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philosophyとscienceに関するnosuke42のブックマーク (7)

  • デモクリトス × ライプニッツ

    原子と単子(モナド)1 デモクリトスを初めとする古代原子論とライプニッツのモナドロジー。このどちらを選ぶかは、原子かモナド(単子というはよく分からないから、モナドという余計分からない言葉を使っておく)か、という選択の問題ではなく、むしろ世界の秩序の問題である。  デモクリトス(やレウキッポス)が原子を選ぶのは、それがすっきりしているからである。まず基準になるものを求めよう。それには、それ以上分割できない(これがアトムの原義である)最小もの、つまり原子を設定する。あとは、物の違いや変化を、原子の形や組み合せ、位置関係によってすべて説明できる。これ以上のものは要らない。デモクリトスの考えでは、そのためには、原子は形と大きさが違っていればよい(エピクロスはこれに「重さ」を加える→デモクリトス対エピクロス)。逆に言えば、質的な違いはなくてよいのである。例えば味覚を考えてみよう、甘いものは丸い、辛い

  • ライプニッツ

    ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz (1646-1716) ―宇宙は生命に満ちている ライプニッツの思想を簡単に説明するのは非常に困難です。ラッセルは、ライプニッツの論理思想を知らずにライプニッツを理解することは出来ない、と言いました。同じように、アリストテレスやスコラ哲学を知らずにライプニッツを読むことは出来ない、と言うこともできるでしょう。でもそんなことを言っていると切がありません。ここではライプニッツの「モナド(monade)」という概念を中心に説明します。 ライプニッツは「実体(*)」の意味を、アリストテレスが「質=形相」と考えたのと同じように、精神的な存在と理解し、これに「モナド(単子)」という名を与えました。これは原子のようなものではありません。ギリシャ語の monas (一つ)という語から作られた、「私」の「意識(=表象)」がその原型であるよう

  • 科学哲学は可能か

    1.科学的方法論と哲学的方法論 書は、およそ認識論的なテーマを考察するためには、現代科学の最先端の業 績をもとにして議論を展開しなければならないとの問題意識に基づいて執筆され ている.従って、各章の論述は、多かれ少なかれ科学的成果を引用し、たとえそ の直接的な発展を企図するものではないにしても、議論を進める際の論拠として こうした科学的な知見を大いに活用してきた。しかし、論者の中には、科学と哲 学は質的に水と油の関係にあり、両者を調和させることは不可能であると主張 する者もあろう。強引に科学と哲学を結びつけようとすると、哲学の側では、科 学主義が内包する素朴実在論の桎梏に身動きがとれなくなり、また科学の側では、 科学的方法論に依拠しない直観に議論をかき乱されて有効性を損なう危険が存す る。こうした事情をもとに、そもそも「科学哲学」など学問として成立し得ない と見なされても、仕方あるまい

  • http://d.hatena.ne.jp/bluesy-k/20070910/1189430305

    nosuke42
    nosuke42 2007/09/11
    論.「なぜ哲学が原典を参照せねばならないのか逆に気になる」
  • 原因と結果 - REV's blog

    結果には原因があるということ http://anond.hatelabo.jp/20070908190829 同じ原因には同じ結果が待っているということ。 (ビッグバンがあったとして)(いや、Blogのタイトルじゃなくて)ビッグバンの特異点から、因果の円錐の内側のものは、すべてAction-reactionの関係にある。 エネルギーと、運動量と、角運動量は、マクロでは、概ね保存される。 パラメーターが少ないときは、速度とかエネルギーの変化とか、片一方を原因、片一方を結果とよび、熱力学的なんとかがあれば、割と不可逆的な原因と結果と我々は認識する。 パラメーターが沢山あるとき、なにを原因と呼んで、何を結果と呼ぶか、それは可也、恣意的だったりする。 「俺がお前を射つのは、お前が俺を侮辱したのが原因だ」 みたいな。 ちょっと追記 [*酔いどれブクマ]確率を絡めた因果の定義もある。事象Bに時間的に先

    原因と結果 - REV's blog
    nosuke42
    nosuke42 2007/09/09
    因果律と思弁的な何か
  • 二つのシンプルな教義

    私は強い信仰を持っている。 シンプルで小さな核を持った信仰だ。 そしておそらく世界で最も活発に信仰されているものだ。 結果には原因があるということ何もないところから突然何かが起こるなんてあり得ないことだ。 何もないように思えたとしたら、それは気がつかなかっただけだ。 同じ原因には同じ結果が待っているということ。全く同じ状態であれば全く同じ結果が待っている。 違う結果が発生したとすれば、それは同じ状態が作れなかったためだ。 教典には疑えと書いてあるけど私は今のところこの教えを疑ってはいない。 十分に小さく十分に完全である教えだからだ。 あなたも知らないうちに信仰しているのではないだろうか?

    二つのシンプルな教義
    nosuke42
    nosuke42 2007/09/08
    便宜上哲学.思弁的な何か
  • 科学的記述系

    nosuke42
    nosuke42 2007/08/20
    実在性は現象内の要素の存在論的資格を問う ことで立現れるのではなく、対象化の過程で無定義概念に付与されます
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