渡辺節という建築家をご存じだろうか。大正から昭和の半ばにかけて活躍し、1952年から14年の長きにわたって大阪府建築士会会長を務めた重鎮だ。大阪・本町にある国の重要文化財「綿業会館」の設計者として知られ、「関西の名手」と呼ばれた。また、若き日の村野藤吾を見出し、自らの事務所に取り立てた人物でもある。渡辺と村野の年齢差はわずか7歳で、相互に影響を与え合ったようだ。 その渡辺節が和歌山市に遺した知られざる傑作が「和歌山大学松下会館(以下、松下会館)」である。同市出身のパナソニック創業者・松下幸之助が、故郷の学生たちのために当時のお金で5900万円を寄附し、1961年に完成した。渡辺節は戦前に和歌山市庁舎(1936年竣工、現存せず)を設計しており、和歌山との縁は浅くない。 和歌山大学は1987年にキャンパスを市北部に移転、現地には松下会館だけが残された。ここ20年ほどは同大学の地域連携・生涯学習
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