった。

    小野和俊のブログ:心に残るプレゼンは、必ずと言っていいほど事前に用意周到に準備されている
  • JASRACは適正な請求であることをアピールすべき - novtan別館

    いくら悪だ悪だと言われていても著作権料を管理し著作者に還元すると言う仕事は誰かがやらなきゃいけないと言う理由で今までのエントリでも存在そのものを否定することはやめようと思っているのですが、管理団体を(実質)JASRACしか選択できないと言う現状で、音楽業じゃない業種の取立てが厳しくなって訴訟も巻き起こっているようなので色々と考えちゃいますね。 痛いニュース(ノ∀`)ジャスラックが訴えた生演奏の店、「著作権侵害せず」とネット中継で証明するも…「将来するかも」とピアノ撤去&賠償命令。ウェブのソースが無いからこんなもので。実際には判決文があります。そちらを見るとまあ賠償命令は仕方が無いかなと思います。判決文を見る限り、お店の監視はポーズに過ぎないようだし。しかし、ピアノ撤去ってどういうことだろう。今後著作物の無断演奏をされる恐れがあるから撤去と。このお店のやり方が悪質だから撤去しないと避けら

    JASRACは適正な請求であることをアピールすべき - novtan別館
  • エセ民主的表現技法――たぶん「国語」や「小論文」の授業で習う(?) - 女教師ブログ

    はあちゅう主義のあの例の記事についての論評を読んで:http://d.hatena.ne.jp/rg7-421/20060227 こういう書き方[引用者注:はあちゅう主義――小娘が何か言ってます のニートに関する言及箇所]をするとこです。ここでいうとニートについてなんですが、さんざんニートに対して強調文字で(リンク先参照)非難しながら、後でこっそりと<ニートをよく知らないから全否定は出来ないけど>とさらっと書いてしまう。しかも、ニートに対して<非国民>とまでいっているのは誰だか知りませんが、他人の言葉ですね。こんなふうにあらかじめ批判をかわせるような書き方を自然にできるところがすごいと思うのと同時に怖いとも思いました。結局この人自身は何一つとして主張していません。(強調引用者) 「たしかに...A...。でも...B...。」という表現方法があります。中学生でも使います。いわゆる「譲歩→主

  • 残業代を払えない経営者は無能である - アンカテ

    「残業代が出ないなら、ボーナスを貰える会社に移ればいいのに」 と言ったら、現代のマリー・アントワネットだろうか。 しかし、労働者の労働に正当な対価が払われないとしたら、可能性は二つ。 労働者の生み出す価値が搾取されている 労働者の労働が価値を生み出してない マルクス・レーニンの時代には、主な問題は1だったけど、生産手段が安価になった今は2の方が問題だ。そして、2の原因は二つ。 労働が価値を生まないのは労働者が無能であるから 労働が価値を生まないのは経営者が無能であるから 個別には労働者が無能だから価値が生まれないケースもあるだろうが、日全体の問題として考えるなら、大きな要因は2である。「国際競争力の強化」とか言うけど、その言い訳がそのまま事情を暴露している。学ぶ機会や情報の少ない発展途上国の労働力より、はるかに優秀な労働力を大量に与えられていて、それに見当った価値を生み出す場を創り出せな

    残業代を払えない経営者は無能である - アンカテ
  • 教育再生に盲点指摘─「再生後は弱くなる」法則 - bogusnews

    安倍総理が最重要政策として掲げる「教育再生」のゆくえに、疑問符が投げかけられている。再生論に詳しい博士が、重大な問題が発生するおそれを指摘しているのだ。はたして日の将来はどうなるのか。予断を許さない状況と言えそうだ。 問題を指摘しているのは、東映大学の研究者で再生に詳しい死神博士(64)。博士によると、長年の研究の結果 「再生したものは以前よりも弱くなり、あっけなくやられる」 ことがわかったという。 「再生は弱い。 これはもう、過去の先人たちが積み重ねてきた経験でわかっている鉄則だ。総理はショッカーやデストロンの犠牲をないがしろにし、同じあやまちを繰り返そうというのか。同じ悪の親玉としてふがいない」 と博士は声を大にして警告する。同様の報告は海外でもジェロニモン博士が論文として専門誌に発表しており、もはや学会の定説と言っても過言ではない。 この法則が教育にも適用されるとするなら、再生後に

    教育再生に盲点指摘─「再生後は弱くなる」法則 - bogusnews
    navecin
    navecin 2007/01/27
    よくわかる
  • 高原基彰blog: 韓国の大学院と社会学についての雑感(というか愚痴)

    風邪が治らなくて、延々ずっと体が調子でない。そろそろ病院行かなきゃダメかも。 私はソウル大学院の言論情報学科という所の交換留学生ということになっている。 しかし……ここには当に失望した。基的に英語の古典理論を読むというのが重視されていて、韓国の近代史を教えたりしてる人はすごくマイノリティ(その韓国の近代史も大体英語の資料なんだけど)、という話は前にしましたが……。 こっちでは社会学のヴァリエーションが少なくて、要するに官僚と一緒になって政策立案する人――大体統計を使う「実証派」――と、「それ以外」という感じ。 政治学だったら、東大社会科学研究所みたいなことやってる人も、いるにはいるんだが。 そんで「それ以外」は、まとめて「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれている。日で言う、ポストモダンも、記号論も、消費社会論も、何もかも「カルチュラル・スタディーズ」として90年代初頭くらいに流入

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