おれは原発嫌いだけれど、なんだか反原発の人のなかには、原発の恐ろしさを広めたいがために、福島県民がむごたらしいガンや白血病で死ぬのを、ワクワクして待っている鬼畜がかなりいるように思える。かりに放射能の影響で、ガンの発症率が上がると判明しても、悲しむよりも万歳三唱しそうな連中。
我々にはどうしても朝から酒を飲まなければならないときがある。 だけど考えてみて欲しい。 朝までやっている店はあっても、そこから先はどうだろう・・・? ≪ああ、朝から酒が飲みたい、昼まで飲みたい・・・!≫ そんな迷える朝飲み難民を総ウケしてくれるのが、東京都杉並区は高円寺。 今日はこの街だから出来る奇跡の「早朝ハシゴコース」をたっぷりご紹介したいと思う。 AM 4:30 始発電車に乗り、到着したのはJR中央線が誇るカルチャースポット、高円寺駅。 オール明けと思しきハイテンションな若者が家路に向かう最中、始発で飲みにやってきたのは恐らく俺だけ。 学生の街、バンドマンの街、お笑い芸人の街・・・・色んな呼び名はあるけれども、この街が「朝飲みの街」でもあるという事を、今回是非とも覚えてもらいたい。 1軒目 ラーメン 大公(AM4:00オープン) ラーメン大公のオープンは安心のAM4:00。 高円寺で
ここでいう「マイナス」は、劣等感とか抑圧とか差別とか、「人生の障害」的なもの。「プラス」は、「人生を楽しむ」とかそういうことなんだけど。 「マイナス」を持っている人間にとって、それを解消しようとすることは、人生の大きな「動機」になる。「動機」は「行動」を産み、「行動」は「充実」を産む。その意味で、「マイナス」を持っている人間の人生は、ある意味では充実しているということができると思う。 しかし「マイナス」が解決されたとき、その人はその後、何を「動機」にして人生を送ればよいのだろう?いま特に「マイナス」を持たない人間は、何を生き甲斐にすれば「充実感」を得ることができるのだろう? 僕は「ゼロをプラスにする」とは、要は「人生の楽しみ方を知っている」ということなのだと思う。しかしその努力や才能は、マイナスをゼロにする努力や才能とは、まったく異なるもののような気がする。 そしてこれまで「マイナスをゼロ
1 : 底辺OL(アラバマ州) :2007/11/05(月) 00:52:19 ID:3h5ggRMa0 ?2BP(7132)
俺が今勤めてる会社は、おそらく誰でも知ってるいわゆる一流企業。まだ中間管理職のはしくれにすぎないんだが、周りからは将来の社長候補と見られている。 これは自惚れでもなんでもなくて、この間は副社長から「社内での君の評判はすごいね」と言われ、俺が全然知らない他の部署の人からも、「○○さんは社長の信頼が厚いから」とかいきなり言われてびびった。 俺の評判を整理してみると、 ●上司、同僚、部下とあらゆる立場の人から一目置かれている ●社長は特に俺を買ってくれている ●取引先の役員も、彼の部下達に「○○さんは大事にしておけ」と触れ回っている ●ついでに、社内の女の子たちにも人気がある という感じで、今の俺は、それ何て島耕作?状態にあるようなのだ。 でもなー、現実の俺は全然違うんだけどなー。 目を見張るような仕事上の実績なんか上げてない。学歴は悪くないけど、飲みこみは遅いし、しゃべってもアドリブがきかず、
やー、結局、楽しければそれでいいと思うんですよ。本人が。 「人生」とか「生き方」とか言っちゃうと大げさな話になっちゃうんですが、 楽しいと思うことをして生きていられれば、それでいいんじゃないかと。 偉くならなくても、 お金持ちにならなくても、 もちろん、他の人にイヤな思いをさせて感じる「楽しさ」はその時点でダメです。 他人を攻撃して気持ちよくなるような卑屈なやり方ね。 あと「私は誰にも迷惑かけてないもん!」みたいなときも、きっちり周りは迷惑受けてたりするので、 そういうときは話し合ったり、迷惑の代わりに何か貢献したりとか考えなきゃいけないです。 とまぁ、しちめんどくさい前置きはさておき、 繰り返しになるけど、楽しければそれでいいと思うんです。 楽しい、というと笑顔でわっはっはみたいのを想像してしまうけど、楽しさにもいろんなものがあって、 例えば真顔で何かに熱中しているのも楽しいし、 ふかふ
2007年12月20日15:45 カテゴリArt 私自身が知らずに取っていた燃えつき対策 この二つを見て、ちょっと考えこんでみた。 瀬名秀明の時空の旅: 仕事で燃えつきないために?対人援助職のメンタルヘルスケア 冨樫義博は燃えつきない。 - Something Orange なぜ燃え尽きたアーティストは屍さえ拾ってもらえないのか 瀬名秀明の時空の旅: 仕事で燃えつきないために - 対人援助職のメンタルヘルスケアさて、実は作家というのもひとつの援助職であり、だからこそ「燃えつき」が起こるのではないかと私は考えている。 同感、であると同時に、しかし他者にケアを求めるのもまた難しいとも思う。 その理由は、二つある。一つは作家自身に内在し、もう一つは作品発表の場という環境に起因する。 燃え尽きるのは、実は気持ちがイイ 「アストロ球団」ではないが、消化試合が制度的に許されているゲームでさえ、プレイヤ
サークラアドベントカレンダー3日目、ホリィ・センです。 「こじらせ自分語り」がテーマだそうで、僕の中でこじらせの定義は「他者にあまり理解されにくい複雑なこだわり」みたいな感じですかね。と言っても、今回はそういうテーマに回収されるのか微妙です。今回はメンヘラ神と名乗っていた女性を巡って2013年にあった出来事と、それについて僕が何を思ったかを書こうと思います。 はじめに 文脈を知らない人のためにも説明します。2014年2月にLINEで自殺教唆した人間が逮捕されたというニュースがありました。それによって話題が掘り返されてしまったのですが、その自殺した人間がメンヘラ神でした。先に言っておくと、彼女の自殺の動機や原因は僕にも分かりません。彼女は精神疾患を抱えていましたし、その「自殺教唆」のようなものが決定的な自殺の原因になったかと言われればそうではないと思っています。 そのニュースがあって、誰が作
部落解放同盟中央本部のホームページをご覧頂き、ありがとうございます。 残念ながら、お探しのページが見つかりませんでした。 ただ今、ホームページリニューアル作業中となっております。 お手数ですが、以下のサイト内検索にて再検索していただくか、記事バックナンバーのインデックスを辿ってページを探してみてください。 サイト内検索 記事バックナンバー トップページへ
仕事、好き? 仕事をしながら、何を私はやっているんだろう。といつも思ってしまう 今の仕事が好きじゃない。というよりどんな仕事だったら好きでいられるかが分からない 若い頃からこの事には気づいていた。小学生の頃、先生が言う。「〇〇君、将来の夢は何?」 私は適当に周りに合わせて学校の先生って答えておいた 中学生の頃、先生が言う。「〇〇君、あなた進路はどうする?」 私は自分の学力に一番近い高校を選んだ 高校生の頃、先生が言う。「〇〇君、就職と進学どっちにする?」 私はとりあえず大学を目指すことにした。自分の学力に一番近い学校を しかし、この頃が限界だった 何でこんな世の中なのか。なぜ進学するにつれ将来が狭まっていくのか。道は限られているのか。未来は広がるものだろう? 一人、勝手に世の中を憂い、一人、勝手に苦しんだ それで結局、就職する羽目になった そして今。こうやって働いている そもそも私は何が好
6月21日にポーランド、ポズナン市で行われた夏至を祝う祭りでの映像です。8000個以上の紙製ランタンが上空に向けて一度に放たれました。 たくさんの人が参加した祭りなだけあって、様々な人が上空に放たれたこの美しいランタンの光を撮影しています。以下、その動画の数々を掲載します。 YouTube - Lampiony Poznan 21 czerwca 2011 Noc Kupały https://www.youtube.com/watch?v=BJnuqP3OMfI YouTube - Latające lampiony Poznań - rekord Polski https://www.youtube.com/watch?v=XePUTMXnBOA YouTube - Noc Kupały - Lampiony Poznań 2011 - rekord Polski https://ww
RPGのやりこみプレイにはいろいろなパターンがあるが、「いのちだいじに」だけでクリアとか、「がんがんいこうぜ」だけでクリアっていうのは可能なのだろうか。 実世界はRPGよりだいぶ複雑なので、「いのちだいじに」と「がんがんいこうぜ」をいかに適切なタイミングで使いわけるか、ということは、人類の生存にとって大きな課題であった。 「血気さかんで自信過剰な若者」と「はやる若者をいましめる年長者」という構図は、そういう複雑な環境の中で生き残るための戦略の名残だろう。つまり、個体の中で複数の戦略を切り替えるのは非効率的なので、群れの中で、それぞれの個体が年齢に応じて単一の戦略を担当し、個体同士の相互作用で最終的な意思決定するというシステムによって、人類は群れとして生き残ってきたわけだ。 最近の若者は、変に大人びてきていて、常に冷静で、客観的な自己評価から脱しない傾向が強い。一方で、高齢者の生存率が高まり
斜面が多く平地が少ない坂の町・長崎では、ゴミの収集にソリを持ったおじさんが山の上から降りてきたり(⇒参考記事)、バキュームカーがホースを何本もつないでくみ取ったり(⇒参考記事)、車の駐車場がつっかえ棒で無理矢理土地を広げたものだったり(⇒参考記事)、 といった具合に、日常の当たり前の光景でも当たり前でなくなってることが数多くある。 今回は、そんな長崎の墓地に注目したいと思う。 (T・斎藤) 日当たり良好、眺望抜群 ご覧のように、長崎では墓地もやっぱり斜面にある。 なので、 ・日当たり良好 ・眺望抜群 といった、まるで「一等地」みたいな要素が墓地に加わる。 墓地というと、一般的に ・昼間でも薄暗い ・陰気でじめじめしてる ・お化けでも出てきそう といったイメージ がなんとなくあるかと思うが、実際はそういうところはあまりなく、寺が管理している清潔感のあるところが多い。長崎の場合、それにさらに日
昨夜、友人のジョーク、「生きているのがつらい、死にたい」。先日、テレビのニュース、「自殺者が12年連続で3万人を超えた」「長引く不況で経済的要因による自殺が増えている」。こういう話を耳にするたびに僕は、潰されるような息苦しいような気持ちになる。あの日のことを思い出してしまう。痛みとともに。それから、僕は、知っている人、これから知り合う人、知り合わない人、いろいろな人たちにむけて、どうか命を断つようなことはしないでほしい。もういちど考えてみてほしい。周りにいる人のことを。もし孤独なら、好きな食べ物でも面白かったゲームのことでも昔みた夢でもなんでもいい、自分と繋がっているもののことを考えてみてほしい。死なないでほしい。痛みのなかで、僕は祈る。 18年前の春、父は自殺した。動機はわからなかった。遺書もなかった。前兆もなかった。と思う。そう信じたい。葬儀が終わって落ちついたころ、母が僕に「いいお父
10代の頃とかは触れるものすべてが自分の人生を変えるきっかけになるんじゃないかと必死だったけど この歳になると変わりようがないし自分が変える気もないのもわかっちゃってるし 結果「俺の人生に関係ねー」ってなに見てもなにも感じなくなった
柴村仁が嫌いである。 いやまあ、本人は「会えばいい人」なのかもしれないが、彼女の書いたものはことごとく嫌いなものが多い。 ぼくが読んだ限りにおいて、彼女の小説のスタイルについては次のような印象を持っている。つまり誰かが死んだこと、または何かが失われたことがまず強烈なインパクトとして存在していて、その事実を中心に物語が回っていく*1。『プシュケの涙』がまさに典型的だが、『我が家のお稲荷様』もそうで、あの話の構造は要するに死んだ母親の縁で胡散臭い奴らがわらわらやってきて、死んだ母親の話をして帰っていくというものだろう。死んだ母親が物語の中心にあって、ことあるごとに母親が死んでいるということが思い出さされるのだ。 それで、なぜそういった喪失を中心とした物語(くーきょなちゅうしん、とか言いたければ言えばいい)が嫌いかというと、そうした物語はたいてい「見下ろす視線」というものを構造として保有している
www.fujitv.co.jp 録画で追っかけ再生開始。 冒頭、西山喜久恵アナウンサーの沈鬱な喋りを聞いていると、『スマスマ』って、バラエティ番組なんだよね……これじゃ追悼番組にしかみえないよ……と、観るかどうか迷ってしまいました。 だいたい、メンバーは誰も生出演しない「最終回」って、これ実質先週の「タモリさん回」が最終回みたいなもんだろ、と思いつつ。 森且行さんがいる「6人SMAP」からスタートして、2ヵ月で森さん脱退しちゃったんだなあ。 稲垣吾郎さんが不祥事で活動自粛になったときの映像で、4人でコンサート(っていうか、5人でやるところをいきなり4人バージョンに変えるのって、すごく大変だったはず)に臨むところや、「4人でやります」と言ったときの客席の反応など、当時は知らなかったことがザクザクと。 そもそも、稲垣さんは駐車違反をしただけで、その後、人が集まってきたので「別の場所に移動して
就職して、学生時代からの友人と二人暮らしを始めた。 二人暮らしを決めた当時は、お互い不安だった。学生時代同じ学科同じクラブ同じ研究室で年中無休べったりだったとはいえ、二人とも家族以外と暮らした経験が皆無だったのだ。レオパレスとかでお試し二人暮らししてからにしようか長期で旅行とか行ってみる?…などと色々と話し合った。でもまあお金も勿体無い。何とかなる、とか根拠のない自信が出てきたりする。 で、とりあえず見切り発車で行こう!ということで行き当たりばったりに家を探しに行って、勢いとのりで家を決めて、保証人お願いしがてら親に家をでることを告げて(なぜか二人とも相手親には評判がいいため、お互い「○○さんと一緒なら安心だわ」といわれてかるく許可が出た)、お金を払って、そうして8月から二人暮らしは始まった。 すると心配していたのが馬鹿らしくなるほどうまくいった。そうだ学生時代は今よりももっと長い間一緒に
という呪いのことばが口からつい出てしまったのだけれど、なにが阿呆らしいと思ったかって、埼玉かどっかのある中学校で「人を信じる」というスローガンを掲げて無人購買をやってるんだけども、収支が合わないとかで全校800人にアンケートを配るわ、校内放送で涙ながらに「名乗り出てください!」と訴えるわ、「今までみんなで守ってきた『伝統』(と言ってたかは定かじゃないんだけど)を平気で破る人がいて悲しい」だとか学校中を巻き込んだエライ難儀な問題に発展したそうなんだけど、いや、本気で「くだらねー」と思ったのは、その問題になった「収支」っつうのが 50 円 の 黒 字 だっつうことで、つまり誰かが間違えて50円余計に払っちゃったってことなんだが、どうして50円黒字になることが「人の心を信じる」に反するのかさっぱりわからんくて、いや、つうかそれ以前に赤字になった時があったとしても「値段を間違えた」とか「収支計算ミ
本日の読売新聞(朝刊)で、和泉高校に関する記事が掲載されましたので、この記事につき、コメントさせていただきます。記事の内容は、今年行われた和泉高校の卒業式で国歌「斉唱」をしなかった教員に関する内容です。 昨年、大阪府では、公立高校の卒業式などの式典の際に、教職員は起立して国歌を斉唱する旨の条例が制定され、今年の卒業式に際しては、大阪府の教育長から、すべての教職員に対し、起立・斉唱をするように文書による職務命令が出されました。教育委員会からは、複数回にわたって、全校長に対し、この職務命令を各学校で徹底するよう指示がありました。 私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。確実に確認しようとすれば、誰かが起立しているすべての教職員の口元まで近寄って歌っているかを確かめないといけなくなりますが、これでは、せっかくの卒業式の雰
今、真剣になって仕事をしている。 とにかく休む暇無く動いている。 3年前まで僕はぐうたらなフリーターだった。 どうして今、こんなに必死になっているのか。 僕を動かす原動力になっているのはただ一つしかない。 ある人への底知れない憎しみだけだ。 僕はあの人の事を考えるだけで頭の中が真っ白になってしまう。 それほどほど憎んで、怨んでいる。 彼と僕は親友だった。 少なくとも僕はそう思っていた。 彼曰く、僕と彼はとても似ていて共感できる部分が多かったらしい。 馬鹿な僕はそれをすんなり信じ込んですっかり親友気取りだった。 ところが彼と知り合うにつれ、うまくいかないことが急に増えだした。 こと、人間関係はビックリするくらいこんがらがって、気が付いたら僕は孤立していた。 皆が口をそろえて僕を非難する。 あることないこと、どんどん尾ひれがついて、どうしようどうしようとあたふたしている間にすっかり僕は「悪人」
ふと思ったのですよね。 人と比べるからイライラするんじゃないかって。 それじゃ、比べなければいいんじゃないかって。 私はあの人みたいにあんなこともできないし、こんなこともできないし……って凹む人いますよね。私もそうでしたが。 んー、人間だから得手不得手ってあると思うのですよね。得意、不得意。長所、短所。いいところ、悪いところ。 そして、調子のいいときもあれば、調子の悪いときもある。 人をうらやましがっても自分は変わらないし、嫉妬しても自分がよくなるわけじゃない。 人は人。自分は自分。 人には人のよいところがある。 自分には自分のよいところがある。 それを認めるのが大事じゃないかな。 人には人のよさがあって、自分には自分のよさがあるんだってことを認めたら、すごく楽になると思う。
京都大学には『サークルクラッシュ同好会』という、ふざけた名前のサークルがあってね、人間関係の破綻による〝サークルクラッシュ〟という現象を研究対象にした一風変わった活動をしているらしい。 どうやらそのサークルは、巷で〝サークルクラッシャー〟と呼ばれる、周囲の人間関係を崩壊に導きやすい性格の人間を集めて、他のサークルに送り込んでサークルをクラッシュさせたりする活動もしているらしい。それは普通にホームページにも書いてある。 そのサークルの代表は、京都大学社会学部の大学院生「ホリィ・セン」という人なんだけど、彼が最近、こんなブログを書いていた。 『僕の人生を大きく変えたメンヘラ神との思い出』 http://holysen.hatenablog.com/entry/2017/12/04/122838 内容は読んでもらえればわかるけど、 2013年に自殺教唆で慶応大学の学生が逮捕された事件のことである
高校生が6億3000万の遺産を手に入れ、ネットで資産運用法を尋ねる 1 名前: ばれいしょ(京都府) 投稿日:2008/11/30(日) 17:36:06.86 ID:/zdVrWY5 ?PLT 高校生が手元にある6億3000万円の資産運用法尋ねる 「人力検索はてな」に高校1年生でも可能な資産運用の方法を教えて欲しいとの質問が投稿された。 筆者は高校1年生。資産は実父の遺産で6億3000万円ある。 現在の運用方法は、定期預金に5億円、投資信託に1億円、安定株に3000万円 となっている。今後75年間の生活費3億円は元本割れせずに運用し、 残りはリスクを覚悟して運用していきたいという。 この質問に「6億あったら、年間400万どころか、その10倍以上稼げる投資ができる。 現金のチカラってのは、1億=1000万円×10倍、じゃないんだよ」 「ローリスク・ローリターンな電気・ガスで配当を貰うとか、
yuiii@ねこ休み展 @yy221126 息子が転んだらすぐかけ寄るブランさん、朝から尊いです🙏 でもやっぱり息子はツンデレなのか、付いてくるブランを置いていったり、けどブランが来なかったらちゃんと待ってたり…笑 それに気付くと喜んで付いて行くブランが彼に夢中な女の子のよう。(実際は両方男です) pic.twitter.com/RcdIx123wZ 2019-09-02 09:03:56 yuiii@ねこ休み展 @yy221126 3匹の猫と、ほぼ猫な息子と娘の母👶🏻🐈実家にいるメインクーン兄弟のシェリとカーロと、我が家にいる白猫のブラン♂と黒猫のノワール♀と白黒猫のグリ♀の写真が中心です🐈インスタも別で 更新中。 Instagram.com/chouchou_cheri…
雑記運とか、周りの環境だとか、そういうものも全部が自分の責任だって言うのなら、だけど。 研究室ではよくモノポリーで遊んでいます。あのゲームで負けるのも、自己責任なんだろうか。上手な取引や、心理戦、思い切った賭け、理論に基づいた冷静さ、そういったものが要素としてはすごく大きいゲームです。でも、2つサイコロが出す目によっては、どうしようもないってことはある。ゲームの終盤、勝ち組と負け組が見えてきた段階になって「あのときこうすればよかった」というのは確かに出てくる。結果論でなら何でも言えるからです。レッドじゃなくてグリーンにホテルを建てれば勝てていた、とかね。セオリー通りにやっても、それがかえって裏目に出ることはたくさんあります。*1 「あの時に、あれをしなかったお前が悪い」というのは、いささか厳しい。箱の中身を見るまで、猫が死んでるか生きているかわからない。未来が訪れるまで、何をするべきだった
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