孫権の事績――『呉歴』の場合 船に曹操軍の矢を満載して自軍に引き返した話は、正史三国志呉主伝の注釈に引用されている『魏略』にあります。しかしまずは『魏略』の記述の隣に引用されている『呉歴(ごれき)』の記述を見てみましょう。 孫権がしばしば戦いを挑みかけたが、曹公は守りを固めて軍を出さなかった。孫権はそこでみずから軽舟に乗って、濡須口(じゅしゅこう)から曹公の軍中に漕ぎ入れた。部将たちはみな戦いを挑発にきた者だと考え、これに攻撃をかけようとした。 曹公がいった、「あれは孫権みずからがわが軍の隊伍の様子を見に来たのにちがいない。」軍中に命令を出し全部隊を完全な戦闘体制に入らせるとともに、弓・弩(いしゆみ)をみだりに発射してはならぬと命じた。 孫権は五、六里を進み、舟をめぐらせて帰還すると楽隊に音楽を鳴らさせた。曹公は、孫権の艦船や武器や隊伍が少しの乱れもなく整っているのを見て、ため息をついてい