このエントリを読んで、ある程度納得する部分はありつつも、差別や偏見をヒューリスティクスな手法を採用することと結び付けて考えることに抵抗があって、ブクマでも「差別のことを合理性と呼ばない」のはなぜかと言うことを自分に問いただしてみるも、イマイチ回答が思い浮かばない。そんなときに、以下のエントリを読んだ。 ヒューリスティクスと差別 - raurublock on Hatena それで大体わかったんだけど、先のエントリで示されるヒューリスティクスによる合理性は、あくまで当事者の利益においてのみの合理性であって、あるいはそれは社会全体にも適用されるかも知れないけれど、そのことは、一部のもの(あるいは人)を明確に切り捨てると言う意思の元なされることであって、そのことは、正に差別そのものなんじゃないかと思いました。だって、差別ってのは社会にコストをかけないために採用された手法であり、それはコストをかけ