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2009年1月9日のブックマーク (2件)

  • 派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」

    「自分はなんのために生きているのか?」 いやまぁ、「そんな哲学で腹はふくらまねーよ」と仰りたい気持ちは重々承知ですが、ちゃんと説明しますよ。ふたたび、こちらのエントリからコピらせていただきますね。 すくらむ : 派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を 雨宮 しかし、「自己責任」論で、社会より自分に怒りが向くように刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説がまかり通っている。 小森 メンヘラー(心を病み、壊れることによってやっと生きのびる人※雨宮さんによる定義)の若者や貧困にさいなまれている人たちが、「自分は生きていていい」と思えない社会になっている。 そして、どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないと、生きていくための最低

    派遣村に流れ着いた人が最初に考えるべきだった、たったひとつのこと。 - 「で、みちアキはどうするの?」
  • 国民性? - finalventの日記

    はてなブックマーク - 「派遣村」叩きに日の国民性を思う - 玄倉川の岸辺 ⇒「派遣村」叩きに日の国民性を思う - 玄倉川の岸辺 派遣村を叩いている個人の「自己責任」を問うてもそれこそ波平の頭(ほとんど不毛)なので、日人の国民性から考えてみる。 はて? 国民性? 山岸俊男の話が元なら。 安心社会から信頼社会へ―日型システムの行方 (中公新書): 山岸 俊男 それでは、日人の集団主義文化はどのようなものとして考えるべきでしょう。この点に関して筆者は、日人の集団主義文化は個々の日人の心の内部に存在するというよりは、むしろ日社会の「構造」のなかに存在しているのだという立場をとっています。 先の実験結果を説明するにあたって、筆者は集団主義を一人一人の日人の心の性質として考えるのではなく、社会のしくみとして考える理由を述べておきました。 というわけで、山岸俊男の文脈なら、日人の