「公」ってのを個人にどこまで負わせるか、というのは難しい所ではあります。叩くべきは「暴」であり、底から離れての批判というのはやりすぎといわれるのも宜なるかなではあります。 「失言」や「暴言」の範囲はあらかじめ定義されているわけではない。情報の受け手が問題だと思えば批判を受けることもあり得る。いくら慎重に言葉を選んでいても、何が問題になるかは情報を発信した時点では判断できない。例え日常的なことを書いていても突っ込む事はできる。「ラーメンのことばかり書き込んでいて、職務への真剣さが足りない」という批判もあり得るからだ。 復興庁職員のTwitter暴言騒動、報道に問題はなかったか(藤代裕之) - 個人 - Yahoo!ニュース 確かにそういう事態が発生したら問題。とはいえ、ちょっと違うんじゃないかなーって思うのは、少なくとも公の立場の職務について、本音をダダ漏らすことが社会にとって重要な話か?と