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倫理に関するnijuusannmiriのブックマーク (23)

  • 交通量も少なく誰も見ていないとき横断歩道の信号機に従うだろうか?: 極東ブログ

    年末の連休に入った静かな明け方。ふと、散歩に出かけたくなり、出かけた。いつもなら早朝の通勤の人などもそれなりに見かける時間だが、今朝は少ない。自動車も少ない。そのまま私は、空虚に魅せられたようにさらに人の気配のない、死んだような朝の街を選んで歩いて行くと、横断歩道の信号機に合った。赤である。私は立ち止まる。 自動車は来ない。信号が青になるのを待ちながら、ふと、信号機が青に変わるまで待つ必要なんかあるのだろうかと思う。 見渡しが悪いわけでもない。自動車も来そうにない。信号機に従わなくても誰も見咎める人もいそうにない。つまり、信号機を無視してもなんら問題がない。 そういうとき、若いときの私は信号機を無視したものだった。欧米人は普通そうする。そもそもルールなんて人の世界の相対的なものである。などと思っていた。しかし欧米人ならすべてそうするわけでもない。フランス人は、自動車が来なければ信号を守らな

    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2015/12/29
    信号機自体は、車が来ないことが明らかなら、歩行者にはそれを守る義務はないはずだが、まー、そういう問題でもない。←義務はあるのか。
  • ミトコンドリア病治療を含めた人工授精の倫理的課題: 極東ブログ

    ミトコンドリア病治療含めた人工授精について、英国議会での承認を目指すというニュースが27日のBBC(参照)や28日のガーディアン(参照)で話題となっていた。確かにこれは倫理的な課題がありそうだなと私も思い関心を持ったが、いち日人としては、日ではこれは話題になりそうにないなとも思っていた。 日で報道はないかもしれない。ブログに書くべきだろうかとためらっていたが、昨日付で共同の報道があった。邦文で読みやすいので紹介し、簡単にメモ程度であるが言及してみたい。 共同「他人の卵子に核移植、英が体外受精で実用化検討」(参照)より。なおこの報道は英メディアの伝聞なので、全文引用する。 遺伝性のミトコンドリア病の予防などを目的に、受精卵の核を、別の女性から提供され核を取り除いた卵子に移植して胚を作る体外受精の方法について、英政府が実用化のため、来年の議会での承認を目指し検討を進めていることが28日分

  • 中国の国立機関の研究チームが悪魔の実験 致死率の高いH5N1型鳥インフルエンザウイルスと感染しやすいH1N1型豚インフルエンザウイルスをミックスして「豚-鼠間で空気感染するウイルス」を作成してScienceに発表 国際的非難を浴びる - 天漢日乗

    中国の国立機関の研究チームが悪魔の実験 致死率の高いH5N1型鳥インフルエンザウイルスと感染しやすいH1N1型豚インフルエンザウイルスをミックスして「豚-鼠間で空気感染するウイルス」を作成してScienceに発表 国際的非難を浴びる バカじゃねえの。 中国の科学者にも医学者にも「倫理」などない ことが露呈した。 なんと、5/2付でオンライン版のScienceで発表された、 中国農業科学院哈爾浜獣医研究所の陳化蘭チームの論文 が とんでもない実験をやらかして発表されたもの なのである。 まずはScienceのアブストラクにリンクを貼っておく。 H5N1 Hybrid Viruses Bearing 2009/H1N1 Virus Genes Transmit in Guinea Pigs by Respiratory Droplet 要するにだ、 豚インフルエンザのH1N1と高病原性鳥インフ

    中国の国立機関の研究チームが悪魔の実験 致死率の高いH5N1型鳥インフルエンザウイルスと感染しやすいH1N1型豚インフルエンザウイルスをミックスして「豚-鼠間で空気感染するウイルス」を作成してScienceに発表 国際的非難を浴びる - 天漢日乗
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2013/05/05
    天漢さん。これは…、生物兵器?「中国の国立機関の研究チームが悪魔の実験 致死率の高いH5N1型鳥インフルエンザウイルスと感染しやすいH1N1型豚インフルエンザウイルスをミックスして「豚-鼠間で空気感染するウイルス
  • SYNODOS JOURNAL : 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美

    2012/9/2811:0 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美 アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代 著者:児玉 真美 販売元:生活書院 (2011-10) 販売元:Amazon.co.jp クチコミを見る 尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。 「おぞましいこと」は当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分

    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2012/10/04
    ふーむ。
  • 米国医師会による「患者との恋愛ルール」

    日経メディカル運営の「日最大級」医師求人メディア。転職支援会社が扱う求人情報のほか、医療機関からの直接求人情報も掲載!

    米国医師会による「患者との恋愛ルール」
  • われわれの中にある「相撲的なるもの」:日経ビジネスオンライン

    昨年来、角界の不祥事については、当欄だけでも、3回分の原稿をアップしている。書くべきことは既に書きつくした。できれば、相撲の話題には触れたくない。うんざりだ。相撲にも相撲報道にも。 なので、今回は、相撲そのものについてではなく、相撲を相撲たらしめているわたくしどもの世間のありようについて考えてみたい。イッツ・ア・相撲る・ワールド。吊り屋根の下の小さな世界。その互助会体質の光と影について、だ。 相撲の闇はわれわれの足元の闇に源を発している。そして、その恥辱はわれらひとりひとりの個人的な恥辱に連なっている。それほどに、「相撲的なるもの」は、日人の足腰に深く取り付いている。阿吽の呼吸と惻隠の情。魚心と水心。政治とカネ。土建と利権。土俵と泥と義理と人情。徳俵というグレーゾーン。白黒つけない政倫審。無罪を前提とした強制起訴の落としどころと罪を濃淡として描く水墨画的な倫理観。星取表のグラデーション。

    われわれの中にある「相撲的なるもの」:日経ビジネスオンライン
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2011/02/18
    「法令の遵守は、罰則による威圧や、社会的な強制よりも、美意識によって達成されるべきだ、ということだ」
  • 「獣」のアウトソーシング - 地を這う難破船

    ⇒主観病者 - halt. ⇒NightStalker俺 - halt. b:id:WinterMute コミュニケーション, メタブにつづく  「男=獣=自分」ではなく「犯罪者=獣≠自分」、「野犬は空手で撃退」ではなく「野犬が出るので女子供は夜の森に近づかないように」という意図なんだと思う。なので「そんなこと言ってない」になる(メタブに) はてなブックマーク - 「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしない過去 b:id:WinterMute メタブックマーク   賛成はしないが、「犯罪者=獣≠自分」と「野犬が出るので女子供は夜の森に近づかないように」自体は一貫してる。だから「ダブスタだ」って指摘は噛み合わないと思う。 はてなブックマーク - はてなブックマーク - 「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別 - 過ぎ去ろうとしな

    「獣」のアウトソーシング - 地を這う難破船
  • 「法に逆らうな、売春婦」 - 地を這う難破船

    ――出典はクリント・イーストウッドの映画『チェンジリング』。映画館でこの台詞を聞いたとき、まことにイーストウッドだなと思った。脚を彼が書いていないことはもちろん知っている。 ⇒排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。 つまり、そういうことなのだが。そして、そういうことであることがわからない人は、どれだけ説明してもわからないのかも知れないとは思う。以下、mojimojiさんに対する批判ではない。 イーストウッドの映画には、毎度のごとく、法の側、秩序の側に立つ者であることを利用して、他者を抑圧し、服従させて、そのことに快楽を覚える、自身の所持する権力を自身の所持する「男」としての力と混同するサディストが登場する。あるいは偏見を公然と詳らかにする、自らを法を遵守する市民と規定する者が登場する。その、カテゴリーの意図的な反転はイーストウッド監督作の面白さであり、それ

    「法に逆らうな、売春婦」 - 地を這う難破船
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/10/06
    「「法に逆らうな、売春婦」「法に逆らうな、テロリスト」「法に逆らうな、不法入国者」「法に逆らうな、反日シナ人」「法に逆らうな、サヨクとウヨク」という社会的な快楽」
  • 排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090929/p1の続き。たとえば、「「暴力」の意味がブレてる。暴行・障害罪等の意味で取れば思想は関係なくなる。排外主義を暴力的思想として批判するなら暴行・障害罪とは別の話。殴らなくても排外主義だが、暴行・障害罪にはならない」みたいな意見がバカげている、ということについて。 「殴る」という直接的暴力も、差別のような構造的暴力も、人を傷つけ、そこから追い立て、当たり前の尊厳を奪い取るという意味で、まったく等しく、暴力です。では、どうして一方に対しては法で取り締まられ、警察・監獄に象徴される制度化された対抗暴力が発動されるのに、他方に対してはそうではなく、ほとんど何もなされないのか。それは、少なくとも、暴力としての程度が小さいからではありません。程度の大小について何かを言える根拠などどこにもありません。 直接的暴力は、行為であり

    排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/10/06
    微妙。気持ちは分かる。でも、その論法だと「排外主義それ自体が暴力」に同意できない人の、あの「直接的暴力」に対する批判や反感を萎えさせちゃうよ。結果、あの暴力「犯罪」の問題が曖昧になってしまうのでは。
  • 日の丸充なう - (元)登校拒否系

    nopikoさんが指摘したように、問題はここに物理的暴力がうつっていることではありません。フランス国王の支配を覆したのも、大日帝国を倒したのも、暴力です。暴力はそれ自体が直ちに悪いわけではありません。 しかしここには まごうかたなき悪があります。日の丸です。日の丸の暴力は、悪い。 そして街を歩いてみれば、いたるところにこの悪の旗を見つけることができます。役所に、学校に、競技場に。その旗と旗をつなぐようにして外国人差別のシステムは日国家を構成しています。それが、すでに暴力です。なにもおこっていないかのような日常が、常に暴力です。そして在特会はこのシステムを構成する一要素です。けっして例外的なゴロツキではありません。 在特会を例外的な絶対悪として切り捨てたり、彼らの未熟さを嘲笑うことは、日というもの自体の暴力や、「一般の」日人の責任を曖昧にしてしまうでしょう。 単一民族強制されて、俺ら

    日の丸充なう - (元)登校拒否系
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/10/01
    在特会が「例外的な絶対悪」なわけは無い。そこは同意できる。/しかし、あれはベタな暴力犯罪。/俺は暴力そのものが悪だと思うよ。
  • 排外主義それ自体が暴力です - モジモジ君のブログ。みたいな。

    そして、動画につけられたブックマーク。*1 ブックマーク・コメントを見ると、「思想はどうあれ、暴力はよくない」的な主張が散見されるが、これはどういうことか。在特会の排外主義プラカード&シュプレヒコールは、在日外国人にとっては直接の恐怖だ。常野氏に対してふるわれた暴力に勝るとも劣らない暴力、どっちかだけ批判とかありえない。 元々、薄く広がる無自覚な排外主義は日社会の隅々にある。そういう排外主義的な主張に接しても「事を荒立てない」「大人の」態度が当然とされる。その一方で、近年の右傾化を経て、音ダダ漏れ化が進行、春先のカルデロンのり子さんの問題が持ち上がった頃、「当事者の生活空間に押し寄せて排外主義の主張を行う」という特異なデモが企画されたあたりから、具体的に目に見える形を取り始めた。それから、今回の事件。排外主義者のデモに対して「排外主義反対」の紙切れ(即席プラカード)を掲げた男性に対する

    排外主義それ自体が暴力です - モジモジ君のブログ。みたいな。
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/09/30
    気持ちは分かるけど、あの暴力は「排外主義それ自体が暴力」という次元とは別に、単なる犯罪でもあると思うんだ。俺は排外主義を認めないが、「あれは犯罪だから批判する」という意見そのものはありだと思う。
  • リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船

    絶句したので書く。 ⇒はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ ⇒はてなブックマーク - YouTube - 在特会・東京デモを侮辱する反日シナ人が即撃沈される!(21年9 27) ⇒はてなブックマーク - http://news.2ch.at/news/s/news2ch24160.jpg id:hisamatomoki これはひどい, これはひどすぎる, デモ, 社会, 在特会, 政治, 酷使様  最悪の事態にならなかったことは不幸中の幸い。/ とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。/ 日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ hisamatomoki メタブクマ  参加者のところの情報(mixi)だけど、叩いて

    リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/09/29
    動画を見たら単なる犯罪としか思えなかった。被害者が左翼で、それを擁護したら「お前も左翼だろ」と言われる。変な世の中だな。あれが左翼のデモで右翼少年が同じ目にあっても同じように思うよね、と。
  • うーむ、「道義的義務」というのは修辞であって、法的な規制であるべき「義務」ということを無意味化しているのではないかな - finalventの日記

    ⇒移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - 感じない男ブログ 別の言い方をすると。 問われているのは、社会の制度(法制度)で、あって、その制度推進には参政する個人の道徳的感性はあるかもしれないけど。 市民の行動は、社会的には法によって規制され、個々人においてはその個人の行動がその道義によることを妨げてはいけない、ということではないかな。 別の言い方すると。 「道義的義務」は個人には問われるけど、社会的には問われる問題ではないので(「道徳的義務」はそこでは修辞)、法的な議論とは分離されるものではないかな。 で。 「道義的義務」を自分がまっとうできないがゆえに、ある法制度の成立に反対するというのは、一つの政治運動というか宗教・倫理的な行動としてはありうるけど。けど、公的にそのことが問われたとき、答えるかどうかは自由の問題だろうと思う。 ナッジ的に考えると……まあ、考えることはできる

    うーむ、「道義的義務」というのは修辞であって、法的な規制であるべき「義務」ということを無意味化しているのではないかな - finalventの日記
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/07/13
    「「道義的義務」は個人には問われるけど、社会的には問われる問題ではないので(「道徳的義務」はそこでは修辞)、法的な議論とは分離されるものではないかな」
  • 移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - kanjinaiのブログ

    あしたの採決の前に、書いておきます。 もし仮にA案、A’案が通ったとしたら、これまで子どもの移植を訴えてきた親の方々は、つらい状況に追い込まれるのではないでしょうか。 それは、移植を待っているあいだに、不運にも、子どもが脳死になってしまった、あるいは心臓死になってしまったときに、親は脳死・心臓死の子どもから臓器を摘出して移植し差し出すかどうかを問われることになる、ということです。(いまはそういうことは日では生じません) このとき、 ・ 親には、脳死・心臓死になった子どもから臓器を摘出する法的義務はありません。 これは確かなことです。 問題となるのは、 ・ 親は、自分の子どもには臓器をくださいと言っていたのだから、自分の子どもが脳死・心臓死になったときには、自分の子どもから臓器を摘出して差し出す、道義的義務があるのかどうか? という点です。言い換えれば、 ・ 「うちの子どもに臓器をください

    移植を待つ親は、子が脳死になったら臓器を出すか? - kanjinaiのブログ
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/07/13
    前にもブログで書いたけど、当事者にしか分からない・関与し得ない領域の話だろう。道義的義務とは他者に問われなければならないものなのか。逆に「提供した親に対して向けられる世間の非難/蔑視」の方が気になる。
  • 【閲覧注意】我が子の臓器提供できますか?:アルファルファモザイク

    臨床的脳死判定、次のような基準により判定されます。 Ⅰ.対象症例 脳死の判定となる対象は、次の2条件を満たしている症例である。 (1) 器質的脳障害により深昏睡及び無呼吸を呈している症例、  (2) 原疾患が確実に診断されており、それに対し現在行い得るすべての適切な治療をもってしても 快復の可能性が全くないと判断される症例。 Ⅱ.除外例 患者が深昏睡、無呼吸であっても、脳死判定に際しては次のような症例は除外しなければならない。 (1) 小児(6歳未満) (2) 脳死と類似した状態になり得る症例 a) 急性薬物中毒  b) 直腸温で32°C以下の低体温、  c) 代謝・内分泌障害 (3) 妊娠22週以降(又は、胎児の推定体重500g以上)の妊婦。 Ⅲ.判定基準 (1) 深昏睡 Ⅲ-3度方式では300, グラスゴー・コーマ・スケールでは3でなければならない。 顔面

    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/06/19
    これは、その立場になった時でないと分からないよ、どっちにしても。その立場になった時に選択できる制度設計が大事なわけで。気になるのは、臓器提供しなかった親に対する批判よりも、した親に対する反感や蔑視。
  • 魂と権利の落としどころ - 地を這う難破船

    ⇒「いのちだいじに」教はてごわい - すべての夢のたび。 反応に感謝を申し上げたうえで、反応を拝見しての私の見解を。 (前略)まぁ「エホバの側に立つ」はもちろん釣りタイトルなんで、そこを云々されてもこちらに応答する言葉の用意がないのですが、そういったタイトルを使うことで非難を受ける可能性は織り込み済みで、しかし得る効果を考えて使っているということです。 ――ん? 『たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ』エントリの趣旨を的確に表していると、読者としては思いますが。村上春樹スピーチの改変も適当と思います。「エホバの証人が間違っているか否かは問題ではない」ですよね。村上春樹も趣旨としてそう言っています。「正しい/間違っている」は問題ではない、と。「わかってやっている」的なエクスキューズは不要です。「不謹慎」をわかってやっていることは明白なので。 が、だからこそ、当該の輸

    魂と権利の落としどころ - 地を這う難破船
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/03/23
    「輸血拒否問題は、エホバの証人と「いのちだいじに」教の「信念」の衝突の問題ではない。親の権利と子の権利の権利の衝突の問題です。日本国においては生存権は親権に優先するということです」なるほど。
  • 「いのちだいじに」教はてごわい - すべての夢のたび。

    いいわけよりはじまる ぼくが「何かについて」のエントリを書く動機は、自分の中のもにゃもにゃしたよく解らないものを考えることでまとめてみよう、という部分が大きい。なので、書き上がった時点である程度ケリが付いてしまい、考えはまた別の「何か」に向かってしまう。熱を維持できないのです。まぁでも、即応答、だと無駄に熱くなりがちだったりするし、時間おいて冷めてから振り返って書くのもいいかなと。 今まで使ってなかった小見出しのスタイルシートをいじった。この文章では無駄に多用したいと思います。なんかかっこいいなぁと思ってたんですよね。 ぼくの「ブクマされにいく」文章は、普段のぼくの考えより幾分「強く」「派手に」「過激に」なるように意識して書かれています。そのほうが遠くまで飛んで刺さりますから。それと「明らかに狂っている」よりは「境目ギリギリ」くらいを狙ってコントロールして書いています。例えば“ニセ科学”の

    「いのちだいじに」教はてごわい - すべての夢のたび。
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/03/21
    「ここも重要なので繰り返しますが、「あいつらの言うことは明らかにおかしいから無視していい」では駄目なんですよ」/うーん、そうなんだけど、というか、そうなんだよね。むー。
  • スローターハウスの倫理 - 地を這う難破船

    ⇒たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。 個人の意思は人命に先立つ、という「一般論」は普通に危険思想です。ナチナチ言う気もないけれど、「だから」カトリックを私たちは否定できない。「私たちの命は神の御心だから、人間の意思で命を左右してはならない」。 「意思は人命に先立つ。それが人間の尊厳だから。危険思想かも知れませんが何か?」――それがみちアキさんの一貫したスタンスと思っているけど、「だから」当該の司教にダメを出すことは「探る」までもなく当然と、他人ながら思った。みちアキさんにとって「倫理」の下位概念であるところの「教義」に基づいて他者の意思に干渉しているのだから。 もちろん、みちアキさんは「人命」をなんら問題にしていない。「思い至」るまでもなく「妊娠4ヶ月の胎児の命も1歳児の命もその重みに大差はないと考えている」ことは当然と他人事ながら思った

    スローターハウスの倫理 - 地を這う難破船
  • [書評]精神分析を受けに来た神の話―幸福のための10のセッション(マイケル・アダムス): 極東ブログ

    書店で見かけ、標題「精神分析を受けに来た神の話―幸福のための10のセッション(マイケル・アダムス)」(参照)が気になって手にした。ぱらっとめくったものの、未読の「神との対話」(参照)とか、ありがちなスピリチュアル系の話かなと思って書架に戻した。が、その後、巻末の問い掛けが心に残り、なんとなく気になってアマゾンでポチっと買った。昨晩、寝るかなと思って退屈げなのつもりで読み出したら止まらず、睡眠時間を削ることになった。 面白いといえば面白かった。二時間か三時間くらいで読めるだが、たぶん、この業界というのもなんだが精神分析というかカウンセリングの内側を知っている人にはいろいろ業界的な発想が伺える面白さもある。 書店の紹介にはこうあるが。 「私」 と 「世界」 をつなぐ幸福のヒント。ある日、「神」 を名のる男が精神科医のもとを訪れた。対峙する両者。思いがけぬ事態の展開に導かれ、徐々に変貌する心

    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2009/02/04
    「この社会や世界にとって、実際的な意味での自由意志とは権力の度合いを示している。」
  • 「ファースト・レイプ」という言葉の本末転倒 - 地を這う難破船

    Lhankor_Mhyさん、ポイントを送信してくださってありがとうございます。感謝します。 もうすでに実際にレイプがあったものとして容疑者について何か言っている人も目立ちますが、そういう人は過去のいろいろな報道で何をどのように学んだのか皆目不明です*1。容疑を認めている、ならともかく、容疑を否認している、というのが気になる。 米兵(海兵隊)の犯罪率と「ファースト・レイプ」は当にあったのかについて - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt) 「セカンドレイプ」うんぬん言っている人はそもそも「ファーストレイプ」があったのかどうかについての、容疑者に対する人権意識に疑問を持ったのですね。まぁレイプ以外のことはあったとは、ぼくも思いますが。 米兵(海兵隊)の犯罪率と「ファースト・レイプ」は当にあったのかについて - 愛・蔵太の気になるメモ(hom

    「ファースト・レイプ」という言葉の本末転倒 - 地を這う難破船
    nijuusannmiri
    nijuusannmiri 2008/02/21
    「法的な議論と倫理的な議論は違います。/「容疑者に対する人権意識」を持ち合わせることと、性暴力と付随するセカンドレイプを批判することは、普通に両立します」同意。