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communicationに関するo_keke_nigelのブックマーク (369)

  • 自信の搾取とその連鎖 - 誰かお尻拭いてください

    「自分は努力したから、お前達も努力すべきだ」的思考をする人の不思議なところは、「努力すれば成功する。努力しなければ成功しない。」とか言うとこなんですよ。もしホントにそうだったら、努力してない(ように見える)人達はうまく行きたいと思ってない人なんだからほっときゃいいはず。「自分は成功したいから努力します、あなたは別に成功したくないんですか、だったらいいです。」で終わりなはず。そこで「お前達も努力すべき」っていう僻みがチラつく発言をする人は、「ホントは努力なんかしたくなかったけど仕方なくやってきた」という意識があるんじゃないでしょうか。「努力すれば成功する」から成功したくて自発的に努力したんじゃなくて、そうせざるを得ないからしてきたと感じている。ただ自分がしたいから努力してきた人って、努力を人に押し付けないもんだと思うんですよ。で、「仕方なくやってきた」んだったら「そうせざるを得ない状況」に対

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/07/02
    の構造の一端について。「こういう状況が発生するのは、世の中が人に自分の感覚に対する自信を与えられる環境じゃないからなのかなと思う。」
  • http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070629/p1

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/30
    全体集合と部分集合の混同がこの件でも起こっている…ということなのか。
  • モジモジ君の日記。みたいな。 - 透明人間にはペンキでもかけてやれ

    Rancelot氏がこの記事の中で言及している一件について。詳しくは「個人を対象としたキーワードを作る件について」。当時も今も、Rancelot氏はほとんどロクに僕の書いたものも事態の全体も、まったく理解していない。 また、あと、リンク先の文中で(mojimojiが)「勇み足であると認めた」なる記述があるが、完全なる虚偽である。茶漬け氏とのやり取りにおいてさえそうであったが、ハッキリ言って、事実レベルに限っても彼が書いていることはまったくアテにならない。息するように嘘を言う人とは、彼自身のことであるよ。まったく。 ※ えーと、Rancelot氏が「勇み足」について新しい記事を上げたようであるが、完全な嘘である旨、次の記事に検証した。ここに改めて繰り返すが、Rancelot氏は依然として嘘吐きである。>http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070628/p1 【2

    モジモジ君の日記。みたいな。 - 透明人間にはペンキでもかけてやれ
  • ネットランダム - はてな脳?11の症例(実際は16個)

    症例1「自分がブクマした記事のブクマコメントが"育って"いないか後で確認してしまう」 http://twitter.com/ch1248/statuses/119351942 症例2「自分が好き勝手に情報集めてるだけ、なはずなのにブクマし過ぎて被お気に入り数が減ると凹み、反省してしまう。」 http://twitter.com/ch1248/statuses/119355772 症例 2 :自分のサイトの新着ブックマークの RSS を購読している。 http://twitter.com/bluesyk/statuses/119355852 症例α:それだけで飽き足らず、自サイトのメタブの RSS も購読 http://twitter.com/bluesyk/statuses/119356252 症例3:自分のIDのグループを作ってしまう http://twitter.com/b_say_s

    ネットランダム - はてな脳?11の症例(実際は16個)
  • 日々カタログ。 : 「取り巻き」考

    「取り巻き」という言葉がある。日常でも使われるが,最近はブロガーを攻撃したり批判したりするときの言葉としても使われている。「信者」とも呼ばれることがあるが,「信者」はともかくも「取り巻き」はもともとネガティブな意味で用いられている。ブロガー人というよりも,ブロガーを擁護するコメンターなり他ブロガーに対して用いられる言葉で,それによって中心ブロガーも貶める。 「取り巻き」というと,往年の少女マンガか「スワンの涙」系ドラマ(喩えが古いよ)で,ヒロインに辛く当たるお嬢様の周りにいて「そーよそーよ」とか言っているイメージである。あの「そーよそーよ」の人達は,おそらく蔭でいろいろ言われているだろうが,「あからさまにはいじめられない」という小さなメリットは得ている。しかし,日常における取り巻きは何らかのメリットがあるだろうが,ブロガーを取り巻くことになんか意味があるのか? また,中心ブロガーもコメ

  • 「沈黙のオーディエンス」主要リンク集

    主要な議論の流れ ここしばらく「沈黙のオーディエンス」について大勢の方々がいろいろなことを書いていらっしゃいます。幸いにしてこれまでこの話題をご存じなかった方は、以下の6つの記事を順にご覧ください。リアルタイムに議論の展開を追いかけてきた方より、むしろ基的な枠組みをきちんと認識できるのではないかと思います。 沈黙のオーディエンス(Simple 2004-07-15) 終了(「いんちき」心理学研究所 2005-01-30) 「いんちき心理学研究所」の終了(Simple 2005-01-31) 「沈黙のオーディエンス」についての議論(切込隊長BLOG 2005-02-08) 終了:その後(「いんちき」心理学研究所 2005-02-08) ギャグとシリアス(「いんちき」心理学研究所 2005-02-14) 余話:予想通りだった「いんちき」心理学研究所の閉鎖 主な議論は上記リンク集から辿れますの

  • 本日の粘着質−id:Marco11のダブルスタンダード - ゆくしむにーさー

    http://anond.hatelabo.jp/20070608102220 http://marcon.g.hatena.ne.jp/Marco11/20070608/1181269649 http://marcon.g.hatena.ne.jp/Marco11/20070609/1181374346 web上の、the f-word コミュニケーションにおいて、「あいつの言ってることはダブスタ*1だ」というのがあるが、ほんとうに不毛だ。 ダブルスタンダードがなぜ良くないのかと言えば、それは「一貫性に欠ける」からなのであって、では「一貫性に欠ける」のがなぜダメなのかといえば「基準が一貫していないと困る」からである。 id:Marco11の言動が一貫していようがいまいが、なんら困らない、誰であれ。Marco11は政治家でもなければ、行政や司法の実務家でもなく、単なるひとりのヘタレに過ぎな

    本日の粘着質−id:Marco11のダブルスタンダード - ゆくしむにーさー
  • 倫理の根源は呼びかけにある - モジモジ君のブログ。みたいな。

    5月9日の記事(応答責任、再論)から、sivadさんの4月の記事にトラックバックを送ったところ、さっそくお返事をいただいた。>倫理の根源は想像力にあると思う@赤の女王とお茶を ここでsivadさんが「想像力」というキーワードを提起したことで、違いがより鮮明になってきたと思う。以下、議論したい。 ホームレスのそばを通り過ぎたとき「間接的ではあろうが、私は他人を見殺しにすることに加担した」と言えるであろうか(以上、kanjinai氏の記事からの引用) への答えは「言える。ただし、加担していない、とも言える。」になります。可能かどうかということであれば、いずれも可能というしかありません。 この部分に、まず同意できない。元の文を次のように言い換えてみよう。「私は他人を見殺しにした」。意味合いは変わっていないと思うが、こう書き直せば明瞭であるように、これは事実についての命題である。そして、事実命題と

    倫理の根源は呼びかけにある - モジモジ君のブログ。みたいな。
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/19
    「「万人に共通の前提」で語ることは、「万人に共通に信じられている前提」で語ることとは違うのだが、しばしば、置き換えられる。その意味でこれは錯覚なのである。」
  • コメント欄で議論をするとき、アレな人と面倒なことにならないための5+1のTips - エアロプレイン

    ブログやSNSの流行により、あまりにも価値観や解釈、果ては文章力が異なる人とコメントというものを通じてコミュニケーション(?)をはからねばならないケースが増えました。そんな時に面倒なことにならないための5つ+1のTipsを紹介します。 1.用語の解釈を統一する 大抵面倒なことになるとき、一方が議論の中心になる用語(トピック)に対して解釈が間違っている、あるいは両者の間での解釈が異なっている場合が多いように感じます。まず議論の中心の用語(トピック)に対しての解釈を、発言者間で統一するのが得策です。この作業が不可能なら、むしろ議論はやめるべき。 2.事実と仮定、思いは全て分離する アレな人の多くは、事実と自分の思い、仮定をごちゃごちゃにして妄想一直線に進んでいきます。 事実とその他のものは分離して話を進めるのがベターでしょう。これも不可能なら、はっきりいってコミュニケーションは取れません。 3

    コメント欄で議論をするとき、アレな人と面倒なことにならないための5+1のTips - エアロプレイン
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/18
    議論の前提としてやはり共通認識(用語の定義、事実認定と仮定や感想の切りわけ)が必要で、それが満たされなければ打ち切りもやむなし、と。でも最初から優越感(差異化)ゲームのミサイルが飛んでくることもある。
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/17
    「そして、ここが勘所だが、ラベルが適切かどうかの検証、異議申し立て、再ラベリングという過程を通して、ラベルは常に変わりうるのだ。」ラベリングそれ自体ではなく、他者イメージの流動性欠如が問題なのだ、と。
  • 2007-06-14

    罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 - ARTIFACT@ハテナ系 事実、「とめていなかった」のではなくて「これまでなぜとめられなかったのか」と考えたほうがいいかもしれません。事実をどれくらい「知って」いるか「知らない」かを基準にするのは、その主体の決定と判断によるものであると定義します。その後で、何らかのアクションを、それぞれの動機に基づいて起こすこともある。 画面の奥のやり取りで「どこまで可視化」されているか、という明確な規定と目的が、両者で可視化されておらずわからない場合、多くは事実を知ることができません。完全に知ることができるのは、明確な当事者となった場合――つまり、他者と私が「画面」ではなく「対話」として「出会った」瞬間、となります。また、「可視化されている」という事実と、「読む」という事実が揃わなければ、第三者が明確な心象や目的の明確化と納得へいたることはで

    2007-06-14
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/14
    主体/他者、ベタ/メタの位相の流動性と「場の可視化」の関係性。
  • ある立場(id:Marco11さんのこと) - 地を這う難破船

    id:Marco11さんのこと - 地を這う難破船 罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 - ARTIFACT@ハテナ系 id:Marco11さんが行動において一貫して、自らの筋を通していることは、確か。少なくとも、自己の明示する価値基準を恣意的にギアチェンジしているわけではない。Marco11さんの発言と行動を観測し続けている人間は、そのことを知る。言動において「不可解」ではあるかも知れないけれども、支離滅裂とは言い難い。自身の道徳律に基づき、社会通念、ないし既存のネットにおけるコモンセンスを、顰蹙承知で棄却しているに過ぎない、信仰のことを括弧に入れても。 であるから、Marco11さんが重んじて貫いているMarco11さん自身の「筋の通し方」ないし「信念」を前提したうえにて、言及含めて直接的に対応するが涼と、私は考えていた。私は行動原理において、それ以前にブログ運営の

    ある立場(id:Marco11さんのこと) - 地を這う難破船
  • id:Marco11さんのこと - 地を這う難破船

    前記。昼前に書き上げて推敲終えて、アップするのに少し躊躇して、所用が迫って慌てて出かけた。帰宅したら御人のブログが怒涛の更新を重ねていた。もはや以下を掲示することに意味があるのかわからない。ただ――。文に変更なくアップする。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 余計な話から。 公論と私的な述懐は明示的に分別するべきかも知れない、とは言える。むろん「明示的に分別」とか、簡単に言えることであるけれども容易には実行し得ない。私もたまにポエムを書く。それが公論ではありえないか、と自らに問うなら、そのように考えるなら最初から書かない。沈黙して胸に慈しむ。安い酒に独りで酔って気持ち悪く。 個人的なことは政治的である、とも私は考えるので、個人の私的な事情を開陳することに社会的な意味がないとは、思わない。ただ、公論としての構えの有無、といっ

    id:Marco11さんのこと - 地を這う難破船
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/13
    思うところはここには書ききれないが、このエントリを読めてよかった、と思う。
  • 愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ0.2にアイコンを置いてみた - ネットランダム改変

    http://d.hatena.ne.jp/nitino/20070612 はてブコメから独断で配置。 もっと置きたかったけど、図と照らし合わせると言及内容と乖離する人もいそうだからここまで。 自動マッピング機能を作ってみたいね youkosekiさんのTagU地図を利用すればできるんじゃないか。 http://youkoseki.com/tagu/?mode=map 名案 マップだけのページ作って、ニコニコブックマークでコメントつければいいじゃないか。 もしくはお絵かきサービスでごにょごにょ。

    愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ0.2にアイコンを置いてみた - ネットランダム改変
  • Marcoさんや、Kanoseさんたちの議論について。

    最近、ブックマークにたくさん引っかかってる一連の議論について、 思ったことがあるので書いてみます。 なんだか・・・、 『DV系(DQN系)コミュニケーション派』と『モヒカン系コミュニケーション派』間で、 戦争が勃発してるかんじですね。 自分の場合は、 ・DV系のコミュニケーションは、もちろん 嫌 い です。 嫌いな理由は、色んな場所ですでにかかれてるようなことと大体一緒です。 ・モヒカン系のコミュニケーションにも馴染めません。 公平さをすごく重視するから、DV系に比べると安心は出来るんだけど、 実質的に優しくなくて、包容力を感じないんです。 なので、DV系 or モヒカン系の “二者択一!”的な流れになったら嫌だなあ・・・。 あまり強くないタイプの人は、 DV系のコミュニケーションでも、モヒカン系のコミュニケーションでも、 傷つく部分は違えど、どちらでも傷つくと思う。 そして、よのなかを作

    Marcoさんや、Kanoseさんたちの議論について。
  • 「批判を受け入れる」ってどういう状態のことなの?

    同意したり非を認めたりなだめすかしたりしても「お前は批判を受け入れていない!」って言い続ける人にからまれてからよくわかんなくなった。単純に嫌いだっていうなら理解はできるし、発言を削除しろ、とか謝罪と賠償を要求、とかなら対処のしようがあるんだけど…。 一般的に「批判を受け入れる」ってどういう状態のことなの?

    「批判を受け入れる」ってどういう状態のことなの?
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/13
    その絡み方なら「批判者の自尊心を満たしてあげる」ということだろうな。「受け入れろ、受け入れろ」と批判者も深追いしていけば臨界点でゲリラに襲われることになる。
  • 罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 - ARTIFACT@はてブロ

    Ohno blog(2007-06-10) - 2007-06-10 ネット上の暴力 リアルでは許容されない暴力が、ネット上にはある。それを許容する「場」があるからだ。罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認するような感覚が、曖昧に共有される「場」。驚くべきことに、ネットの人間関係や人との距離感に敏感な人が、罵倒者の無礼な振る舞いを黙認していたり、人を褒めることの暴力性を懸念する人が、交流している相手が罵倒を吐き散らしていることには寛容だったり、批判を価値観の強要と取るような人が、他人を一方的に貶める言葉を吐く者を擁護したりする(その言葉が自分に向けられたものでなければいいのだろう)。 ほぼ誰かを特定して言ってるすごいほのめかし! できたら、ちゃんと各人の名前を挙げて欲しかったが、絡まれると面倒な相手が含まれているので、ほのめかしにしたというのはわかる。*1 当に忌むべき暴力とは、実は個々

    罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 - ARTIFACT@はてブロ
  • ネガティヴ言及を「耳に痛いけど実は理論的なツッコミ」なのか「理論を悪用した詭弁の嫌がらせ」と分類できる基準はどこに有るんだろう? - otsune風呂

    はてなブックマーク - 「俺とおまえは違う問題」の根は「ネガティブ言及するな問題」だよね:ekkenから。 jet2heaven ブログ ネガティブコメントを批判ととるか、荒らし(=ハイエナ)ととるかの基準がズレている印象を受けた tomo-moon web, 書くこと 鋭い視点だけれど、それはイコール「ネガティブ言及するな」ではないと思う。「理性的なネガティブ言及」と、(ハイエナマインド保持者による)「理に適わない罵倒・人格否定」は全く別物。 小倉弁護士は悪意の無い淡々とした指摘コメントでさえも「コメントスクラム」と表現して、ネット匿名性の排除運動を広めるのがライフワークになっている(と、オレの目からは見える)けど。id:jet2heavenさんやid:tomo-moonさんは、その手の啓蒙にコロっとやられたタイプだろうか。 どこをどういう風に判断すれば荒らしと理性的言及に分ける事が出来

    ネガティヴ言及を「耳に痛いけど実は理論的なツッコミ」なのか「理論を悪用した詭弁の嫌がらせ」と分類できる基準はどこに有るんだろう? - otsune風呂
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/06/11
    イデオロギー暴露(話者の動機・意図)/イデオロギー批判(内容そのもの)との切り分け、という問題。
  • みんな「異文化理解」が大事だと言うが、そもそもある「異文化」を理解した瞬間に、その「異文化」は自文化になってしまうので、「異文化理解」は一向に達成出来ない、問題。 - 女教師

    教育 表題のとおり。「異文化理解」というのは、よく考えると意味がわからない。さらに、「異文化理解教育」というのももっと意味がわからなくなってくる。 ま、こういう形容矛盾が起こるのは、「異文化」および「理解」という語義の曖昧さ(i.e.テキトーな使われ方)を反映しているんだろう。 《異文化にいる人々に対して寛容な態度を育みましょう》ということだったら、「思いやり教育」でいいはずだし。《外国の文化を知って広い視野を持ちましょう》ということだったら、「世界地理(地誌)」でいいはずだ。 《自分は究極的には「異文化」を理解することはできない。(「できる」だなんておこがましい)》という自己省察的な態度を持った上で、《自文化*1の中に、異文化が混在していること;自文化の雑種性・混淆性に気づく》という方が妥当な線じゃないだろうか。

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/05/22
    「異質」だから/に見える、からといって排除しなくていい/してはいけない、は「異文化理解」のステージ的にはどうだろうか。いずれにしても私には耳が痛い。
  • テラ・インコグニタに出会う - 説教する弱者

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    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/05/20
    異教徒よりも異端を却って排斥してしまう構造-存立基盤への揺さぶり+内心敵わぬというコンプレックス=激しい攻撃性。手の内を知るだけに攻め込みやすい。