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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (5)

  • 信用できない歴史関連本の見分け方 - 読む・考える・書く

    いま、ある調べ物をする必要から北康利『白洲次郎 占領を背負った男』というを読んでいるのだが、一読してみて、このの内容はまったく信用ならない、という結論になった。 なぜこのが信用できないかを説明していくと、ある意味、一見もっともらしいが実際には信用に値しない歴史関連の見分け方の解説にもなると思うので、ちょっと書いてみることにする。 参考文献の恣意的利用 このの中に、こういう記述がある。日国憲法のGHQ草案では国会が一院制とされていたことに関する話である。[1] このとき、松が勇気を振り絞って口を開いた。 「一つ申し上げておきたいが、二院制というのはただなんとなく二つあるというのではなく、チェック&バランスの役割を果たしているのです」 松のその言葉に対し、ホイットニーは意外にも素直に耳を傾けた。後年、「参議院など不要だ!」と発言する次郎も、このときばかりは松を応援したい気持ち

    信用できない歴史関連本の見分け方 - 読む・考える・書く
  • 憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』 - 読む・考える・書く

    『この世界の片隅に』で太極旗シーン以上に問題なのが、憲兵が出てくるエピソードだ。この話は以前にも一度取り上げているので内容が一部重複するが、改めて問題点を整理してみることにする。なお、このエピソードに関しては原作マンガとアニメ版に大きな違いはない。 『この世界の片隅に』で「憲兵」はどのように描かれたか このエピソードでは、呉の軍港に浮かぶ軍艦をスケッチしていたすずを間諜(スパイ)容疑者として捕まえた憲兵が、すずを連れて北條家に怒鳴り込んでくる。[1] 家族たちは玄関先で怒鳴り散らす憲兵の説教を神妙に聞いていたのだが、憲兵がいなくなると、次のシーンでは、よりによってすずなどをスパイ扱いした憲兵をバカにして爆笑する。[2] 現実にはあり得ない憲兵描写 しかし、こんなことは当時の現実としてはあり得ない。 まず、憲兵がスパイ容疑者を捕まえたら憲兵隊詰め所に連行して尋問するはずで、容疑者の自宅に引っ

    憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』 - 読む・考える・書く
  • 忘れられた戦争SFアニメの傑作『ガルフォース』 - 読む・考える・書く

    前回記事で取り上げた『宇宙戦艦ヤマト』はまあ論外として、ガンダムのように作り手側は戦争の理不尽さを描いたつもりの作品でも、結局「かっこよく敵を倒す戦争(・∀・)イイネ!!」みたいな感じに安っぽく消費されてしまうのが日社会の現実のようだ。 ヤマトなんて子供のときから嫌悪感あったし論外なのだけど、ガンダムが今の奇妙な日のアニメの元祖になってしまったのは、残念ながら事実だと思う。 https://t.co/NBElk9ERUY — 青さン、ご主人様は神対応抗日デス (@hariotoko) 2015年12月8日 何度も言ってますが、ガンダムの富野監督はNHKガンダム特番インタビューで「ガンダムを見て『戦争なんか絶対に嫌だ』と思われるような作品にしたかったが、そうならずファンに改憲論者が多いのは私が表現者として無能だから」と話してたのを強く覚えています。 — aschheimm (@asch

  • 小学生の恐ろしい作文を改ざんする卑怯な大人たち - 読む・考える・書く

    不自然に少ない、東京の児童による朝鮮人虐殺目撃証言 東京の児童による震災作文の例 改ざんされた震災作文 リアルタイムの歴史修正の見事な一例 不自然に少ない、東京の児童による朝鮮人虐殺目撃証言 以前、当ブログで、「震災作文」(関東大震災を体験した子どもたちの作文)という形で残された、朝鮮人虐殺の目撃証言を取り上げたことがある。 このとき、資料[1](『朝鮮人虐殺関連児童証言史料』)を調べていて気になったのが、横浜に比べて東京の震災作文では、朝鮮人虐殺についての記述が質・量ともに乏しいことだった。 確かに横浜は民衆による朝鮮人虐殺の最も激しかった土地だが、東京も殺した数では負けていないし、横浜では起こらなかった軍隊による組織的大量虐殺なども発生している。当時の東京市内にあった小学校と生徒の数を考えれば、もっと多くの目撃証言が震災作文という形で残っていていいはずなのだ。 東京の児童による震災作文

    小学生の恐ろしい作文を改ざんする卑怯な大人たち - 読む・考える・書く
  • 「君が代」とはどういう歌か - 読む・考える・書く

    昨日、TwitterでTLにこんなものが流れてきた。 大嘘である。 こういう嘘がまかり通るのは大変良くないので、「君が代」に関する事実を書いておく。 まずは明治初期における制定の経緯について。 大山巌元帥が「君が代」の制定に深く関わっていたことはよく知られている。その大山元帥の証言[1]。 「頃ハ明治三年ノ末若クハ四年ノ初ナリシナラン、薩長其他ヨリ御親兵ヲ出シタ後、未ダ久シカラザル時デアッタ、自分ハ薩藩カラ出タ砲兵ノ隊長ヲ勤メテ居タ時ノ事デアル。外国ノ陸海軍ニハ各々軍楽隊卜云フモノガ有ルニ我国ニハ此頃マデ、マダ、其レガ無カッタカラ、新タニ、之ヲ置カネバナラヌト云フノデ、年齢十六七歳バカリノ青年二三十名ヲ選ンデ横浜二遣り、同地在留英国軍楽隊二就キ練習セシメタ。 其時、英国ノ楽長某(姓名ヲ記憶セズ)ガ、欧米各国ニハ皆其国々ニ国歌卜云フモノガ有ツテ、総テノ儀式ノ時二其楽ヲ奏スルガ、貴国ニモ有ルカ

    「君が代」とはどういう歌か - 読む・考える・書く
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