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*_E:絵文録ことのはに関するo_keke_nigelのブックマーク (12)

  • ミュージカル・バトンはなぜ大流行になったのか[絵文録ことのは]2005/12/28

    2005年を振り返るシリーズ【6】 2005年6月、ミュージカル・バトンの大流行現象が起こった。このブログでも初期に参加し、またその解説も合わせて書いている。 Musical Baton ミュージカル・バトン!(歴史+回答つき) [絵文録ことのは]2005/06/14 このミュージカル・バトンには批判もみられた。たとえば、「強制される感覚がいや」「ブログでのチェーンメールみたいなものなのだから、止めなければいけない」という批判から、「これは音楽業界のどこかが仕組んだマーケティングリサーチだ」という陰謀論に至るまで、一部で強い反発を招いたのも事実である。 だが、チェーンメールであれば絶対に(ネタにはしても)回すはずのないウェブのパワーユーザー、あるいは著名なネットワーカーも、このミュージカル・バトンにはこぞって参加している。そして、今もバトンは新しく作られ、どこかで回り続けている。 なぜミュ

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    o_keke_nigel 2007/07/27
    【080309追記】はてなハイクも考えようによってはバトンのようなものかもしれない。/バトン=チェーンメール、と断じる前に目を通しておきたい。この件はwebマナーというよりはコミュニケーションの齟齬問題に思える。
  • 「社会正義」から逃げることはできない - z0racの日記

    社会正義が「いやらしい」のは認めるが、だからと云って「個人の正しさ」に逃げ込んでも無責任になるだけである。 2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ[絵文録ことのは]2007/01/13 2ちゃんねるの致命的欠陥――ひろゆきは2ちゃんねらーに責任転嫁すべきだ[絵文録ことのは]2007/01/15 言及記事は連作と云えるのでまとめてリンクする。 先の「2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ」の大きな矛盾は、「2ちゃんねるの致命的欠陥――ひろゆきは2ちゃんねらーに責任転嫁すべきだ」で論点を「2ちゃんねる」の詳細に絞ることにより消し去られている。 が、間接的にでも先行記事で提示された「社会正義のいやらしさ」は解消されないまま、法治主義として棚上げされてしまったのは残念である。個人的には別記事としてそちらを論じて欲しいものだ。 別段「2ちゃんねる」を擁護するのではないが、記事の「2ちゃんねる批判」*1の

    「社会正義」から逃げることはできない - z0racの日記
  • 2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ[絵文録ことのは]2007/01/13

    ドメイン差し押さえが報じられている2ちゃんねるであるが、2ちゃんねらーが様々な騒動を起こすとき、そこには「正義に基づく暴走」がみられるように思う。 彼らは、正義の旗の下に「悪人」を糾弾し、正義の旗の下に「善意」を喧伝する。今なお続くmixi乗っ取り犯による自己正当化の発言を見ている限り、彼らはあくまでも自分たちの行動が正しく、それに反するものをすべて敵と見なす。 自分たちは正義である――だから何をやっても正しい、逆らう奴が悪い。そんな意識が2ちゃんねらーには見え隠れしている、と私は感じている。 (ここで言う「2ちゃんねらー」の定義は後述する) ■悪意と善意 【磨】毎日新聞「ネット君臨」考-ITニュース:イザ! 毎日新聞の記事「ネット君臨」に対する反論として、産経新聞のコラムはこう書いている。 記事では「ネットでは住人たちが一つの話題に群がり、ときに『悪意』が燃えさかる。彼らはそれを『祭り』

  • 2ちゃんねるの致命的欠陥――ひろゆきは2ちゃんねらーに責任転嫁すべきだ[絵文録ことのは]2007/01/15

    ドメイン差し押さえがあろうとなかろうと、2ちゃんねるは(いかなる形であれ)続くと思われるが、2ちゃんねるの最大の致命的欠陥を修正しないと、問題はさらに大きくなる一方だろうと思う。 それは2ちゃんねるには「誰も責任を取らないシステム」が存在しているという意味である。だが、その「誰も責任を取らないシステム」が続く限り、2ちゃんねるはいずれ立ち行かなくなるだろう。 簡単に言えば、「ひろゆきは、2ちゃんねらーに責任を負わせればいい」ということである――とこれだけを読むと意味がわからないだろうから、長々と説明する。 ■2ちゃんねるは誰も責任を取らないシステムである 小難しいのは嫌いなので :kyoumoeの日記(ミス・ユニバース豪州代表) 短くまとめる :kyoumoeの日記(ミス・ユニバース豪州代表) 今、2ちゃんねらーが為すべきこと。 それはひろゆきに責任を取らせることでも、外圧に立ち向かうこと

  • LivedoorBlog以外にも権利侵害規定!ブログ著作権規約を全チェック [絵文録ことのは]2004/11/14

    ブログサービスを使って自分の書いた記事を、自分が自由に使えない? そんなサービスを使う気になりますか? 「livedoor Blog 開発日誌:利用規約の一部変更のお知らせ」では「利用者は、弊社及び弊社の指定する者に対し、著作権等(著作者人格権の行使も含む)を行使しないものとします」と改訂され、物議をかもしている。 そもそも、著作者人格権とは譲渡できない権利。しかし、自社サービスに投稿された人気ブログの内容を勝手にまとめたでも出そうとでもいうのだろうか? ブログサービスの中には、著作権をまるで理解していないところが少なくないようである。 そこで今回は、著作権の規定を再確認した上で、すべてのブログサービスにおける著作権規約を全チェックしてみた。 ■一覧表簡易版(下には詳細版があります) ★★★★★著作権は100%ユーザーに帰属 信州FM、ブログ通信、DI:DO、News Handler、B

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    o_keke_nigel 2006/12/27
    ブログサービス等の規約で「著作者人格権不行使」の規定を置く意味は?…ブログサービス等の宣伝などの目的でコンテンツをモディファイして使うため、という「好意的解釈」でいいか?
  • 著作者人格権 : 何が問題で、どう書くべきか? [絵文録ことのは]2004/11/15

    Livedoor Blogの著作権条項改訂から始まった「ブログの規約における著作者人格権規定」の問題。前のエントリー「LivedoorBlog以外にも権利侵害規定!ブログ著作権規約を全チェック」が長くなってきたので、前エントリーは一覧と規約抜粋のみとし、著作権について考える内容を書き直すこととした。合わせて、「どのように書くなら問題がないのか」といった点についても追記している。 ■著作者人格権は譲渡できない権利 (この項は前エントリーから移行) 著作権については、まず社団法人 著作権情報センターのサイトを熟読すること。ブログサービス提供者は、わからないことがあるなら電話でも聞けるし、初台の東京オペラシティタワーのオフィスに行けば資料を閲覧したり相談したりできるので、ちゃんと勉強してほしい。 著作者の権利は、人格的な利益を保護する著作者人格権と財産的な利益を保護する著作権(財産権)の2つに分

  • 「ランキングサイト」が大嫌いな理由 [絵文録ことのは]2006/03/04

    去年の11月26日、銀座で開かれたブロガー異業種交流会で、私はパネラーとして「嫌いなのはランキングサイトに誘導するブログ」と強調しまくっていた。実際、ランキングサイトへのリンクがついているだけで、そのブログは価値がないと思ってしまう。もちろん、実際には、ランキングがついていても優れた内容のブログは多いはずだが、どうしても嫌悪感が先走ってしまう。 なぜ私はこれほどまでにランキングサイトが嫌いなのか。それは、ランキングが「読者のため」ではなく「著者のため」にあるからだ。そして、それはアフィリエイトと違って、読者に何らかの価値を提供する余地がほとんどないと思う。 ■アフィリエイトを肯定する理由 かつてネットでは「ネットで金儲けはいやらしい」という常識が蔓延していたが、今世紀に入ってからはじわじわとその意識も変わり、特にブログブーム+アフィリエイトで完全に価値観は変わってしまった……という話は、す

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    o_keke_nigel 2006/06/28
    確かにランキング、なんて書く側の都合でしかないわなぁ…。
  • 「パクリ・盗作」スキャンダル読本 別冊宝島 1257(没原稿サービス)[絵文録ことのは]2006/01/26

    書店・コンビニで発売中の別冊宝島1257『「パクリ・盗作」スキャンダル読――オリジナルっていったい何だ?』、ニュー評論家・栗原さんからの紹介があって原稿を二つ書いています(全体の概要は栗原さんのところで。全体目次はこちら)。 一つは、冒頭の記事になった「のまネコ」問題について。基的に淡々と時系列順に出来事を追っていったわけですが、ひろゆきの不自然な発言が浮かび上がってくることが誰の目にもよくわかると思います。 おそらく「反エイベックス」活動家の人たちにとっては腹立たしい最悪の記事といえるでしょう(笑)。最後の一段落では、反エイベックス運動の「罪」についての私の感想を書いています。ここが物議を醸しつつあります(笑)。 もう一つは「ブログでの上手なパクリ方」。要するにいつも書いてる「正しい引用の仕方+肖像権のこと」なんですが、これは無難な原稿。 で、もう一つ記事を書いたんですが、さすがに

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/06/25
    なるほどこれはひろゆき氏も耳が痛かろう…で、松永叩きが一層激しくなったのね。
  • トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか [絵文録ことのは]2006/01/06

    「リンク」が絡む問題に関しては、「文化圏」というとらえ方でものごとを見ると、ネット上の議論もかなりすっきりする部分があるようだ。 ライブドアブログが、1月10日から「トラックバック元の記事にトラックバック先のブログURLが含まれていない場合、受付を拒否する仕組みを導入」すると発表した(livedoor Blog 開発日誌:年末年始を写そう!livedoor ピクスリニューアル、トラックバックスパム防止につきまして)。これは多くのブロガーからは「やっと導入か」という賛同の声も上がっているが、一方で「そんなことされたら、大量のトラックバックが送信できないじゃないか!」と激しく抗議するブログもあらわれた(CODY スピリッツ!:ライブドアブログのトラックバックスパム防止策導入についての文句をローゼンメイデン風に書いてみる)。 トラックバックするときに、相手記事への言及リンクは必要か不要か……トラ

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/05/23
    私自身は「言及リンク文化圏」のつもりだが周りに多いのは「関連仲間文化圏」か。自分自身はスパムでなければ言及なしでも受けます。相手先コメ+言及なしTBという人が結構多いがそれはまぁアリかな、とも。
  • ウェブの二つの文化圏の衝突【後編】ネガティブリンクと批判する側・される側の論理[絵文録ことのは]2006/01/05

    前編「無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理」では、このネット上には大きく分けて二つの文化圏があり、ネットの特性に根ざした原住民型「リンクフリー文化圏」と、一般社会のルールに基づいた移民型「リンク許可文化圏」が存在していることを指摘した。そして、「無断リンク禁止問題」はその二つの文化圏の衝突(カルチャーショック)であり、解決は困難だろうという希望のない結論であった。 後編では、もう一つ、似ているが別の現象である「ネガティブリンク問題」について扱う。これは単純な作法だけではなく、「悪意」を含む・感じ取るという厄介な問題も含まれているので、項目を分けることにした。 ■批判は隠すべきか、明らかにすべきかという対立軸 今回もまた図にしてみた。 もう一つ、批判を匿名でやるのか、固定名(実名または固定ハンドル)でやるのかという軸を重ねるといいんだろうが、3次元グラフにするとややこしいので

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/05/23
    議論をロンパールームと考えている限り「批判」には耐えられないんだろうなぁ…。
  • ウェブの二つの文化圏の衝突【前編】無断リンク禁止問題にみるリンクする側・される側の論理[絵文録ことのは]2006/01/05

    いったい10年前から何回この話題はループしたら気が済むねん、という勢いで論争が繰り返されているのが、「無断リンク禁止」と「ネガティブリンクへの対応」の問題である。 ここ数日、はてなブックマークで急に話題になっているのが、「日一わかりやすいとまでは言えない「URL晒しがダメな理由」」というページで、このページ自体は2004年秋のものである。 ブログでは外部ページへの参照が活発で、さらにトラックバック機能までついているため、従来の「ホームページ」よりも自由にリンクが張られる傾向にある。そんななか、「儀礼的無関心」問題に始まり、最近の「はてなブックマーク暴言問題」に至るまで、特に「否定的リンク」「観察的リンク」の是非が問われてきた。 この辺の問題について、「リンクする側・される側」「批判する側・される側」の関係でとらえてみると整理できるんじゃないかと思って図を作ってみたのが今回のエントリーであ

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/05/23
    「モヒカン族」という言葉を初めて目にした記事。「無断リンク禁止」と言われれば、私自身は「黙ってバックボタン」。
  • 「ことのは」問題を考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    4月中旬、ブログ「絵文禄ことのは」の松永英明氏にインタビューした。すでに多方面で議論の的になっているが、インタビュアーはGrip Blogの泉あいさんとアルファブロガーのR30さん、それに私である。このエントリーやここ、ここなどに詳しい。いったいどのような事件が起き、なぜこのようなインタビューが実現したのかは、これらのエントリーを読んでいただければと思う。 私がこの企画に参加したのは、認識とコミュニケーションの断絶という問題にここ最近、ひどく囚われていたからだった。「総中流」といったような共通の土俵が日社会から徐々に失われ、人々の拠って立つ場所は細分化されつつある。余談になってしまうが、たとえば私は先日、産経新聞のコラム『断』に次のような短い原稿を書いた。 四月十一日の朝日新聞夕刊に、「『若者よ怒れ』 新宿ロフト代表の平野悠さん」という記事が掲載された。名門ライブハウスの六十一歳になる代

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/05/23
    「イデオロギー批判とイデオロギー暴露は分けて考えるべき」という故丸山眞男のテーゼを改めて認識させられる。
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