それに続いてまた入学の式もあった。 東の院の中に若君の勉強部屋が設けられて、 まじめな学者を一人つけて源氏は学ばせた。 若君は大宮の所へもあまり行かないのであった。 夜も昼もおかわいがりにばかりなって、 いつまでも幼児であるように宮はお扱いになるのであったから、 そこでは勉学ができないであろうと源氏が認めて、 学問所を別にして若君を入れたわけである。 月に三度だけは大宮を御訪問申してよいと源氏は定めた。 じっと学問所にこもってばかりいる苦しさに、 若君は父君を恨めしく思った。 ひどい、こんなに苦しまないでも出世をして 世の中に重んぜられる人がないわけはなかろうと考えるのであるが、 一体がまじめな性格であって、 軽佻《けいちょう》なところのない少年であったから、 よく忍んで、 どうかして早く読まねばならぬ本だけは皆読んで、 人並みに社会へ出て立身の道を進みたいと一所懸命になったから、 四、五