週刊文春と西岡力氏を相手に民事訴訟を起こした植村隆氏の会見の一部です。 その当時、西岡氏は記事では「朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受けとめてしまった」と書いておりますが、しかし、その後は私だけを狙い撃ちにしております。98年ごろから"捏造"という言葉に変わりました。同じ91年の記事に対して、評価を変えてしまっているんです。フレーム・アップだと思います。 そして結局、その流れで2月6日号の「週間文春」は、私を"捏造記者"だとレッテル貼りをしました。これはフレーム・アップの延長線上だと思います。 この記事が原因で、私の転職先の神戸松蔭女子学院大学にいやがらせ、抗議の電話が殺到しました。そして私が勤務している北星学園大学には、更に多くの抗議のメールや電話がかかってきます。