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2007年6月3日のブックマーク (7件)

  • fareaster: 石を投げつける相手を探して

  • 産経のGoogle「ストリート・ビュー」記事が変だということ : 大西 宏のマーケティング・エッセンス

    2007年06月03日09:42 産経のGoogle「ストリート・ビュー」記事が変だということ カテゴリマスコミ kinkiboy Comment(4)Trackback(1) 産経新聞がグーグルの新サービス「ストリート・ビュー」を記事にしたことはさすがだと思いますが、「プライバシーの侵害ではないかとの批判が強まっている」とはね。そんな風に記事をもっていったというのはなにか意図があったのでしょうか。 グーグル新サービス批判 不穏当な場面 水着で日光浴、丸見え それとも、fareasterさんが「石を投げつける相手を探して」で、「近年どうも報道のスタンスが『事実を伝える』ではなく、欲求不満をぶつけるような感じになっているように思えます」とご指摘のような傾向のなせるわざでしょうか。あるいは情報収集が不足というか杜撰だったということではないかと思います。 ところが、利用者がこのサービスで街角を精

  • 教科書がないと教えられないという馬鹿げた発想 - 今日行く審議会

    【主張】教育再生会議 評価したい徳育の教科化 徳育の教科化については、一部から異論があったが、土曜授業の活用など「ゆとり教育」見直しの具体策とともに提言の柱になった。 小中学校で週1時間ある「道徳の時間」は、思いやりや生き方などを考える貴重な授業のはずだが、進路指導や別の授業に流用されるケースもあった。副読などを使っておこなっているものの、学校や教師によって授業内容に大きな差がある。 提言では教科書をつくることにも踏み込み、多様な教材の活用が提案された。教科になり教科書をつくるようになれば、教材の工夫や指導法の研究も進むだろう。 教師の力量が問われる授業でもある。子供たちはテレビや雑誌、インターネットなどでさまざまな情報に接しており、「生半可なエピソードでは子供たちはなかなか乗ってこない」という声も聞く。子供の心をとらえ考えさせる教材や授業が欠かせない。 提言では点数による評価はしないと

    教科書がないと教えられないという馬鹿げた発想 - 今日行く審議会
    odd991
    odd991 2007/06/03
    まにゅあるん
  • なぜネットにしか居場所がない人々はTBSや朝日を叩くのか (セックスなんてくそくらえ)

    「クローズアップ現代」という侮辱的な番組によってあたかも芸能界のように取り上げられたブロゴスフィアがますますその愚かさを加速していく中、それと時を同じくするかのように、ネットにしか居場所がない人々の厚顔無恥さ、ずるがしこさ、卑劣さ、自らの無知を少しも恥じないその傲慢さは、まったくとどまるところを知らないように見える。 インターネットの普及によりあらゆる場所で「言論」が可能になった結果、小学校の作文以外に一度も何かものを書いたこともなく、書くことについて考えたこともなく、何一つ読むに値するものが書けなかった数千万人の人々が、雪崩を打つように二流・三流の知性の吹きだまりであるこのブロゴスフィアにも流れ込んできた。前述の番組はそれを加速する以外の効果を何ももたらさなかったのである。 「痛いニュース」のようなブログはまさにそういった知性のない人々が石をぶつける先を煽り立てる旗振り役である。そのペン

    odd991
    odd991 2007/06/03
    超人にあこがれつつ、ルサンチマンを発散させる人たち?
  • 教育再生会議の「第2次報告」に隠された「親学

    6月1日、教育再生会議の「第2次報告」が発表された。前日、内閣官房の同室担当者を呼んで、すでに出来上がっている「第2次報告」を手渡すように強く求めたが、「まだ出来上がっていません」とあいかわらずの秘密主義だった。夜、議員会館のポストに入っていた「第2次報告」の内容はすでに昨日の新聞に報道されているが、「なんだこりゃ」と肩すかしをくらうようなものだった。 「授業時間10%増」のために「土曜日授業」「7時間目の授業」「夏休みの短縮」や、「国立大学9月入学制度」「道徳を徳目として教科化」などが言われている。目を凝らして、第2次報告を読んでみたが、正面からは「親学」に関する記述がない。よく読んでみると、「親の学びと子育て支援」という提言の中に隠れていた。今日は、「学力向上」を中心に「第2次報告」を読んでみたい。 「学力向上にあらゆる手立てで取り組む」 提言1 授業時間10%増の具体策 夏休み等の活

    odd991
    odd991 2007/06/03
    なんとなく澤口あたりが出て来そうな予感
  • つくる会・扶桑社「喧嘩別れ」 「右よりで売れないから」?

    「新しい歴史教科書をつくる会」と、同会が執筆した日史や公民の中学生向け教科書を発行している扶桑社が、袂を分かったようだ。共にこれまでの「自虐史観」から脱却した教科書を供給しようと手を結んでいたはずの両者だが、「歴史観」を譲れない「つくる会」と、教科書を売りたい扶桑社の「すれ違い」が背景にありそうだ。 「今の採択結果では、採算、ビジネスとして困る」 「新しい歴史教科書をつくる会」は2007年5月31日、扶桑社との関係を断絶し、扶桑社以外の出版社から教科書を発行する方針を発表した。これに伴い、扶桑社側との妥協点を探っていた会長の小林正会長を解任し、新会長に藤岡信勝・拓殖大教授を選出した。 「つくる会」は06年11月、発行元の扶桑社に対し、「つくる会」の教科書を継続して発行する方針を明示するように要求。これに対し、扶桑社は07年2月、「広範な国民各層に支持されるものにしなければならない」として

    つくる会・扶桑社「喧嘩別れ」 「右よりで売れないから」?
    odd991
    odd991 2007/06/03
    展転社でいいじゃん
  • 外国の陰謀論と想像力の欠如 | bewaad institute@kasumigaseki

    著作権関連の話題について、それがアメリカの言いなりになった結果だというGIGAZINEのエントリを見て思ったことなのですが、陰謀論(エントリのタイトルは、外国における陰謀論ではなく、外国の陰謀を想定する陰謀論を意味します)の根っこは想像力の欠如なんだなぁと。とりわけ、外国(や異民族)を主体とするものにおいては。陰謀に係る杞憂は、ある意味では想像力の賜物ではありますが、得てして陰謀の内容は類型化されたオリジナリティに乏しいものでもあるわけで。 どういった文脈において想像力が欠如しているかといえば、日人は皆自分と同じような思考の持ち主だと思ってしまうがため、自らと違う意見を持つ者と日人という属性(国籍なのか民族なのか、日においてはあいまいですが)を共にしていることが腑に落ちないのでしょう。日人ならば、自分たちと同じように考えるのが自然だと考えてしまい、あるいは違う考えを持つ者が同じく日