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  • 京都大学大学院経済学研究科 教授・根井雅弘の書評ブログ : 『愛国心』清水幾太郎(筑摩書房)

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「民主主義による愛国心の合理化は可能か」 書(清水幾太郎著『愛国心』ちくま学芸文庫、2013年)は、1950年に出版された岩波新書の文庫化である。復刊の経緯は知らない。著者の清水幾太郎(1907-88)は、当時「岩波文化人」として最も人気のあった論客のひとりであり、書もその頃の著者の立場を反映した内容となっている。もちろん、同じ主題について晩年に書いていたら別のになっていただろうが、著者の思想遍歴については優れた研究(竹内洋『メディアと知識人』中央公論新社、2012年)があるので、ここでは触れない。むしろ書を読む意義は、私たちが「愛国心」という言葉で表現してきた思想の起源・変遷・未来についての簡潔で要領を得た知識を得ることにあると思う。 著者は、愛国心の歴史を、未開社会の「エスノセントリズム」(民族中心思想)から、古代(ギリシャの都市国家のような「祖国

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  • 『黄禍論と日本人-欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』飯倉章(中公新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「さて、お楽しみいただけたでしょうか。「面白くなければ歴史ではない」などというつもりはもちろんないのだが、諷刺画を扱っているからには、読者の皆さんにはその皮肉や諧謔を味わってもらいながら、当時の歴史を実感していただければと思った。現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易ではないでしょうが……」。書の「あとがき」は、このような文章ではじまる。最後の「現代の感覚で、当時のユーモアを理解するのは容易なことではないでしょうが……」から、著者、飯倉章の苦労が偲ばれる。さらに、著者は、読者に西洋「紳士の嗜(たしな)み」とされる「高度なユーモアやウィット」を理解してもらおうとしている。 ある意味で風刺画の黄金時代とされる、書で論じられている19世紀終わりから1920年代半ばまでの歴史と社会を読み解くためには、それが描かれた背景を知る必要がある。著者は、つぎの3点を

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  • 『落語の国の精神分析』藤山直樹(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「先生、この噺を聞くと笑ってしまうのはなぜでしょう」 精神分析の先生が書く落語の登場人物論なんて読みたくないな。あの与太郎は○○病、この与太郎は□□症候群、江戸の昔からひとびとの心は病んでおり……そんなことで落語を聞く楽しみを邪魔されたくないからだ。でも書を開くと早々に、精神分析家になるだいぶ前の落語大好き藤山直樹クンが現れて、夕方ラジオで聴いていた落語を憶えて保育園で披露したという逸話がある。五十代になってからは年に二、三度、落語を演っておられるというし、最初のこちらの思い込みは無用であった。 書の主題はふたつ。ひとつは、落語の根多を、民衆が生み出したフォークロアとしてそこに働いた無意識を精神分析家として読み解くこと。もうひとつは、落語家という人間の生き方について、精神分析家である著者が〈ひとりでこの世を相手にしている〉ところに共通するものをみて論じること。「ら

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  • 『ジャン・ボードリヤール』 レイン (青土社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 英国人の書いたボードリヤールの入門書である。ラウトリッジ社の Critical Thinkers というシリーズの一冊で、日では青土社から「現代思想ガイドブック」として発売されている。 入門書のシリーズだけあって各章の最後には半ページほどの「要約」が載り、「構造主義」とか「ハイパーリアル」のようなキーワードには半ページから1ページほどのコラム的な解説がついている。巻末には監修者であるテリー・イーグルトンの跋文と解題付の「読書案内」(原著は1998年までだが、訳者によって2006年までの分が追加されている)、さらに翻訳では省略されることの多い索引が付されている。元のシリーズのよさを日版でも伝えようという意気ごみのうかがえる良心的な編集である。 とはいえ書に関する限り入門書というよりは格的なボードリヤール論となっており、ボードリヤールをまったく読んだことのない人に

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  • 中央大学(メディア論・文化社会学)・辻 泉の書評ブログ : 『社会学ウシジマくん』難波功士(人文書院)

    →紀伊國屋書店で購入 「現代社会の「メディア・エスノグラフィ」として」 書は、マンガ『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平)を題材に、「社会学の成果を紹介しつつ、社会学の多面性や魅力」(P115)を伝えようとしたものであり、現代日社会の様々な問題点が浮き彫りにされると共に、それらに対して社会学がどう向き合うことができるのかが示された著作である。 プロローグで示されたリスク社会論(「今のこの時代に、この地球に生きるがゆえに、誰もが避けようのないリスク」―P27)に始まり、都市社会学、家族社会学、教育社会学、メディア論、ジェンダー論、感情社会学、労働社会学、社会病理学、福祉社会学、そしてエピローグの社会階層論にいたるまで、リアルな社会問題を入り口にして、社会学の多様性とその魅力を伝える入門書としての試みは、十分に成功しているものと思われる。 あとは、主たる想定読者である学生たちが、マンガのウシジマ

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  • 『生きることを学ぶ、終に』 ジャック・デリダ[著] 鵜飼哲[訳] (みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 デリダを読み、「生き残り」をどう生きるか考えよう. 都内は先週、記録的猛暑で最高気温を更新したが、昨日も、そして明日もあさっても、私はALSの人たちの付き添い(目撃者として)である。彼らの生き方は真夏も真冬も関係ない。むちゃくちゃである。喉から呼吸器を着けている者も、嚥下障害で唾液さえ上手に飲み込めない者も、この暑い最中に「宣伝活動」をやめないし、気力も衰えない。重病人の自覚がない。 昨日のKさんは、練馬区包括支援センター主催のケア研究会で講師を依頼されていた。2年前は奥さま以外の排泄介助をあれほど嫌がっていたのに、それが今では区内のケアマネやベテランヘルパーたちが教えを請う排泄被介助の当事者である。その上、彼はトイレ介助の演習DVDを自作自演で作成してきた。 また明日は、独居の女性ALS患者といっしょに、青森で開催される日難病看護学会のシンポジスト。そのため、私た

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  • 『ハーバード白熱日本史教室』北川智子(新潮新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「ハーバード生を魅了した授業!」 『ハーバード白熱日史教室』というタイトルを見て、マイケル・サンデル教授の二番煎じかと思ったのだが、内容は全く違った。いや、学生の好奇心を刺激し、教室が受講生で溢れんばかりの授業であるという点では同じと言える。だが、この授業を担当しているのが、日人で(つまりアジア人で)、女性で、若いという、ハーバードで名物教師となるには、残念ながらマイナス要因ともなりうる要素に満ちた、北川智子という存在であるということが、異色なのだ。 北川は帰国子女でもないのに、日の高校を卒業した後、旅行で気に入ったカナダの大学に留学する。しかも専攻は数学と生命科学という、歴史とは余り関係の無いものだ。だが、日史担当の先生のアシスタントをすることになり、ハーバードのサマースクールで「ザ・サムライ」の授業に出席して、疑問が湧く。なぜ男の「サムライ」だけが論じられ

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  • 『グラモフォン・フィルム・タイプライター』フリードリヒ・キットラー(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →bookWebで購入<上>(ちくま学芸文庫) →bookWebで購入<下>(ちくま学芸文庫) ●「メディア論的啓蒙の書」 書は、フリードリヒ・キットラーの第四番目の書籍であり、『書き込みのシステム 1800/1900』(未邦訳)と並ぶ主著の一つである。最近では情報工学への言及が多いキットラーだが、彼が初期のドイツ文学研究からメディア(史)論へとその知的関心をシフトさせていくなかで、書は書かれたものだ。 前著『書き込みのシステム』でも『グラモフォン』(以下、引用文はGFTと表記)においても、キットラーは、フーコーが「言葉と物」をめぐる考古学的考察において、スキャンダラスにも「人間の終焉」を見出した20世紀初頭以後に、おりしもフーコーが言説分析を行う際に準拠した「言葉の終焉」を看取する。書では、そのことを「フーコーのディスクール分析は、音の保管庫、映画のリールの山を前にして機能不全に陥

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  • 『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』ハーバーマス,ユルゲン/ラッツィンガー,ヨーゼフ(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「宗教と哲学」 2003年1月にハーバーマスとヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が対話をした時には、世界的な注目を集めたという。若い頃には革新的な姿勢を示したラッツィンガーだが、その頃にはすっかり保守化して、カトリックの右派とみられていたからである。この対話はカトリック教会側から提案されたものらしく、ハーバーマスは「ライオンの洞窟に行くような気分だ」(p.60)と語っていたらしい。やがてこの枢機卿がローマ教皇になるのだから、ものごとは分からないものだ。 セッティングはカトリック教会側が行ったらしいが、対話のトーンはハーバーマスのものである。「ポスト世俗化時代」というのは、ハーバーマスが長年抱えてきた問題意識なのだ。世俗化というのは、国家が教会と分離してきた長いプロセスを示すものである。これはドイツでは特に深刻な問題として考えられてきた。ルターf派の宗教改革と宗教戦争の後の

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  • 『日本はなぜ敗れるか―敗因21カ条』山本七平(角川書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「安倍晋三“想定外”内閣」成立時にこそ読み返すべき著作」 先日行われた衆院選の結果、自民党が圧勝し、安倍晋三氏が再び首相の座につくこととなった。選挙での勝利それ自体については、大方の予想通りであったものの、その後彼らが進めようとしている政策の内容は、この社会の多くの人々が期待していたようなものというより、むしろ温め続けてきた念願を、自分勝手にでも押し通そうというものに見えざるを得ない。 果たして、震災からも復興もままならない今日の日社会において、憲法の改正が喫緊の最重要課題なのかどうかは疑問が残る(もちろん、そうした意見を持つ人たちが一定数いることは確かだとしても)。 この点において、今後安倍内閣が無理にでもこうした政策を押し通そうとするならば、この社会は、2011年3月11日に引き続いて、様々な「想定外」の事象に見舞われ続けるのではないか、といっても過言ではない

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  • 『二〇世紀の戦争-その歴史的位相』メトロポリタン史学会編(有志舎) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「二〇世紀は、義和団の乱とボーア戦争[に]よって幕を開け、第一次および第二次世界大戦という二度にわたる未曾有の大戦争を人類は経験した。一九一四年以降、二〇年代の一時期を除いて地球上に戦争がなかった年はないと言われ、戦争や紛争によって命を落とした者の合計数は一億九〇〇〇万人に及び、二〇世紀は史上最も多くの人びとが非業の死を遂げた時代であった。二〇世紀が「戦争と殺戮の時代」と呼ばれるゆえんである」。 書は、シンポジウム「二〇世紀の戦争-世界史的位相」を基にしている。シンポジウムの目的は、「第一に、第一次世界大戦、第二次世界大戦、戦後の一局面をイギリス、日ドイツなどの事例に基づいて実証的に明らかにすることにある。第二に、戦争という角度から二〇世紀を考察し、戦争が、何を変え、何を生み出し、そして現在に何を残したのかを問うことである。戦争によって刻印された二〇世紀を知り、

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  • 『江戸の読書会』前田勉(平凡社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「近世にあった「創造的な場」」 『ジェイン・オースティンの読書会』みたいなものを連想すると、大分ちがうようだが、江戸時代の日にも「読書会」があったらしい。『江戸の読書会』という書名をはじめて見たとき、山田風太郎の小説『エドの舞踏会』を思い出した。これは風太郎の「明治もの」に属する作品で、明治の元勲の夫人たちがみな芸者上がりというところに目をつけて、鹿鳴館華やかなりし頃の近代日の裏面をユーモラスに描いている。「明治の中の江戸」的なもの、実はそれが明治をつくった当のものなのに、明治国家ができあがると滅びていって、昭和の破局にいたる。そんな風太郎的なモチーフを思い浮かべながら読むと、書からもまた別の感興が立ちのぼる。 さて、書は、「江戸の」と題しながら、明治の自由民権運動の話から始まる。 「斬髪して間もない武士や町人・農民たちは、演説会や読書会のなかで西欧近代の自由

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  • 『世界の美しい欧文活字見本帳 ― 嘉瑞工房コレクション』嘉瑞工房(グラフィック社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「良い組版ってなに?」 パソコンとともにワープロソフトが普及し、だれもが自分で文字を組んで文章を発表できるようになった。文章に合ったフォントを選び、強調したい部分には「太字」を使い、ちょっと窮屈だなと思ったら行間をあけるなり改行するなり、色々と工夫をこらす。 こんな、昔は印刷会社などのプロに任せていた組版作業が、いまや会社や自宅のパソコンで手軽にできるようになった。キーボードを叩くだけで文字が勝手に並んでくれ、お利口さんのワープロソフトのおかげで、禁則処理のようなややこしい作業も自動で実現される。 「良い組版とか、綺麗で読みやすい文字組みとかって聞くけど、そんなの見てもわかりません。とりあえずワープロソフトに任せておけば大丈夫でしょ」 これが多くの人の正直な感想ではないだろうか。 会社の会議なんかで配布する資料程度ならそれでもいいとは思うが、何度も読み返してほしい書籍

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  • 『資源の戦争-「大東亜共栄圏」の人流・物流』倉沢愛子(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「書を通じて訴えたかったことは、住民にそれだけの犠牲を強いて実施した経済施策は、全く現地の実情や民生の向上などを考えず、そのために意図せざる人的被害を現地の社会にもたらしたということ、そしてそれだけの犠牲を強いて実行した資源取得政策が、日の目的にさえかなわなかったこともあったということである。どこに怒りをぶつけたらよいのか分からない戦争の理不尽さ、資源の無駄遣いを具体的に指摘することを、書は一つの目的としている」と、著者倉沢愛子は「序章 「大東亜共栄圏」の人流・物流」を締めくくっている。 東南アジアの地域研究を専門とする著者は、その序章で、戦時期の日経済史研究を高く評価し、「書が目指すもの」をつぎのように語っている。「戦時期の日経済史研究の蓄積は非常に厚く、日がどのような経済的戦略で戦争を遂行し、何がうまく行かなかったから戦争経済が破綻したのかについては

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  • 『コロニアリズムと文化財-近代日本と朝鮮から考える』荒井信一(岩波新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 近年日韓国の学術交流がさかんになって、日人研究者が韓国で発表する機会も増えている。これらの日人研究者、とくに日考古学、日近現代史を専門とする者は、書で書かれているようなことを充分に認識しているのだろうか。もし認識していなくて、交流を通じてもそれに気づかないのであれば、その交流は逆効果に終わってしまう。 最初の日による朝鮮の文化財略奪の舞台となったのは、高麗時代の13世紀にモンゴル侵攻によって30年間王都があった江華島で、1875年に日軍が攻撃したときだった。その後、江華島だけでなく、約500年間高麗の王都があった開城付近で、無数の墳墓があばかれ、「どの山もどの丘も一面蜂の巣のごとくに穴だらけとなっている」という状況になった。江華島では、日より早く1866年に攻撃し、島の一部を約40日間占領したフランスが「古文書その他の宝物を奪い建物を焼いた」。欧米

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  • 『雑誌メディアの文化史-変貌する戦後パラダイム』吉田則昭・岡田章子編(森話社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「雑誌文化の過去・現在・未来」 書は、新進気鋭のメディア論者たちによって編まれた、雑誌文化に関する論文集である。 といっても、単に雑誌メディアの現状に関する記述を寄せ集めただけではなく、むしろ幅広い視野の論文集となっているのが特徴的である。それゆえに、このメディアのこれまでの経緯と特徴、そして現状と問題点、さらにこれからの展望といったように、過去・現在・未来にわたって、実に見通しのきいた著作となっている。 編者の手による序章でも記されているように、日社会において雑誌文化は独特な発展を遂げてきたと言ってよい。 それは、一つにはテレビや新聞といった極めて規模の大きいマス・メディアとは違って、読者との共同体を形成しつつ、適度な細分化によって、個性的な文化を育んできたということである。ファッション音楽、スポーツ、その他の趣味・・・といったように、代表的な文化ごとに、それ

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  • 『イギリスの大学・ニッポンの大学 ― カレッジ、チュートリアル、エリート教育』苅谷剛彦(中公新書ラクレ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「東大って、やっぱりダメなの?」 オックスフォード大学との比較を通し、日の大学、とくに東大を批判する――たいへんわかりやすい図式だと思う人もいるかもしれないが、ややトーンの変わる第三部に至って、語ろうとする内容をはみ出さんばかりに横溢する著者の熱意に打たれる。筆者自身にとっても生々しい問題なので、今回は多少書評の枠をこえて末尾で私見も述べたいと思う。ともかく、まずはの紹介から。 書は三部構成からなる。第一部はオックスフォードに専任教員として赴任した著者のカルチャーショックを描いた一種の「旅行記」と考えればいい。ただし、『ガリヴァー旅行記』のようなものとちがって視線はまっすぐというか、珍妙なものをおもしろおかしく描くというよりは、まじめで、建設的である。 なかなかこうはいかない。オックスフォードやケンブリッジの大学システムというのは、はじめて見る人にとってはどうし

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  • 『地上 ― 地に潜むもの』島田 清次郎(季節社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 『生きる技法』安冨歩(青灯社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「自己嫌悪ワールド」からの脱出」 今年話題を集めた『原発危機と「東大話法」』(明石書店、2012年1月) というは、あの「3.11」であぶりだされた日社会の病理を「言語」の問題として看破したのが衝撃的だった。自らの「立場」のためには、当然のように「名」を偽り、責任の主体を隠蔽し、既定の路線をロボットのように邁進するエリートたち。こんな「いつか来た道」を繰り返させているのが、彼ら自身を呪縛している「欺瞞の言語」の体系であるという慧眼。そこには、学問は意味そのものについて語ることはできないが、それを阻むものの正体になら迫ることができるという著者の深い哲学が込められている。 遅ればせながら、先頃ようやく過ぎ去った長い残暑の中、この著者、安冨歩先生(東京大学東洋文化研究所教授)の一連の著書を読み漁っていた。安冨先生の言葉は、言われるところの「東大話法」とは対極で、学問を積

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  • 『歴史を考えるヒント』網野善彦(新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「日」という国名はいつできたのか?」 「日」という国の名前が決まったのはいつか? 一体どれだけの人がこの基的な質問に対して正確に答えられるだろうか。網野善彦の体験によると、大学生の解答は「紀元前一世紀から始まって十九世紀まで、満遍なく散らばって」いたそうだ。国家公務員の研修でも結果は似たようなもので、ほとんどの人が知らなかったということだ。アメリカ人や中国人に同様の質問をした時は、1776年や1945年という答えがすぐに返ってきている。 この事実だけで、日人は愛国精神が足りないなどと判断するのは短絡であろう。しかし、「愛国」を振りかざして国民を「亡国」へと導いていく政治家達の、一体何名がこの重要な質問に答えられるだろうか。網野の『歴史を考えるヒント』によると「現在の大方の学者の認めるところでは、浄御原令という法令が施行された六八九年とされている」とのことだ。

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