短歌は既に多様性の時代に突入している。ここで語りたい多様性とは「人それぞれの多様性」というよりも、「『私』の多様性」と呼ぶべきものである。<わたし>と<あなた>の違いなどは既に前提化されており、描かれるのは言わば<昨日のわたし>と<今日のわたし>の違いである。つまり「多面的な私」、短歌において言うならば「キャラクタライズされない私」である。 歌集単位で「私」の多面性を描くのは比較的容易であった。一連作で一面を描けば良いのである。実際はそのような単純なものではないが、自己同一性の保たれない連作群が一冊の書物という容れ物と筆者の署名によって無理矢理に一人の人格に納められてしまう様はとても人間的だ。 一首単位で「私」の多面性を描くのもそこまで難しいことのようには思えない。短歌が唱和であったことに立ち返り、あたかも連句(無論連歌にも共通するが)の発句に求められたことのように上の句で切ってしまえばよ