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戦争に関するphiloyukyのブックマーク (176)

  • 「人身売買された女性を米国の傭兵が買春」:アフガニスタン | WIRED VISION

    前の記事 日の伝統が魅力のアクション・ゲーム『朧村正』 天の川全景の動画とパノラマ 次の記事 「人身売買された女性を米国の傭兵が買春」:アフガニスタン 2009年9月15日 Nathan Hodge 先日、アフガニスタンで米国大使館の警護を請け負っている会社に関して、大酒を飲んだ上での不品行の写真が表面化した(日語版記事)。しかし、問題は酒の上のおふざけにとどまらなかった。 非営利団体である『政府監視プロジェクト』(POGO)の調査と議会証言を受けて、米国務省からの請け負いでアフガニスタンに展開している民間の警備隊に対する、同省の管理体制に懸念が広がっている。 [イギリスに社がある]ArmorGroup North America社は、米国大使館の警護を約1億8700万ドルで請け負っているが、落札するために不当に低い価格をつけていると批判されている。[リンク先の記事によると、米国人

  • 河村たかしメソッドとは - Apeman’s diary

    コメント欄でpipisanさんにご教示を受けたので調べてみたところ・・・ 毎日jp 毎日新聞 2009年9月15日 「河村・名古屋市長:南京大虐殺「誤解ある」 議会で発言」 どのような脈絡での発言なのかは追って調べておきたいと思います。 例によって陳腐な否定論なのですが、河村たかしに特徴的なのは次の論法です。 河村市長は「おやじは終戦を南京で迎えた。南京の人に当に優しくしてもらい、名古屋に帰ることができたと言っていた。虐殺があったのなら8年後に南京の人が優しくしてくれるのか」と述べ、(後略) まさに恩を仇で返すメソッド。 関連エントリ http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060630/p1 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060922/p1

    河村たかしメソッドとは - Apeman’s diary
    philoyuky
    philoyuky 2009/09/15
    河村たかし
  • 戦争を語り継ごうブログ 書評「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」

    加藤陽子・東京大学教授(日近代政治史)が中高生への講義でとも に考え、まとめた「それでも、日人は『戦争』を選んだ」(朝日出 版社、09年7月)が好評のようで、このほど重版されました。各新聞 ・雑誌に掲載された紹介、書評をご紹介します。 <  歴史を学ぶ面白さにも気づかせようとした。たとえば、9・11 後にテロ掃討作戦をとった米国と、日中戦争時に蒋介石の国民政府と の和平を拒んだ日。時代も状況も違う両者を比べると、「相手を戦 争の対象として認めず、国内で不法行為を働く悪い人たちを取り締ま るような感覚で武力行使した点で共通する」という。>(朝日新聞) http://book.asahi.com/news/TKY200908060189.html < 太平洋戦争では、アジアの自立を阻む帝国主義勢力との戦いだと する軍部の主張や、国民にも強い米英に立ち向かう「明るい戦争」と 受け止める雰囲

  • 従軍看護婦の証言

    8月24日の午前1時を過ぎた頃、ひと眠りした後ふと目が覚めた私は、NHKのラジオ深夜便で気になっていたプログラムがあったので、何気なくスイッチをつけた。すると、男性アナウンサーのインタビューを受けている女性の声が聞こえてきた。 その女性は、戦時中に従軍看護婦を志願し、旧満州の陸軍病院に派遣されていたという。放送では秋田県横田市の住所と実名を告げていたが、漢字の表記が不明なので、ここでは匿名とする。 彼女の回想を聴くにつれて、恐るべき事実が明かされるのだが、その事実を彼女は満州から引揚げてきた時、舞鶴の援護局の元軍人と思われる職員から絶対に口外しないよう口止めされ、3年前まで夫にも言わずに秘密を守り通した。 3年前の平成17年、どうしても舞鶴を訪ねたくなり、引揚記念館へ行った時、戦争体験のない若い世代の人が戦争を体験した世代から語りつがれた事実を説明する姿に接して、自分も責任を果たし過去を償

    従軍看護婦の証言
  • 靖国神社には行かないよ ―― ある特攻隊員の遺書

    靖国神社には行かないよ ―― ある特攻隊員の遺書 2009年8月10日 ヒロシマ・ナガサキの日が終わり、今週は「8.15」がやってくる。今年の8月6日には、平和公園にも近い会場で、田母神俊雄元空幕長による「ヒロシマの平和を疑う」という講演が行われた。8月1日のNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のなかで、私はこう指摘した。「田母神氏は『アメリカの核を国内に持ち込むだけでは効果が薄い。核兵器の発射ボタンを共有する“ニュークリアシェアリング”に踏み込む必要がある』と主張しています。ヒロシマ『原爆の日』に広島でこのような主張の講演会が行われること自体、被爆から64年が経過したなかでの『変化』に違いありません。平和を祈るだけでなく、より研ぎ澄まされた平和の論理の構築が求められていると思います」。ラジオなので抑制的な表現にとどめたが、このピエロの言動については、また別の機会に述べることにしよう。 ち

  • CIA、アルカイダ幹部暗殺計画を民間企業に外部委託か 米メディア

    イラク・バグダッド(Baghdad)で、路肩爆弾が爆発した現場の安全を確保する米民間警備会社ブラックウォーター(Blackwater)の警備員ら(2005年7月5日撮影)。(c)AFP/AHMAD AL-RUBAYE 【8月20日 AFP】複数の米メディアは20日、米中央情報局(Central Intelligence Agency、CIA)が秘密で進めていた国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)指導者らの捜索と暗殺計画を、2004年に米民間警備会社ブラックウォーター(Blackwater、現社名はXe)に委託していたと報じた。元情報当局者や現役当局者らが明らかにしたという。 米ニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙によると、CIAが数百万ドルを費やしたこの暗殺計画は、実行に移される前に、レオン・パネッタ(Leon Panetta)CIA長官に中止を命じられた。パネッ

    CIA、アルカイダ幹部暗殺計画を民間企業に外部委託か 米メディア
    philoyuky
    philoyuky 2009/08/21
    アウトソ~シング 民間ならなんでもできる~なにをやっても許される~ 法の支配~(苦笑)
  • 女たちの「愛国心」は道に捨てられ、犬に食われた - ▼CLick for Anti War 最新メモ

    ▼福田利子「吉原はこんなところでございました」 >軍隊とともに戦場を移動してきた従軍慰安婦の数は、昭和12年から20年にかけて10万人近くいたはずだというんです。 >ですから、戦場で亡くなった人たちも、相当な数になるのではないでしょうか。 >でも、一般の戦死者に軍人遺族年金が支給されているのに、従軍慰安婦は名簿もないのだそうです。 吉原はこんな所でございました―廓の女たちの昭和史 (教養ワイドコレクション (091)) 作者: 福田利子出版社/メーカー: 文元社発売日: 2004/03/01メディア: 単行 クリック: 4回この商品を含むブログ (1件) を見る ・・・さきに文庫版の『従軍慰安婦・看護婦』について紹介したが、いまだに読み続けている。「ほんとうに面白いは速読できない」と小林信彦は言ったが、そのとおりである。 最初は「なぜ従軍慰安婦と従軍看護婦が一冊ので扱われているのか」

    女たちの「愛国心」は道に捨てられ、犬に食われた - ▼CLick for Anti War 最新メモ
  • 47NEWS(よんななニュース)

    村の男たちはくわで家族を手にかけた―。91歳女性が証言する、沖縄戦の集団自決 「息絶えた母の横で、死んだふりをして生き延びた」逃げ場のない島で起きた地獄絵図

    47NEWS(よんななニュース)
  • 本土空爆:日系人元米兵のクロキ氏「良心の呵責に悩んだ」 - 毎日jp(毎日新聞)

    第二次世界大戦中に日系米国人としてただ一人、米陸軍航空隊に所属し日土空爆も実行したベン・クロキさん(92)が、カリフォルニア州カマリロの自宅で毎日新聞のインタビューに応じた。クロキさんは、米国への忠誠心を示すため土空爆を自ら志願したものの、空爆の際は「良心の呵責(かしゃく)に悩んだ」と、胸の内を明かした。【カマリロで小倉孝保】 クロキさんは米メディアに取り上げられたことはあるが、日メディアのインタビューに答えたのは、戦後64年で初めて。 クロキさんは41年12月の旧日軍による真珠湾(ハワイ)攻撃を「裏切りのだまし討ちであり、(日系人として)恥ずかしかった」と感じ、すぐに陸軍航空隊に入隊を希望した。しかし、当時、日系人は敵性市民・外国人扱いされ入隊は事実上、不可能だった。クロキさんは「涙ながらに」訴え続け、「奇跡的」に入隊を許可されたという。 入隊後は自分だけ皿洗いなどの汚れ仕事

  • ベン・クロキさん:日系米国人で唯一、日本本土空爆を実行 毎日新聞と会見 - 毎日jp(毎日新聞)

  • 本土空爆:日系人元米兵のクロキ氏「良心の呵責に悩んだ」 - 毎日jp(毎日新聞)

    第二次世界大戦中に日系米国人としてただ一人、米陸軍航空隊に所属し日土空爆も実行したベン・クロキさん(92)が、カリフォルニア州カマリロの自宅で毎日新聞のインタビューに応じた。クロキさんは、米国への忠誠心を示すため土空爆を自ら志願したものの、空爆の際は「良心の呵責(かしゃく)に悩んだ」と、胸の内を明かした。【カマリロで小倉孝保】 クロキさんは米メディアに取り上げられたことはあるが、日メディアのインタビューに答えたのは、戦後64年で初めて。 クロキさんは41年12月の旧日軍による真珠湾(ハワイ)攻撃を「裏切りのだまし討ちであり、(日系人として)恥ずかしかった」と感じ、すぐに陸軍航空隊に入隊を希望した。しかし、当時、日系人は敵性市民・外国人扱いされ入隊は事実上、不可能だった。クロキさんは「涙ながらに」訴え続け、「奇跡的」に入隊を許可されたという。 入隊後は自分だけ皿洗いなどの汚れ仕事

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    雨季のバンコク2泊4日旅行記 夏は苦手と言いながら、春先の憂を吹き飛ばしたくて、今年も海外旅行の予定をいれてしまった。昨年20年以上ぶりに海外に足を伸ばし、旅をすると人生の栞が増えることを実感してから、だんだん旅が好きになってきたように思う。 今年の行先は雨季まっさかりのタイ・バ…

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  • これって「台湾神社」?:イザ!

    毎年、8月15日が近づくと、話題になるのが東京九段の靖国神社だ。そして、テレビ番組やニュースで必ず映し出されるのが、「神門」である。 巨大な「菊の御紋」を嵌め込んだ「扉」がうやうやしく開かれる。 それと同時に数多の「善男善女」が殿に向って吸い込まれていく。 宗教法人靖国神社のHPによれば、 神門は昭和9年(1934)に建てられたもので、中央の二つの扉には、直径1.5メートルの菊花の紋章が取り付けられています。平成6年(1994)の修復工事で、屋根の葺き替えが行われました。 とのことだが、この靖国神社を象徴する「神門」が日の木材で作られておらず、すべて台湾阿里山の「タイワンヒノキ」で作られた、いわば「台湾神門」であることは、なぜか記されていない。 私も最近までは、伊勢神宮のように用材は「木曾美林」などから供給されているのだとばかり思いこんでいた。しかし、そうではなかった。 上の引用文は、

  • まつろいぬ民とまつろはぬ民:イザ!

    同じ“大正2年(1913年)” 同じ台湾原住民“タイヤル族” (居住地域、「社(村)」は違うが) AとB、対照的な2枚の写真がありました。 (A)日政府台湾総督府に服従し身を晒した姿と (B)服従を拒否し首を刎ねられる姿です。 Aは、 大阪商工会主催の「明治記念拓殖博覧会」における生蕃展示。 「柵の中」に住居が作られ「台湾生蕃人住宅」という「立て札」が立つ中で、「展示物」となった台湾原住民タイヤル族の5人が、民族衣装を着て暮らしました。「柵の中」「立て札」この様子から、動物園での草動物「展示柵」を思い浮かべる人がいても可笑しくはないでしょう。→人間動物園 写真の中、左の後ろの方を見てください。柵の向こう側に中学生らしい見物客が好奇の目で見つめています。 動物園にも似た「展示柵」のようすは、こちらに掲載された写真が分かりやすいようです。 ■山路 勝彦『拓殖博覧会と「帝国版図内の諸

  • 亡父の日の丸、社民・福島氏に届く - MSN産経ニュース

    社民党の福島瑞穂党首の元に3日、父の行人さん(昨年12月死去)が大東亜戦争に出征する際、同級生が寄せ書きした日章旗(日の丸の旗)が米国から届いた。福島氏によると、旗は今年6月、米アイオワ州在住の元米兵から熊市長あてに届いた。終戦後、熊に進駐していた元米兵が入手したが、持ち主の家族に返したいとの手紙が添えられていた。 「米英撃滅」などと書かれた亡父の日の丸を掲げて写真撮影に応じた福島氏は「両親から平和への思いをたたき込まれた。父が『頑張れ』と言ってくれた気がする」と述べ、衆院選への意気込みを新たにしていた。

    philoyuky
    philoyuky 2009/08/04
    「米英撃滅」
  • 戦争を語り継ごうブログ 戦時末期の株価

    朝日新聞の夕刊は、シリーズ「昭和の検証」を目下連載中ですが、去 る7月27日には、戦争末期の株価のことが書かれていました。 それによりますと、1945年に入った頃から軍需産業以外の銘柄が「平 和株」と呼ばれ、注目が集まっていたそうです。そして4月中旬にな ると、船株、財閥株、繊維株などを中心とする平和産業株は全面高に なりました。 7月27日にポツダム宣言が発表されますと、日郵船の株価が跳ね上 がり、さらに8月上旬になると、郵船は戻り新値に、連れて松竹、東 宝などの興行株までが一段高をつけるなど、まさに過熱していました。 またセメント、商社などの株価も、復興需要を見込んで軒並み高騰し たとのことです。 「一億玉砕」を信じていた元軍国少年の私など、その頃まで株式市場 が機能していたとは今まで思いもしませんでした。ましてや戦地で敵 をめがけて突っ込んでいった特攻隊員や、空襲で肉親やわが家を失

  • 社会:ZAKZAK

    「日軍は処刑しようとしてた」麻生首相の謝罪求める 「その4カ月は永遠のように長かった」。太平洋戦争で捕虜となり、1945年5月から終戦まで、福岡県の旧麻生鉱業、吉隈炭鉱で1日12時間働かされたオーストラリア人元捕虜のジョセフ・クームズさん(88)。80キロだった体重は48キロに。 「日軍はわれわれを処刑しようとしていた」 終戦の日、翌日の労働は休みと告げ、見張り番が消えた。1週間後、米軍機が収容所に投下した料を手に初めて生還を確信した。 祖国でと再会。地道に会社勤めを終えた後は、孫やひ孫に囲まれ静かに暮らしていた。 「アソウ」の名を頻繁に聞くようになったのは、麻生太郎首相が外相に就任した2005年ごろ。欧米メディアも麻生財閥の捕虜使役問題に注目した。古傷がうずいた。 戦後補償問題に取り組む日の組織と連絡がつき、6月中旬に来日した。戦友の中で健康が許すのは、88歳でも元気な自分1人

  • http://www.news.janjan.jp/world/0907/0907066429/1.php

  • 南京虐殺 名誉棄損勝訴受け会見/「戦争の悲惨さ伝えたい」

    1937年の旧日軍による南京大虐殺で生き残った中国人女性・夏淑琴さん(80)が、『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)というで「偽の被害者」扱いされ名誉を棄損されたとし、著者と出版社に損害賠償を求めた裁判で、今年2月に夏さん側の勝訴が確定したことを受け4日、夏さんが来日して記者会見で思いを語りました。 『「南京虐殺」の徹底検証』は「南京大虐殺はまぼろし」などと主張している東中野修道氏が1998年に書いたもの。同氏は、史料に被害者として登場する少女と夏さんは別人で、夏さんはウソの証言をしていると書いていました。勝訴確定で夏さんの証言の正しさが認められました。 都内で会見に臨んだ夏さんは「大変うれしい。日の弁護団、支援してくれたみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです」と喜びを語りました。南京で勝訴確定の知らせを聞いたときは子や孫と大喜びしたといいます。 一方で、被告の東中野氏が一度も法廷に立

  • 破滅へのカウントダウン - 労働者のこだま(国内政治)

    わざわざアメリカ海軍の作戦部長(!)様まで来日して、若干婉曲的にではあるが、「船舶検査特措法」はいらない(国連決議の範囲内の活動でも充分対応できる)といっている(これは特措法によって生じる結果についてアメリカ海軍は関与しないという言明でもある)のに、残念なことに相変わらず頭の悪い日の軍国主義者たち(=自民党町村派と民主党のバカ議員諸氏)には、“友人”の声が届いていない。 したがって、この法案は民主党と自民党の野合によって今月中にも成立し、日政府と北朝鮮政府は実質的な戦争状態に入っていく見通しだ。 A国がB国に対して、Cという行為をすれば宣戦布告と見なすと宣言したにもかかわらず、B国がCという行為を行った場合、それはB国がA国に対して宣戦を布告したということであり、A国とB国は戦時国際法が適用される関係に移行していく。 このことは、例えば、B国がその憲法において交戦権を放棄していても同様

    破滅へのカウントダウン - 労働者のこだま(国内政治)