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岡倉天心の検索結果1 - 40 件 / 119件

  • 提出直前の卒論を妻に燃やされた岡倉天心のきもちを体験する

    大阪生まれの大学院生。工作や漢字が好きです。ほら貝も吹けます。先日、教授から「あなたは何を目指しているのか分からん」と言われました。 前の記事:フワフワのヒヨコちゃんに論文修正を手伝ってもらう〜ラバーダックデバッグは文系も使える > 個人サイト 唐沢ジャンボリー 気になる岡倉天心武勇伝 私は大学で美術史を専攻していました。大学2年生のとき、岡倉天心について調べていたところ、 こんなエピソードが紹介されていた あまりの武勇伝ぶりに度肝抜かれました。 当時はパソコンなどなく、原稿用紙に手書きです。こまごました下書きはあるでしょうが、バックアップと呼べるようなものはありません。そんな状況で論文を燃やされるなんて・・・。 しかも二週間で別テーマの論文を書き下ろすというはなれわざ。クラクラします。 あまりの刺激に、まことしやかに伝わってる面白話なのかな?と思いきや、 天心の息子・岡倉一雄による評伝『

      提出直前の卒論を妻に燃やされた岡倉天心のきもちを体験する
    • 岡倉天心 - Wikipedia

      岡倉 天心(おかくら てんしん、文久2年12月26日〈1863年2月14日〉 - 大正2年〈1913年〉9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉 覚三(おかくら かくぞう)。幼名は岡倉 角蔵(読み同じ)。 人物[編集] 横浜の本町5丁目(現在の同市中区本町1丁目、横浜開港記念会館付近)で生まれる。福井藩出身の武家で、1871年に家族で東京に移転[1]。東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)の設立に大きく貢献し、後年に日本美術院を創設した。近代日本における美術史学研究の開拓者で、英文による著作での美術史家、美術評論家としての活動、美術家の養成、ボストン美術館中国・日本美術部長といった多岐に亘る啓発活動を行い、明治以降における日本美術概念の成立に寄与した。「天心」は岡倉が詩作などの際に用いた号であるが、生前には「岡倉天心」と呼ばれることはほとんどなく、本人はアメリカでも本名の岡倉 覚三

        岡倉天心 - Wikipedia
      • だから日本美術は一目置かれた…戦前のアメリカで差別発言を浴びた岡倉天心が英語で返した"痛快な一言" ボストンの街を和装の集団で闊歩していた

        古美術品よりも骨董と言ったほうが、家にある感じがするとでも言おうか。そうした感覚も日本的なのかもしれない。おそらく外国では、言葉の上では骨董も古美術品もアンティークで、両者の違いを明確にあらわす言葉はないのではないか。 ただ骨董品というと、人形、時計やカメラ、箪笥たんすや蓄音機のようなものも含まれる点では、古美術品と区別されるとも思う。 これらはオークションでも扱われるが、やはり美術作品とは呼ばれない。また、いわゆる真贋の狭間にあるようなモノは、骨董としては通用するが、贋作がんさくとされるものはやはり美術品とは呼べない。 日本美術における2人の功労者 突き詰めれば、美術品として一定のクオリティを持っているかどうかで、これもやはり曖昧な領域を含む話になるだろう。 私は、実際に何を古美術品と呼ぶかというよりは、何をそう呼ばないのか(例えば「骨董」と位置づけられる人形や時計、カメラなど)を考えた

          だから日本美術は一目置かれた…戦前のアメリカで差別発言を浴びた岡倉天心が英語で返した"痛快な一言" ボストンの街を和装の集団で闊歩していた
        • 岡倉天心からアジア主義まで - 遠方からの手紙:楽天ブログ

          2009.05.03 岡倉天心からアジア主義まで (8) カテゴリ:明治維新・アジア主義 明治期の日本人による英文の著作というと、新渡戸稲造の 『武士道』 のほかに、内村鑑三の 『余は如何にして基督教徒となりし乎』 とか、岡倉天心の 『茶の本』 なども有名である。岡倉は 『東洋の理想』 にある 「アジアはひとつである」 という言葉でも知られているが、それより前に書かれ、死後に公開された 『東洋の目覚め』 という文書では、次のようなことを書いている。 十八世紀の後半、東方の略奪からうまれた信用と資本によって、ヨーロッパ産業主義の発明的エネルギーが活動をはじめる。木材のかわりに、石炭が精錬につかわれるようなった。今や、飛梭、紡績機、ミュール精紡機、動力織機、蒸気機関等のおそるべき装置が完成された。農業と協力することも、人類の産業計画を十分に解決することもなしに商業主義の時代に入ったために、西洋

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          • 【切手買取】文化人切手シリーズ vol.19 岡倉天心 - 高く買取-壱ノ型

            岡倉天心切手とは? 1952.11.3、文化人切手シリーズ第十八弾として、岡倉天心切手が発行されました。岡倉天心と言えば、以前の記事でも紹介した横山大観・下村観山・菱田春草の師匠筋に当たり、明治時代、急激な西洋化の荒波の中で日本の伝統美術の価値を掘り起こし、美術運動家として近代日本の美術の発展に大きな貢献をした方のようですね。 岡倉天心の業績 明治維新が成し遂げられ、文明開化の風潮の中で明治新政府の神仏分離令により、廃仏棄釈が盛んとなった為、仏像などの美術品が破壊、海外への流出が続き、日本の古美術の危機とも言える状況となっていました。 そうした中、日本美術に傾倒したアーネスト・フェノロサの通訳として行動を共にしていた天心は近畿圏の古社寺を訪れ、日本の古美術に対する造詣を深めていき、こうした文明開化による日本美術の行く末に危機感を持つようになりました。 特に、明治17年、法隆寺夢殿の救世観音

              【切手買取】文化人切手シリーズ vol.19 岡倉天心 - 高く買取-壱ノ型
            • 英語で名言を:美しいものとともに生きてきた人だけが美しく死ぬことができる(岡倉天心) - tsuputon's blog

              March.12.2018 岡倉天心は,1863年横浜生まれの 思想家です 東京藝術大学の前身である東京美術学校創設に 深く関わられた方です 小生の学生時代の美学の恩師で, 折にふれてこう仰っる先生がおられました 自分を笑う哲学を構築なさいね 後々分かったことですが, 先生はこのことばを岡倉天心の著作から 学ばれたようです 自分を笑うこと 当時,専らニーチェの実存哲学や仏教哲学にばかり 触れていました小生は, 今考えますと「とげ」だらけで, 尾崎豊の歌う 「触れたもの全部を傷つけ」るかのような 青々しさでした ようやく今, あの頃の自分を腹を抱えて笑えるくらいに なって来ています 視野が狭いのに, 見えるものが全世界であるかの如く 振る舞う浅はかさ 自我という透明な鳥かごの中で, 大空に羽ばたいてやると意気込み続け, 自らを傷つけるしかできなかったあの頃 それを本気で笑える様になってきて,

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              • Amazon.co.jp: 英文収録 茶の本 (講談社学術文庫): 岡倉天心 (著), 桶谷秀昭 (翻訳): 本

                  Amazon.co.jp: 英文収録 茶の本 (講談社学術文庫): 岡倉天心 (著), 桶谷秀昭 (翻訳): 本
                • 明治後期の絵画と思潮——横山大観・岡倉天心・黒田清輝——(植田 彩芳子) │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

                  本論文は、横山大観・黒田清輝を中心に、明治後期から大正初期の絵画の様相を、美術思潮に重心を置きつつ考察することを目的とする。 日本画家・横山大観の画業を考える上で、岡倉天心の思想が大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない。とはいえ、岡倉天心の掲げた根本思想である理想主義をめぐる問題は、いまだ一定のコンセンサスを得ているとは言い難い。そして、天心の絵画理念は同時代の洋画家・黒田清輝の絵画理念とも重なり、しばしば混同されてきた。こうした明治後期の理想主義をめぐる問題は、横山大観ら日本画家だけでなく、黒田清輝らの同時代洋画を考える上でも重要である。 そこで本論文では、まず第一部で、横山大観の明治後期から大正初期にかけての絵画の変遷を分析し、その背景にある理想主義について考察し、その理想主義の変容の様子を検討する。その上で、第二部では、同時代の洋画家である黒田清輝の作品および絵画志向に視野を広げて

                  • 茶の本 (岡倉 天心 岡倉 覚三)

                    底本には、以下の作品が収録されている。 「はしがき」(新字新仮名) 岡倉由三郎 「訳者のことば」(新字新仮名) 村岡博 「改版に際して」(新字新仮名) 村岡博 「茶の本」(新字新仮名) 岡倉覚三、村岡博訳

                      茶の本 (岡倉 天心 岡倉 覚三)
                    • (メモ)『茶の本』(岡倉天心): egamiday 3

                      ちょっとしたきっかけで、めちゃめちゃ久しぶりに茶の本/岡倉天心著を読み返してみたら、存外こんなおもろいこと書いてたんやみたいになったので、ちょっとメモ。 「一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。」 「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう」 「不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。」 いきなり第1章からとんでもない煽り方を連発してくるので、ひくのを通り越して笑ってしまったところ。 これをふまえて考えたことには、西洋側は東洋や日本のことをステレオタイプなりジャポニズムなりの偏った目でしか見て

                      • 岡倉天心ゆかりの文化財「六角堂」、津波で滅失 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

                        文化庁の12日午後6時現在のまとめによると、岡倉天心ゆかりの登録有形文化財「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(茨城県北茨城市)が津波によって滅失するなど、9都県で21件の文化財被害が確認された。 六角堂は天心率いる日本美術院が北茨城に拠点を移す際、1905年、思索の場所として天心が自ら設計した。 ほかに、仙台市の重要文化財「東照宮」で、門や鳥居の礎石がずれたほか、茨城県常陸太田市の史跡「水戸徳川家墓所」では、墓碑が倒壊するなどの被害が出た。

                        • 岡倉天心『茶の本』から - good2nd

                          天心の『茶の本』といえば、日本文化について英語で書かれた著作として知られていますが、先日たまたまパラパラめくってたら、最初のほうにこんなくだりがありました。すっかり忘れてたのですが、ちょっと面白いと思ったのでご紹介。 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っていることであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国

                            岡倉天心『茶の本』から - good2nd
                          • 作家別作品リスト:岡倉 天心

                            公開中の作品 茶の本 04 茶の本(新字新仮名、作品ID:1276)     →村岡 博(翻訳者)    →岡倉 覚三(著者) 作業中の作品 →作業中 作家別作品一覧:岡倉 天心 社会と作家 (新字新仮名、作品ID:62119)  →岡倉 覚三(著者) 東邦の理想 (新字旧仮名、作品ID:47026)  →村岡 博(翻訳者) 関連サイト

                            • 岡倉天心「アジアは一つ」は今も遠く

                              「Asia is one.(アジアは一つである。)」 明治の思想家、岡倉天心(岡倉覚三)が1903(明治36)年に書いた『The Ideals of the East(東洋の理想)』は、この一文から始まる。 東京美術学校校長であり日本美術院創立者の岡倉天心は、ボストン美術館東洋部長も務めていて英語が堪能だった。天心がインド滞在中に執筆したこの本は英語で書かれ、日本で紹介される1939年までは海外で読まれた。 岡倉天心は「普遍的なものを求める愛」をアジア民族共通の思想とし、「Asia is one」と表現した。 儒教をはじめとした中国の思想やインド伝来の仏教が日本文化の基礎となっていることを前提に、天心の思想のなかでは20世紀初めからアジアはすでにひとつにまとまった存在だったのだ。 翻って今年11月、フィリピンで開催されたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)閣僚会合では、目標としていた20

                                岡倉天心「アジアは一つ」は今も遠く
                              • 一場の夢――岡倉天心覚書 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

                                岡倉天心が日本美術院での教え子ジョセフィン・マクラウドを伴ってアジャンタ壁画を見るために渡印したのは1901(明治34)年のことである。アメリカの富豪の娘マクラウドは、かねてより帰依していた聖者ヴィヴェカーナンダをガンジス河畔で天心に引き合わせた。ふたりは一瞬にして互いの偉大さを見抜いた。ヴィヴェカーナンダは天心に告げる。「あなたはここで私を相手に何もすることはありません」と。「タゴールに会いにおいでなさい。彼はまだ生の中にいますから」。 天心は詩聖ラビンドラナート・タゴールの家に半年余り寄寓し、仏跡をめぐり、高僧や反植民地運動の闘士たちと交わった。ある日のこと、ひとりのベンガルの画家が描きかけの絵を持って天心に面会を請うた。天心は彼のスケッチを一目見るなり、その絵の隅に二本のマッチ棒をある角度で置いた。画家は率然としてさとった。彼が描きあぐねていた絵の欠陥とそれを修正する方法がそこに明ら

                                  一場の夢――岡倉天心覚書 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
                                • 岡倉天心の茶道 英語の本を翻訳 : 伝統芸 : 舞台・伝統芸 : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

                                  ニュース 荻窪ロフト…ユーミン、達郎ら腕競った (10月28日) 杉並区のほぼ中心に位置する荻窪駅の南口は、商店街と住宅と緑が入り交じる街だ。この場所に1970年代、坂本龍一や山下達郎、ユーミンら、日本音楽界の若き才能が腕を競ったライブハウスがあった。(10月28日) [全文へ] ニュース 「猿軍団」卒業式へ猛特訓…栃木・日光 (10月28日) 今年いっぱいで閉園する栃木県日光市柄倉のテーマパーク「日光猿軍団」で、猿たちが“卒業”に向けた準備でラストスパートをかけている。(10月28日) [全文へ] テレビ&ラジオニュース ありのままの姿に好感…松田健次(放送作家) (10月28日) 見せたいものをどう見せ、どう伝えるか、そこには各番組の個性が凝縮されている。(10月28日) [全文へ] 伝統芸 岡倉天心の茶道 英語の本を翻訳 (10月28日) 茶道の三徳庵(さんとくあん)理事長で、

                                  • 視点・論点 「美術の夜明け 岡倉天心」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

                                    東京藝術大学 大学美術館准教授 古田亮 「美術ハ国ノ精華ナリ」 これは、明治時代、美術の研究や保護に大きな足跡を残した岡倉天心の言葉です。 昨年は、生誕150年、歿後100年という節目の年にあたり、関連書籍の出版、展覧会やシンポジウムの開催など、その存在がクローズアップされました。また、今年は岡倉の創設した日本美術院が再スタートしてから100年にあたることから、「世紀の日本画」と題した大規模な展覧会も今月末に開催予定です。この機会に、岡倉天心について考え、私たちが未来の美術をつくっていくためのヒントにしたいと思います。 では、岡倉天心という人物をどのようにとらえればよいのでしょうか。その生涯を振り返りながら、考えてみたいと思います。 数え年19歳で東京大学を卒業した岡倉は、文部省に就職します。そして、文部少輔だった九鬼隆一のもとで美術の奨励に奔走することになります。九鬼と岡倉はアメ

                                      視点・論点 「美術の夜明け 岡倉天心」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
                                    • media debugger - 「アジア主義」再評価論批判①――岡倉天心は「日本のシオニスト」

                                      やや間が空いてしまったが、前回のエントリーに登場した、進藤榮一らの「岡倉天心と東アジア共同体」といった言説(「アジア主義」再評価論)について、何回かに分けて批判してみたい。 先日紹介した『環』2008年秋号(Vol.35)の「小特集 岡倉天心と21世紀のアジア」は、「国際アジア共同体学会」(代表・進藤榮一)が同年2月23日に有楽町朝日ホールで主催したシンポジウム(「東アジア共同体と岡倉天心:21世紀アジアを展望する」)を受けて組まれたものである。ご覧の通り、このシンポジウムは政官財・マスコミ(朝日、NHK)・大学に加えて、中韓の大使館、さらにEU代表部まで抱き込んだ(▼1)一大イベントであり、その社会的影響力は一マイナー季刊誌の枠を遥かに超えている。 「東アジア共同体と岡倉天心」国際会議委員会 会長・西原春夫(早稲田大学元総長、アジア平和貢献センター理事長) 実行委員長・進藤栄一(筑波大学

                                      • 岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ―

                                        2007年10月4日(木)-11月18日(日) 月曜休館(ただし10月8日は開館、翌10月9日を休館) 開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) 平成19(2007)年は、東京美術学校の創立から120周年を迎える記念の年にあたります。 戦後に東京美術学校を継承した東京藝術大学は、これを記念して様々な記念事業を実施いたしますが、 その中心事業のひとつとして大学美術館を会場として開催される展覧会が「岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ― 」です。 この展覧会は、本学の創設に深くかかわり、開校まもなく校長となった天心・岡倉覚三(1863-1913)の業績を、 東京美術学校在任時代を中心として、多角的に検証、紹介するものです。 天心の行った美術に関する仕事は、美術学校の教育環境の整備や学生指導にとどまらず社会連携制作の推進、 美術団体の支援、美術行政の整備のほか、博物館事業、美術史の編

                                        • 岡倉天心の『茶の本』の筆写を始めた② - 忘れるために書くブログ

                                          www.writetoforget.com Chapter2 The School of Tea ~第二章 茶の諸流~ 英語版 日本語版 英語→日本語→わからない語彙を調べる 茶の進化 薬として重宝される 飲み方 茶道の元祖陸羽 茶経 宋の時代 宋人の茶の理想 モンゴルの侵略と内乱 日本の茶の世界 遣唐使によって輸入 宋の茶 茶の湯の目的 Chapter2 The School of Tea ~第二章 茶の諸流~ Chapter2 The School of Tea ~第二章 茶の諸流~の筆写が終わった。 英語版 英語版はThe Book of Tea 茶の本 ラダーシリーズ。 全文載っている完全版ではないが(おそらく複雑な表記や古い表現の箇所はあえて削っていると思われる)、読みやすいように構成されている。 日本語版 日本語版は青空文庫から出版されている茶の本。 AmazonKindleで

                                            岡倉天心の『茶の本』の筆写を始めた② - 忘れるために書くブログ
                                          • Amazon.co.jp: 茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス): 岡倉天心 (著), 浅野晃 (翻訳): 本

                                              Amazon.co.jp: 茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス): 岡倉天心 (著), 浅野晃 (翻訳): 本
                                            • Amazon.co.jp: 新訳 茶の本 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫 315 ビギナーズ日本の思想): 岡倉天心 (著), 喬樹,大久保 (翻訳): 本

                                                Amazon.co.jp: 新訳 茶の本 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫 315 ビギナーズ日本の思想): 岡倉天心 (著), 喬樹,大久保 (翻訳): 本
                                              • 岡倉天心展:クールジャパンのさきがけ−−県立こども歴史文化館 /福井- 毎日jp(毎日新聞)

                                                • 推理小説、輸入黎明期の物語〜岡倉天心が、ホームズ話をネタに「お銚子もう一本」をせしめる話 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                  twitterを再構成。 【ミステリー特集5】【創作系譜論】 この季節、話題のノーベル賞。日本人が2人受賞し、どこかで国の比較や、個人の栄誉か国の名誉か…的な話が例年通り、質の悪い吹き上がり方をするけど、受賞国の差、特に「○○国が多い、少ない」という話を考える時、それを確実に左右するお国柄があると思う。 …それは「そのジャンルに若い時、出会える環境か」だ。 どんな天才的才能がある子でも、まず科学、文学、教育に触れて、そこで興味や知識を養わないでノーベル賞が取れるわけがない。労働も尊いが、少年少女がそういうものに触れられる機会を増やしてこそ、天才科学者も文学者も生まれる。 だが、 その一方で、「正統な学問」だけ学ぶのも懸念がある。 たとえば中韓の高等教育が進み、科学論文の発表や被引用数が増えているのは慶賀の至り。 (※【注意】最近の当ブログ、リンクを貼るとURLは正常なのに404になったりし

                                                    推理小説、輸入黎明期の物語〜岡倉天心が、ホームズ話をネタに「お銚子もう一本」をせしめる話 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                  • 東京藝術大学創立百二十周年記念「岡倉天心 -芸術教育の歩み-」内覧会 – 上野浅草ガイドネット探検隊

                                                    お店のイベント・セール情報 (34) ガイドネット情報 (161) ガイドネット特集 (9) ショッピング情報 (133) スクール情報 (3) テイクアウト/お土産 (50) プレス発表会 (91) ランチメニュー別 (2,375) ○○卵炒め (13) ○○炒め (54) エスニック料理 (44) オムライス・オムレツ (25) お好み焼き・もんじゃ (7) カツ・コロッケ (128) カツ丼 (25) カレー (259) グラタン (7) サンドウィッチ (13) シチュー (2) スープ・クッパ (20) スイーツ (13) ステーキ (56) スパゲティ (138) そば・うどん (193) チャーハン (51) パスタ・イタリアン (84) ハヤシライス (12) ハンバーグ (112) パン系・ファーストフード (34) ピザ (30) ビビンバ・冷麺 (37) ピラフ (1

                                                    • 「アドリブは一切ない」竹中直人が体現した「日本近代美術の父」岡倉天心の理想 : 映画ニュース - 映画.com

                                                      岡倉天心を演じた竹中直人[映画.com ニュース] 法隆寺や興福寺の復興、東京藝術大学、日本美術院の創立に尽力した岡倉天心の生誕150周年、没後100年の節目を記念した映画「天心」(松村克弥監督)が11月16日から全国公開する。「日本近代美術の父」といわれた天心の半生を演じきった竹中直人に話を聞いた。 天心は明治初期、廃仏毀釈が高まり、仏寺や伝統美術の消失の危機に、アーネスト・フェノロサと日本美術保護のために奔走。その後、東京美術学校(現・東京藝術大学)校長に就任し、横山大観、下村観山、菱田春草ら弟子たちの育成に尽力するが、西洋画派との対立により、辞任。その後、日本美術院を立ち上げるが、経営難に陥る。そして、新天地を求め、茨城県五浦(いずら)海岸に「六角堂」を建設。弟子たちとともに壮絶な創作活動に没頭していく。 荒々しい波が打ち寄せる五浦の六角堂で、天心の指導の下、大観(中村獅童)、春草(

                                                        「アドリブは一切ない」竹中直人が体現した「日本近代美術の父」岡倉天心の理想 : 映画ニュース - 映画.com
                                                      • 日本美術の救世主=フェノロサと岡倉天心 - 今日は何の日?徒然日記

                                                        明治十七年(1884年)6月25日、フェノロサと岡倉天心が法隆寺夢殿の救世観音を調査しました。 ・・・・・・・・ ハーバード大学で政治経済を学んだアーネスト・フェノロサが、先に来日していた動物学者=エドワード・シルヴェスター・モースの紹介で日本にやって来たのは、明治十一年(1878年)の25歳の時でした。 明治の初めに新政府が、外国に追いつき追い越せとばかりに、積極的に西洋文化を取り入れようと外国から招いた、いわゆるお雇い外国人の1人ですね。 来日後は、東京大学にて政治経済や哲学を講義する毎日で、彼は決して美術の専門家ではありませんでしたが、もともと油絵やデッサンの経験もあった事から、いつしか、日本美術の独特な雰囲気に魅了されていくようになるのです。 しかし、ご存じのように、明治初年の日本は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐・・・ 維新の中で近代化&欧米化が推し勧められ、襖絵や錦絵などは美術

                                                          日本美術の救世主=フェノロサと岡倉天心 - 今日は何の日?徒然日記
                                                        • 東京新聞:岡倉天心の生涯 映画化へ 被災・茨城を、日本を元気に:社会(TOKYO Web)

                                                          明治時代に活躍した美術評論家岡倉天心(一八六三~一九一三年)の人間像を描く映画「天心」の製作に、映画監督松村克弥さん(46)=東京都荒川区=が取り組んでいる。主な舞台は、天心が晩年に暮らした茨城県。「映画で被災地を元気に、日本を元気にしよう」と意気込み、草の根の資金協力を求めている。 (編集委員・吉岡逸夫) 松村さんは「オールナイトロング」「き・れ・い?」などの映画を世に出しているが、三年ほど前、美術関係者との話をきっかけに天心のことが気になるようになった。 日本の近代美術を育て、海外に紹介するなど、偉業をなしとげた人物だが、彼をテーマとした映画はない。天心を調べる中で、芸術家で思想家、官僚で教育者といった功績の一方、女性スキャンダルなども垣間見えた。「そんなドラマチックな人間性にひかれ、映画にしたいと思った」と松村監督は語る。

                                                          • Amazon.co.jp: 「日本美術」の発見―岡倉天心がめざしたもの (歴史文化ライブラリー): 吉田千鶴子: 本

                                                              Amazon.co.jp: 「日本美術」の発見―岡倉天心がめざしたもの (歴史文化ライブラリー): 吉田千鶴子: 本
                                                            • 「空前絶後の岡倉天心展」が凄いらしい! | 青い日記帳

                                                              福井県立美術館で開催中(12月1日迄)の「空前絶後の岡倉天心展―大観、春草、近代日本画の名品を一堂に―」 福井は岡倉天心(本名:覚三1863−1913)の生まれ故郷だそうです。その天心の生誕150年・没後100年を記念して、福井県立美術館で催されている展覧会。単なる「岡倉天心展」ではありません。 「空前絶後の岡倉天心展」です。ハードル上げ過ぎじゃない?と思ってしまいますが、ここまではっきりと美術館サイドが言いきってしまうのですから、きっと本当に凄い内容であるに違いないとサイトを見てみると… 天心展特設サイト 確かにこれはビックリ!観たことない作品が…… 「フェノロサコレクション約100年の時を経て、福井に集結!」 橋本雅邦「毘沙門天」(フィラデルフィア美術館) 幕末から明治にかけて活躍した日本画家に最近とみに興味関心があるので、これは是非とも福井県立美術館へ行かねば!と思ったのですが、悲し

                                                              • 岡倉天心建てた五浦の六角堂再建へ…津波で消失 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

                                                                茨城大の池田幸雄学長は18日の定例記者会見で、震災で津波にさらわれ、建物が消失した茨城県北茨城市の同大五浦美術文化研究所六角堂(国登録有形文化財)を再建する方針を明らかにした。 六角堂は、日本美術院を創設した思想家の岡倉天心(1863〜1913年)が同市大津町の太平洋に張り出した断崖に1905年に建設した。 同大によると、建物は津波にさらわれた後、しばらく海に浮かんでいるのを大学関係者が確認しており、そのままの形で海底に沈んでいる可能性もあるという。池田学長は「大変重要な文化財。海から引き揚げられるかどうか調査したい」と述べた。同大は昨年、六角堂の設計図を書き上げており、新たに建設することも可能としている。 また、震災による施設の被害額は約33億円と判明。建物外壁に亀裂が入るなどし3棟が使用できなくなっている日立キャンパスをはじめ、水戸、阿見の各キャンパス、付属小学校(水戸市)などで建物の

                                                                • 東京新聞:岡倉天心没後100年 国宝仏像2体を初公開 北茨城の県五浦美術館:茨城(TOKYO Web)

                                                                  近代日本の美術発展に貢献した美術思想家の岡倉天心(一八六三~一九一三)生誕百五十年と没後百年に合わせ「岡倉天心と文化財」展が十二日から北茨城市の県天心記念五浦美術館で開かれる。天心が修理の指揮を執った国宝の仏像二体が県内で初公開され、重要文化財(重文)の仏像や神像など貴重な計二十八体が展示される。十一月二十四日まで。 (柴田久美子) 文化財保護にも尽力した天心は一八九八年、創立に携わった東京・谷中の美術研究団体「日本美術院」に国宝彫刻の修理部門(現・美術院国宝修理所)を設け、損傷した文化財の修理や復元に当たった。北茨城市大津町五浦には一九〇六年、美術院絵画部門の移転とともに移り住んだ。

                                                                  • 名著40 岡倉天心「茶の本」:100分 de 名著

                                                                    「茶の本」 新渡戸稲造「武士道」とほぼ同じ時期に英語で出版され、日本文化の啓蒙書として世界中で読み継がれている岡倉天心著「茶の本」。初詣、おせち料理、書初め等…日本の文化を強く意識する新年、「100分de名著」では、「茶の文化」を通して日本や東洋文明の底流に流れている特異な世界観をわかりやすく紹介した「茶の本」を読み解き、日本とは、そして、日本人とは何かをあらためて見つめなおします。 「茶の本」といっても、茶道の指南書ではありません。近代欧米の物質主義的文化と対比して、東洋の伝統精神文化の奥義を解きつくそうという壮大な構想をもとに書かれた天心流の文明論です。明治時代、文部官僚として日本美術の再興に尽力した天心ですが、ボストン美術館で東洋美術収集の仕事をするようになってから、欧米社会にいかにして日本文化の奥深さを伝えるかを自らのミッションと考えるようになりました。その頃、日清・日露戦争を契機

                                                                      名著40 岡倉天心「茶の本」:100分 de 名著
                                                                    • 岡倉天心:没後99年、天心忌 近代日本美術の父、ひ孫の教授ら遺徳をしのぶ−−福井・西超勝寺 /福井 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

                                                                      岡倉天心:没後99年、天心忌 近代日本美術の父、ひ孫の教授ら遺徳をしのぶ−−福井・西超勝寺 /福井 毎日新聞 9月3日(月)13時2分配信 近代日本美術の父と言われる岡倉天心(1862〜1913)の命日にあたる2日、岡倉家の菩提(ぼだい)寺・浄土真宗本願寺派西超勝寺(福井市藤島町)で、「没後99年天心忌」が営まれた。 主催する岡倉天心県顕彰会の会員や地区住民、地元小学校の児童のほか、天心のひ孫で大東文化大名誉教授の登志(たかし)さん(66)ら約80人が出席。雅楽の演奏と僧侶による読経の後、参列者が次々と焼香し、故人の遺徳をしのんだ。 同会の酒井哲夫会長は「新しい日本画を創造され、日本が世界に誇る文化財を守る文化財保護法(の基礎)を作られた」と功績を紹介。県観光営業部の佐々木康男企画幹が西川一誠知事の言葉を代読し、「先生の高い志を引き継ぎ、芸術活動の振興に奨励します」と誓いを述べた。

                                                                      • 講演会「ボストンに渡った和本ー日本の美に魅せられた3人のアメリカ人と岡倉天心ー」【中野三敏、ロバート・キャンベル、松原孝俊各氏】(2014年3月17日(月)、アクロス福岡3F こくさいひろば ※要申込) | 笠間書院

                                                                        HOME学会・講演会・展覧会情報講演会「ボストンに渡った和本ー日本の美に魅せられた3人のアメリカ人と岡倉天心ー」【中野三敏、ロバート・キャンベル、松原孝俊各氏】(2014年3月17日(月)、アクロス福岡3F こくさいひろば ※要申込) 講演会情報です。 ●公式サイトはこちら http://rcks.isc.kyushu-u.ac.jp/?p=2402 ●ポスターはこちら(PDF) http://rcks.isc.kyushu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2071c02ff4453949bcea155a37ed6a26.pdf ——————– 以下の日程で、中野三敏九州大学名誉教授とロバート・キャンベル東京大学教授を招いての講演会を開催いたします。 「ボストンに渡った和本ー日本の美に魅せられた3人のアメリカ人と岡倉天心ー」 日時:3月17日(月)13:00~ 会場:

                                                                        • 【東京藝大】スキャンダルで失脚?天才・岡倉天心の生涯とは - いろはめぐり

                                                                          こんにちは、とくらです。 台東区には数々の芸術家を輩出した名門・東京藝術大学があります。 この東京藝術大学の前身を設立した人物と言えば「岡倉天心」ですよね。 歴史の授業ではお雇い外国人フェノロサとセットで覚えた人も多いのではないでしょうか? 今回は、名前は知っているけれど、意外と知らない岡倉天心の天才性を少しご紹介したいと思います。 岡倉天心の出生 岡倉天心は、1863年に横浜で生まれました。本名は岡倉覚三といいます。 父はもともと福井藩の下級藩士でしたが、藩の命令で武士を辞めることとなり、貿易商を始めます。 この商店の角の倉で生まれたことから、生まれたときには「角蔵」と名付けられました。 厩都の皇子のシステム…! この後「覚三」と改めますが、天心と呼ばれることはほとんどなく、自己紹介でも本名の覚三を名乗ることが多かったようです。 教科書でも、メディア作品でも岡倉天心として知られているのに

                                                                            【東京藝大】スキャンダルで失脚?天才・岡倉天心の生涯とは - いろはめぐり
                                                                          • 岡倉天心『茶の本』の筆写を始めた① - 忘れるために書くブログ

                                                                            筆写に挑戦 関連記事 岡倉天心『茶の本』 関連記事 英語版 日本語版 英語→日本語→わからない語彙を調べる 理解しやすい 1日少しずつ Chapter1 The Cup of Humanity ~第一章 人情の碗~ 筆写に挑戦 南方熊楠は「読むということは写すこと」を信条とし、実行した偉大な天才だ。 その天才に少しでもあやかろうと、私も筆写を始めることにした。 関連記事 岡倉天心『茶の本』 筆写する最初の記念すべき第一冊目は、岡倉天心の『茶の本』にした。 以前森下典子さんの『日日是好日』を読んで、お茶や禅の世界に興味を持ったからだ。 関連記事 岡倉天心は文明開化が叫ばれた明治の時代、日本が西洋化を目指す中、日本美術の重要性と保護の普及に努めた人だ。 天心は『茶の本』以外に『東洋の思想』という本も英語で執筆している。 これらの本はニューヨークで出版され、東洋と日本文化の素晴らしさを西洋に広く

                                                                              岡倉天心『茶の本』の筆写を始めた① - 忘れるために書くブログ
                                                                            • 日本美術を世界に広めた岡倉天心から発想したデジタルアート | KENPOKU ART 2016の口コミ - TRIPROUD

                                                                              茨城県北部の海と山を会場に開催中の県北芸術祭。デジタル社会の様々な分野のスペシャリストからなるチームラボが天心ゆかりの地、五浦の茨城県天心記念五浦美術館に展示中の幻想的なデジタルアート作品は必見! kenpoku-art.jpCanon EOS 6D

                                                                                日本美術を世界に広めた岡倉天心から発想したデジタルアート | KENPOKU ART 2016の口コミ - TRIPROUD
                                                                              • (リレーおぴにおん)維新150年:9 多様性を体現した岡倉天心 清水恵美子さん:朝日新聞デジタル

                                                                                文部官僚や東京美術学校(現・東京芸術大学)の校長をつとめ、日本美術院を設立し、米国ボストン美術館の中国日本美術部の部長だった時代もある。その職歴を並べても、岡倉覚三(かくぞう)(天心の本名)という人物が何者だったかを言うのは難しいのですが、私は、彼は芸術思想家であったと思います。 1863年生ま…

                                                                                  (リレーおぴにおん)維新150年:9 多様性を体現した岡倉天心 清水恵美子さん:朝日新聞デジタル
                                                                                • <岡倉天心物語・1>父は福井藩士 : 福井 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

                                                                                  ◆開港直後横浜で育つ 福井市中央公園に高さ4・2メートルの岡倉天心像がある。台座を含むと7メートル。日本で一番大きい天心像といい、毎年秋には、功績をたたえる顕彰祭が営まれる。同じく福井市にある私の勤務先、県立美術館では1977年11月の開館以来、明治期に天心が基礎を築いた近現代日本画を中心に作品を収集してきた。なぜ、福井で天心なのか。県内にお住まいの方はご存じだろうが、天心のルーツは福井にある。 天心は福井の産品を扱う商館「石川屋」の支配人だった父・覚右衛門の次男として、江戸末期の1863年に横浜で生まれた。10年前にはペリーが浦賀に来航。幕府は横浜などの港をアメリカやイギリスに開放した。そして警備を命じられた福井藩が横浜に派遣した500人の藩士の中に覚右衛門も入っていた。 覚右衛門は自らの才覚で出世した切れ者だ。今の福井市篭谷(かごたに)町(旧美山町)の農家出身。地域の伝承によると、口減