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<宇野さんのアレ>に関するprisoner022のブックマーク (63)

  • ふでやすめ | 母性のディストピア

    「高橋留美子の『重力』を超えて」 「ゼロ年代の想像力」宇野常寛から。 著者は、東浩紀は「母性の暴力」とでもいうべきものに関してあまりにも無頓着だと指摘します。 東が高く評価する『新世紀エヴァンゲリオン』においても「すべてを飲み込む肥大した母性」が直接的に扱われ、『AIR』においてもヒロインとその義母の関係が至高のものとして描かれ、たびたび言及される『うる星やつらビューティフルドリーマー』においても敵を排除し、味方を胎内に取り込んで逃がさない、という「母性の重力」が描かれているにも関わらず、東はそれらをほぼ完全に無視している、とのこと。 この時代に決定的な影響力を持った批評家(=東浩紀)が、父性の抑圧を語りながらも、母性の抑圧には無防備だったという事実から、新たな分析を始めるべきだ、としています。 著者は、現在、この母性のディストピアというテーマにもっとも肉薄しているのは高橋留美子だと指摘し

  • Hang Reviewers High / 新現実 Vol.1

    先日、SFマガジン6月号で連載が終了した宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の連載分をすべて一気読みした。彼の展開する議論には、僕にとって賛同できるいくつかの部分と、そうでないいくつかの部分がある。それについて、まず一点を僕が思う状況を整理しながら考えてみたい。 彼の主張は、まず「90年代の『引きこもり』」があり、2000年代前半に「エヴァ」的感性の延長線上、あるいは残滓であるセカイ系があり、そしてゼロ年代においては 社会の既存のルールが壊れていることは「当たり前のこと」として受け入れ、それを自分の力で再構築しようといこうとする という、「DEATH NOTE」の夜神月に象徴される「決断主義」が来るという一連のフィクションの流れがあったという。 僕は現在、彼の言う「決断主義」のようなものがゼロ年代のフィクションとして大きく特徴付けられるという主張に異論がない(なお参考までに記しておくと、彼の主張は

  • 散文@相関言論空間アミノユラク 「ゼロ年代の研究者・決断主義アカデミズム」

    (西嶋) 二〇〇九年は、ゼロ年代最後の年である。評論家宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』(、二〇〇八年)において、九〇年代後半の『新世紀エヴァンゲリオン』やセカイ系に象徴される、「引きこもり/心理主義」と「~しない」という倫理に対比させて、ゼロ年代の作品を『バトル・ロワイヤル』や『DEATH NOTE』に象徴される「引きこもっていたら殺されてしまうので、自分の力で生き残る」という、ある種の「決断主義」的な傾向を持つ「サヴァイヴ感」を前面に打ち出したものとしている(宇野二〇〇八・一三~二六)。この「サヴァイヴ感」あるいは「決断主義」の問題は、宇野が取り扱ったサブカルチャーやポップカルチャーの作品群だけでおきているわけではない。それはアカデミズムにおいても、まさにおこっている事態なのである。 「大きな物語」崩壊以後、アカデミズムは、政治的活動や社会へのコミットメントを控えることにある種のモラル、「

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    prisoner022 2009/12/01
    相対性を前提にした再帰的な決断主義はとるが、それを正当化することによって思考停止するのではなく、他者との対話と自らの変化を受け入れるくらい開かれたものにしていく
  • 宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』はめちゃ面白い: 愛と苦悩の日記

    prisoner022
    prisoner022 2009/07/24
    東浩紀の自己慰撫的な批評を批判し超克することで本来の批評を復権させるという著者の宇野氏の意図自体が、きわめて教養主義的/『新世紀エヴァンゲリオン』が葬り去ったはずの『機動戦士ガンダム』的教養小節を召還
  • 決断主義と動物化を超克するには――宇野常寛的レジームについての注釈―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    ついったからの転載・改稿。 宇野常寛が書いていたかどうかは覚えてないが、いわゆる「決断主義」の前提には「例外状態」があるのがシュミット的に正しい立場だったような気がする。では、宇野的文脈における「例外状態」とは何か。それは社会の分子化や「大きな物語の衰退」ではなく、それが現象として生み出した「万人の万人に対する不寛容」である。 社会が分子化されていても、他者との間に無関心や寛容があるならば、例外状態というほどの危機には陥らない。他者が「敵」あるいは「潜在的敵」としてあることが「決断主義」を要請する「例外状態」の質である。中間集団が解体し、スーパーフラット化した/しつつある社会から自己を差異化する欲望に基づいた再帰的自己決定は、永続的な他者との摩擦を引き起こし、リスクを高める。一方で、中間集団が担っていた保護と再分配のシステムが崩壊してしまった状況下では、ホッブス原典的な意味合いでの「万人

    決断主義と動物化を超克するには――宇野常寛的レジームについての注釈―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    prisoner022
    prisoner022 2009/02/02
    うん。読み終わって少し忘れたぐらいのほうが、瑣末な部分に気を取られずに問題提起を正当に考えやすいということの好例かもしれない。確信犯だろうけどノイズが多すぎるんだ、あの本は。
  • 2009-01-31 - 日記&ノート(転叫院) - 宇野常寛が浅田彰と戦うために読んでおいたほうがよいであろう文章

    引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…

    2009-01-31 - 日記&ノート(転叫院) - 宇野常寛が浅田彰と戦うために読んでおいたほうがよいであろう文章
  • 碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    前置き 以下のエントリは宇野常寛「ゼロ年代の想像力」に対するカウンターパート的なものであり、ひとつのサブカル偽史としてのゼロ想を補完しつつ現代の問題について考えるものといっておく。 文 ロスジェネ世代の精神的風潮として、大きな物語の衰退と社会の分子化による主体の孤独化と無力化――「連帯を求めて孤立を恐れず」から「孤立を恐れて連帯を求めず」への変化があったといえるだろう。 それはいわゆる碇シンジ問題――「なにをしても傷つく/傷つけるなら、なにもしないほうがいい」というひきこもり的心性と「なにをしても、結局事物の質性にはアクセスできず、自己のアイデンティティを保全することすら困難である」という経験不可能性の具現化である。 そこで思い起こされるのが宇野常寛の「碇シンジでは夜神月を止められない」――経験不可能性を受け入れたひきこもりは決断主義者にアプローチできない――という言葉である。だが、実

    碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    prisoner022
    prisoner022 2009/01/25
    宇野常寛の「碇シンジでは夜神月を止められない」/碇シンジと対比されるべき決断主義者はまず彼が主人公であった「新世紀エヴァンゲリオン」から上げられるべき/エヴァにおける最大のそれは、間違いなく碇ゲンドウ
  • 「ある日突然殺人ゲームに巻き込まれる話」はもう飽きた - 玖足手帖-アニメブログ-

    もうそろそろアニメで突然やってくる女の子とか、幼なじみとか、やめませんか? - あしもとに水色宇宙 突然やってくる女の子より、ある日突然「さあ、ゲームの始まりです」とか言うほうが飽きた。 ある日突然女の子がやってくるアニメはまだバリエーションが広いし許せる。 しかし、バトル・ロワイアル以降の「ある日突然殺人ゲームに巻き込まれる」といったアニメや小説映画は多過ぎる。 正直、アキカン!は女の子がやってくるよりも女の子が戦うゲームという設定の方が飽き飽きした感じだ。 そういう話はどれも似た感じになるし、殺伐としてて雰囲気が悪い。 イキガミ!とかセキレイ!とか黒神!とかリアル鬼ごっこ!とか平成仮面ライダー!とかデスノート!とかローゼンメイデンとか いや、ある日突然殺人に巻き込まれるのはまだバリエーションが広いし見れる。 が、それをルールに沿ってやる、ルールに限定された範囲でやる、というのが甘っち

    「ある日突然殺人ゲームに巻き込まれる話」はもう飽きた - 玖足手帖-アニメブログ-
    prisoner022
    prisoner022 2009/01/23
    お話の中の死は記号でしかないんだよな。なんの重みもない。本当には誰も死なない。/作中の死に重みがあるとしたら、情の流れがきちんと繋がってる場合だろう。大事なのは死ぬ事よりも情なの。
  • 『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね

    ※件のを冷静に読みたい方は、まず(↓)をお読みください(5月27日追記)。 『ゼロ年代の想像力』を読み直すためのレッスン+++ - 白鳥のめがね このから学べることは、こんなパフォーマンスに需要があると思われるほど文化的状況は貧しいことになってしまっているということではないだろうか。まずそれを直視しておきたい。 ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る 文化的状況の貧しさに徒手空拳で立ち向かう著者の努力とある種の真摯さには一定の敬意を払わなければならないだろうが、だからこそ、批判的な検討をもってエールとしたい*1。 以下、このの特徴の幾つかについて触れ、まず、あくまで著者自身が要請している倫理と論理を徹底することによって、この

    『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね
    prisoner022
    prisoner022 2009/01/15
    まだ積んである。そろそろ読まなきゃ…。
  •  『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てて反発しても釈迦の手の中 - カオスの縁――無節操備忘録

    『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(メモ) - 白鳥のめがね http://d.hatena.ne.jp/yanoz/20090103/p1 んー。まあ宇野氏は基的に挑発的な物言いをする人だから、腹を立てるのは分かるですよ。 むしろ「善良な市民」さん時代に比べれば、さすがに場所柄で遠慮してるんだなぁと思ったくらいですからね。惑星開発委員会での氏はもっと釣り針満載なわけで(笑)。 なのでまあ腹を立てるのは分かるんですけど。けどこういう風なエントリとして立てて、反発してみたりして、それ自体すごい勢いで「釣られて」いるようにしか見えない。 だってねぇ。 だからこそ、宇野常寛は、自分だけは島宇宙の住民ではないかのようにして、「真正さ」に対する判断の根拠を保留したままで、自らの歴史叙述だけは議論の余地無く正しいかのように主張していく。結局、著者のパフォーマンス自体が「動員ゲーム」のた

     『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てて反発しても釈迦の手の中 - カオスの縁――無節操備忘録
    prisoner022
    prisoner022 2009/01/15
    コメ欄の応答も面白い。「地道に対話を試みることでしか満たされない倫理的な要請がある」という言葉はよい。宇野さんは誤読による反発の可能性を承知で挑発してるので、その点は不誠実だと私も思います。
  •  ゼロ年代の想像力 - カオスの縁――無節操備忘録

    ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る 正月に熱中して読んでいたのがこれ。 惑星開発委員会の「善良な市民」さんとして一部で有名な方が、SFマガジン誌上で連載していた批評ですね。 参照・第二次惑星開発委員会 http://www.geocities.jp/wakusei2nd/ 私はこのサイト、第一次の頃からこっそり色々読みに行ってました。最初に知ったのは多分「富野小説歴史」だったと思います(笑)。そこからクロスレビューなんかをちらちら眺めたりしてました。 で、上記活動を通じて、「善良な市民」さんは小気味良い切れ味で流行のエンタメ作品をバッサバッサと斬っていっていまして、それなりに愉快に読んでもいたのですが……同時に多少の反感も持っ

     ゼロ年代の想像力 - カオスの縁――無節操備忘録
  •  決断主義者としてのキラ・ヤマト - カオスの縁――無節操備忘録

    以下、『ゼロ年代の想像力』から派生した私なりの思考メモです。 90年代、宇野氏言うところの「セカイ系」的な想像力が隆盛しました。オウム真理教事件などを契機に、「世の中の事はわからない、信用できないから引きこもる」「碇ゲンドウのような大人の言うことに従って行動すれば誰かを傷つける、だから引きこもる」といった傾向の作品群が生まれたと、氏はまとめています。 そして、そこで示される倫理感は、大雑把に言えば「○○しない」という倫理だったと。 ここで思い出されるのが、以前うちのブログで扱ったあの話題です。 「90年代キーワード、不殺」。 http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20060822/1156218511 この「不殺」こそ、宇野氏の言う「○○しない」という倫理の最も顕著な例でしょう。「殺さない」という倫理です。そういう意味で、上記リンク先で紹介した「さて、次の企画は」さん

     決断主義者としてのキラ・ヤマト - カオスの縁――無節操備忘録
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病

    さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/12/18
    いろいろさらけ出してるなぁ。現状肯定して、まったり・・・に聞こえてしまうけどなぁ。
  • 「同時代作品はまるで眼中にない水村と、同時代作品しか眼中にない宇野」という名言。- 【海難記】 Wrecked on the Sea

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    「同時代作品はまるで眼中にない水村と、同時代作品しか眼中にない宇野」という名言。- 【海難記】 Wrecked on the Sea
    prisoner022
    prisoner022 2008/11/29
    批評の極端な両極分解と相互交流のなさ/そのような分断状況にもかかわらず、「このままではいけない」「君はわかってない」といった焦燥感や苛立ち/不毛さの上でしか批評の言葉が紡がれない、現代の批評
  • 00年代の言論界に現れた新星・宇野常寛インタビュー『ゼロ年代の想像力』が目指したもの|MouRaトピックス「MoPiX」

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    prisoner022 2008/11/27
    抽象的な議論や文学に興味や関心のある人間は今、どんどん批評や、活字から遠ざかっていて、逆に本を読む前に話し方講座にでも通ったほうがいいような人たちが、消去法で、逃避のために批評を手にしている
  • 最後の映画の呪い日記 : 批評にとって「面白い」とは何か?

    prisoner022
    prisoner022 2008/10/24
    近代社会は異常性を特定の文化表現のなかに「囲い込む」社会/ポストモダン社会は異常性を社会のなかに拡散させ「飼い馴らす」社会/オタク的な想像力/この社会で異常性がいかに「飼い馴らされ」ているのか
  • 大蟻食の生活と意見 日記 : 2008.10.10

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」読み中。連載中に読んだのだが、「小さな成熟」に至って凄まじい徒労感を感じ、なかったことにしていたのだ。大幅書き足しをしたようなので何か変わったかと思って買ったのだが、いやもう、そういう問題じゃないね。 宇野氏にしても、宇野氏が目の敵にする東浩紀にしても、結局やっていることはB級グルメである。B級と言ってもどこぞの商店街の肉屋さんのコロッケがうまい、とかそういう、昭和の御代の低回趣味的なB級グルメではなく、すかいらーくとかデニーズとかの話だ。それはまあそれで面白くないこともないのだが、すかいらーくやデニーズを論じることだけがを論じることだと言い始めるからおかしなことになってくる。東氏は歴史的な事例を完全に度外視することでそう言う奇形的な議論を成立させようと試みるし(一遍、ファミレスの調理の革命性を熱く語る東君に、じゃ汁なし担々麺ってどうなの、に類する質問をしたら

    大蟻食の生活と意見 日記 : 2008.10.10
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    prisoner022 2008/10/14
    ちなみにセカイ系——何も考えてない薄味至上主義、決断主義——無意味に劇辛、小さな成熟——ちょっといい感じかもしれないけど格別美味くはない、ってことでいいんでしょうか?
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    prisoner022
    prisoner022 2008/09/24
    「ゼロ年代のヒーローたちも、過去のヒーローたちと比べて遜色ないほどの勇気や侠気を持ち合わせている。しかし、「それにもかかわらず」すぐには力を発揮できないのが現代であると考えるべきなのだ。」
  • 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 文=さやわか 【前編】 - WEBスナイパー

    special issue for the summer vacation 2008 2008夏休み特別企画! web sniper's book review 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評 『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 著者=宇野 常寛 【前編】 文=さやわか 『DEATH NOTE』、宮藤官九郎、よしながふみ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描いてきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 昨年、『SFマガジン』誌上で連載が開始され、ネットを中心に大きな話題となった宇野常寛『ゼロ年代の想像力』がついに単行化された。つまり、これは話題のである。 連載開始当初から宇野が注目された理由とは、まずはやはり彼が「決断主義」という言葉によってゼロ年代のフィクションの特徴を抉り出すことに成功したからだろう。その達成は単行

    prisoner022
    prisoner022 2008/09/10
    SMスナイパー・・・(汗)。『ゼロ年代』って読んでるとニーチェ先生との違いがよく分かんなくなってきて、今『ニーチェ入門』(笑)読み直してる。
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000411.html

    prisoner022
    prisoner022 2008/08/29
    しかし、空想がない思想ってなんでしょう? もし空想が認められないなら、つまりは「それって現実的に不可能じゃん」みたいなことで思想の可能性がなくなるのであれば、最初から思想なんて要らないと思うのです