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本郷和人の検索結果1 - 18 件 / 18件

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本郷和人に関するエントリは18件あります。 歴史history などが関連タグです。 人気エントリには 『なぜ、いま「信長」を考えるのか 『信長の正体』(本郷 和人) | 本郷 和人 | コラム・エッセイ』などがあります。
  • なぜ、いま「信長」を考えるのか 『信長の正体』(本郷 和人) | 本郷 和人 | コラム・エッセイ

    2023.07.13コラム・エッセイ なぜ、いま「信長」を考えるのか 本郷 和人 『信長の正体』(本郷 和人) 出典 : #文春文庫 ジャンル : #ノンフィクション 『信長の正体』(本郷 和人) 信長は革新的な人物か、普通の大名か 「歴史上の人間で好きな人物を三人挙げよ」というと、幕末の志士であった坂本龍馬とともにランクインする確率が非常に高いのが織田信長である。 このように信長人気が高まったのは、実はそれほど昔からではない。もともとはその残虐性によって、戦国武将の中でもさほど人気があるとは言えなかった。それが幕末から明治時代にかけて、信長は勤王家、つまり朝廷の復活に功あった人という位置づけで高く評価されるようになった。たとえば明治三年には信長を祭神とする建勲(たけいさお)神社が建てられ、同十三年に京都の船岡山に遷座して現在に至っている。さらに戦後になると一変して、信長は天皇制すら否定し

      なぜ、いま「信長」を考えるのか 『信長の正体』(本郷 和人) | 本郷 和人 | コラム・エッセイ
    • 【本郷和人の日本史ナナメ読み】文武両道の名将だった景時 歴史の中の「悪役」

      梶原景時のことに先月触れましたが、何が言いたいのかというと、かれが悪役になったのは、室町時代から、ということです。室町時代に源義経を主人公とする『義経記(ぎけいき)』が書かれて大当たりとなったのですが、この時に景時は義経を陥れるイヤなヤツとして造形されました。ですから、それまでの景時はかならずしも悪役、というふうには描かれていません。たとえば『曽我物語』。幼い曽我兄弟の排除を頼朝が言いだし、有力な御家人が次々に助命を願い出るシーンがあるのですが、その場面の景時は、千葉常胤(つねたね)や和田義盛とともに、兄弟の助命を願っています。 史実でいうと、城氏の反乱です。建仁元(1201)年正月、越後の有力武士、城長茂(ながもち)が京において幕府打倒の兵を挙げ、本領・越後でも甥(おい)の城資盛が反乱を起こしましたが、いずれもが幕府軍によって鎮圧されました。城氏は木曽義仲と戦って敗北したことをきっかけに

        【本郷和人の日本史ナナメ読み】文武両道の名将だった景時 歴史の中の「悪役」
      • 【“愛子天皇”は是か非か】「女性天皇が僧を寵愛して大問題になった『道鏡事件』という宮中のトラウマ」本郷和人氏インタビュー | 文春オンライン

        まず前提として、天皇家は「男系男子」の血筋を意識して守ってきたのではなく、結果としてこうなったにすぎないと考えます。長い歴史の流れで言えば、天皇家という家を繁栄させることが大切で、高貴な血をつなぐという考えは二の次でした。 そう考える理由のひとつは、古代貴族社会の婚姻が「招婿婚」だったことです。女性が嫁に来るのではなく、女性の家へ男性が婿として通うのです。子どもが生まれれば、女性の家で育てられます。摂関政治の藤原氏が娘を皇室に嫁がせ、生まれた子が天皇になると外戚として権力を振るった背景には、この婚姻の形があります。つまり、女系でつながっていたのです。 天皇陛下 ©JMPA 丸谷才一先生が指摘したように、日本文化の中心は恋です。文化の中心に文学があり、文学の中心に歌があり、歌のメインテーマは恋でした。貴族はみんな、恋の歌の研鑽に励みました。花鳥風月や男と男の世界を詠うことが多い中国の漢詩とは

          【“愛子天皇”は是か非か】「女性天皇が僧を寵愛して大問題になった『道鏡事件』という宮中のトラウマ」本郷和人氏インタビュー | 文春オンライン
        • 荒川の土手でのんびりした一日でした(本郷和人さん「軍事の日本史」を読んで…) - げんさんのほげほげ日記

          荒川の土手のお花さんを一枚パシャリ♪ 紫色ってきれいですね… 今日の東京は晴れのち曇り、夜は雨が降る予報となっています。 日中の気温は20度ほどと春らしい陽気となりました。 時折さぁーと吹く風も暖かく、あぁ春が来たなぁ…と感じております♪ ただ朝晩の気温はまだひとケタ台。 ちょっと気を抜くと風邪をひくかも…気を付けないといけないですね! タンポポさんが寄り添って…どんなお話をしているのかな(楽しそうでした~) 今日はよく寝ました。 昨晩、猛烈な睡魔が襲ってきたのが夜10時半。 すごすご布団に入ったら、すぐ寝てしまったようで。 ハッと気づくと朝の10時半。 おおっ、なんと12時間も寝ていたのですね。 こんなに寝たのは久しぶりです。どおりでお腰が…痛いですぅ~♪♪ (寝すぎですな。まぁぐっすり休めたし、嬉しい悲鳴ですなぁー😊) お腰をほぐすために(!)荒川の土手へ散歩に出掛けました。午後にな

            荒川の土手でのんびりした一日でした(本郷和人さん「軍事の日本史」を読んで…) - げんさんのほげほげ日記
          • 東大教授が本気で選んだ、ジャンル別「おもしろい本」10選(本郷 和人) @gendai_biz

            「無用者の生き方」が教えてくれること 読者の方々に分かりやすいよう「古典」「文豪」「近現代」「歴史小説」「ライトノベル」の5つのジャンルに分け、それぞれ2冊ずつ選びました。 中学生のときに読んだ『無用者の系譜』は「近現代」に入ります。体の弱かった僕は人の命を助ける医者になりたかったのですが、理数系ができなかったので断念。 ならば人の心を救う僧侶になろうと思い、仏教の経典を読んでいるうちに、僧侶になるには相当金がかかることを知り、これも断念。はてどうしようと考えたときに出会ったのが、この本でした。 在原業平、一遍、芭蕉……、彼らは高い思想を持っていましたが、世間から見たら脱落者であり「無用者」だった。 しかし、「無用者」だからこそ、宮廷や市民の文化とは異なる風狂の文化を生みだすことができ、それが日本文化の底流をつくっていった、というのがこの評論の趣旨です。なるほど、こういう生き方もあるのかと

              東大教授が本気で選んだ、ジャンル別「おもしろい本」10選(本郷 和人) @gendai_biz
            • 毛利元就を「もとなり」と読む本当の理由、ご存知ですか?(本郷 和人)

              私の「令和天皇」事件 綸言(りんげん)汗の如し、という言葉はご存じですか? 汗は身体から出たら引っ込むことはない。天皇の言葉も同じ。一度発せられたら、「あれはなかったことに」と改めることはできない。それくらい天皇の言葉は重いのだ、ということです。 綸言というのは天皇の言葉、の意味。「綸」という漢字はこのように天皇について使われて、ですから天皇の命令書を「綸旨」と呼びます。 これに対して皇太子、もしくは親王の命令書を「令旨」という。「令」という漢字は天皇ではなくて、一つ下。皇太子や親王を意味します。敬称でいうと、陛下ではなく殿下のレベル。 だから後世、現在の天皇陛下を「令和天皇」とお呼びするのはいかがなものかなー、矛盾じゃないのかなーと感じた。天皇陛下が中世史の優れた研究者でいらっしゃるだけに(博士号をおもちです)、その思いが強かった。 それで、その旨を発言したら案の定、大炎上いたしました。

                毛利元就を「もとなり」と読む本当の理由、ご存知ですか?(本郷 和人)
              • 本郷和人vs亀田俊和勃発?/呉座勇一氏も新刊 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                亀田俊和氏、本郷和人と門井慶喜両氏の対談新書を酷評 まだ尊氏のところをパラパラ読んだだけですが、正直に申して、よくこれだけ根拠のない想像を話せるなあという感じです。 pic.twitter.com/eTC2kv47F0— 亀田 俊和 (@kamedatoshitaka) February 7, 2020 昨日いただいた本にこういうこと言うのも気が引けますが、言わずにいられないレベル。— 亀田 俊和 (@kamedatoshitaka) February 7, 2020 井沢先生と何が違うのか?下手すりゃもっとひどいかも。— 亀田 俊和 (@kamedatoshitaka) February 7, 2020 とは言え、今日も夜までひまなので、これを読もうと思います。ある意味修行ですね。悟りを開く自信もまったくありませんが。— 亀田 俊和 (@kamedatoshitaka) February

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                • 東大史料編纂所教授・本郷和人氏が「プーチンの戦争」を軍事史研究から紐解く|注目の人 直撃インタビュー

                  「プーチンの戦争」が大きく後退している。理由として「ロシア兵士の士気の低さ」「兵站のまずさ」などさまざま挙げられるが、そもそも戦争の目的とは何か、誰がどんな気持ちで戦っているのか、終わり方はどうなのか──。軍事史研究の立場から合戦のリアルを聞いた。 ■勝敗は「数」や「兵器」…

                    東大史料編纂所教授・本郷和人氏が「プーチンの戦争」を軍事史研究から紐解く|注目の人 直撃インタビュー
                  • 「日本の武士は馬に乗ったまま戦闘した?しない?」本郷和人教授が「逃げ上手の若君」解説最新回で炎上必至の問いに回答 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                    なんでこれが炎上必至なのか 「した」も「しない」も、どっちにも熱心な論者がいるからだよ!!!! そして、問いの性質上、戦国時代の話に続くだろ? 戦国時代に関する議題は、基本すべて炎上必至なんだよ(笑)!!まぁ、本郷教授が、炎上など恐れる訳がない、か…… で、本郷教授のお答えはシンプル。「乗ったまま戦闘」……した。 なぜか。 戦闘の負傷記録を見ると、弓矢での傷が最多で(だったかな?)その次に多いのが「馬に踏まれた」だった。 馬は大きくて、重い。これに乗って突撃するだけで、大変なアドバンテージ(馬体突撃とか言うたね)。それを、戦闘するプロたる武士が手放すわけないじゃないか……といった内容でした。 いま手元になくて記憶だけで述べるんだけど、そんなふうなこと書いてあったよね??ジャンプの最新号に。 何しろあの部数だから、多くの人が見たはずだろう。 気になる人は本文を確認してください。 ※この本文と

                      「日本の武士は馬に乗ったまま戦闘した?しない?」本郷和人教授が「逃げ上手の若君」解説最新回で炎上必至の問いに回答 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                    • 「史料を疑う」ことで見えてくるものーー歴史研究者に求められる姿勢とは(本郷 和人)

                      日本史は面白い。しかし、「ほんとうのこと」を知るためには、やはりスキルと知識が必要だ。歴史を学ぶ、歴史に学ぶ――そのために必要なこととは? 〝本物の歴史の学び方〟を教える、東大教授・本郷和人氏の連載「<日本史のツボ>のツボ」。第6回の今回は、前回(第5回)に引き続き「史料を読むとはどういう行いか」について、2回にわたって解説します。 第6回その①はこちら→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71713 第6回・後編では「史料を疑う」という営為が研究者の間で疎かにされている事情を解説するとともに、前編(その①)で取り上げた「将軍くじ引き」の真相に迫ります。 研究者が史料を疑わない事情 史料を疑う、という姿勢は研究者仲間からたいへんに評判が悪い。理由は2つあるだろうと考えている。 まず1つは、その研究者が能力が乏しくて、史料を疑うという営為を理解できない場

                        「史料を疑う」ことで見えてくるものーー歴史研究者に求められる姿勢とは(本郷 和人)
                      • 「逃げ上手の若君」解説(監修も?)は本郷和人教授。それへの反応は…? - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                        今知ったんだが、「逃げ上手の若君」1話に続き第2話も公開されてますわ shonenjumpplus.com shonenjumpplus.com で、雑誌では、2話の始まる前に1ページの解説があり、それを有名な「本郷和人」氏が担当していた。 そして… 肯定っぽい反応 逃げ上手の若君の解説ページ、本郷和人先生なのか— 幸福論再生中・J・ヌーベル (@mamalaider) 2021年2月7日 逃げ上手の若君の解説に本郷和人先生か。鎌倉が専門だもんね— 火を吹く関西弁のこーせー (@Kousei_Touhou) 2021年2月9日 「逃げ上手の若君」の時代考証が平清盛とか応天の門の本郷和人先生だと発覚したのでもうこれは読むしかない— かりこ (@Swkarimm) 2021年2月9日 逃げ上手の若君は、解説を本郷和人氏が書いていたり、目次コメントにもそれらしきことが書かれてるけど、歴史考証にも

                          「逃げ上手の若君」解説(監修も?)は本郷和人教授。それへの反応は…? - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                        • 東大教授が嘆く「生活ができない若手研究者は、なぜ増えたのか」(本郷 和人)

                          「苦しい未来かもしれないが、好きなことをやりたい」「生きるためには、好きなことで食べるのをあきらめよう」の、どちらが正しいのか? 『歴史学者という病』――本書は歴史学者・本郷和人の人生を本人が語りながら、生きていくことの辛さや不可解さ、そして、面白さや可能性などについても触れている。そこで特別企画として、この本にはあまり収録できなかった話を中心に「人生相談」風にまとめてみた。題して「人生の難問は歴史学者に聞け。本郷和人のルサンチマン人生相談」です! 第六回は、「『やりたいこと』は工夫次第」です。 関連記事 第一回:「幸せな人生を送る」ために大事だと、僕が思うたった一つのこと 第二回:子育てで最初に心がけるべき、たった一つのこと 第三回:僕が小学校低学年の時に叩き込まれた「国語の入試問題必勝法」 第四回:「他人の才能を羨ましがる人」が、最初に意識すべきたった一つのこと 第五回:「日本の歴史教

                            東大教授が嘆く「生活ができない若手研究者は、なぜ増えたのか」(本郷 和人)
                          • 土方歳三の「研究」はなぜ少ない? 歴史オタクが“歴史学者”になれない理由(本郷 和人)

                            琵琶法師や司馬遼太郎を例に出すまでもなく、いつの時代も、“偉人”には壮大な「物語」が付き物だ。しかし、日本を代表する歴史学者・本郷和人氏は、「歴史学者」が人物を掘り下げるとき、最も不要なものこそ、歴史への「ロマン」だという。「歴史学者」と「歴史好き」の間には、長くて深い河がある――両者を隔てる、「物語の歴史」と「科学の歴史」の違いとは? 新刊『歴史学者という病』から紹介します。 “国史学科”は東大の落ちこぼれ 東大生は教養学部の1〜2年生から3年次にあがる手前で、進学割り振り制度──略して「進振り」と呼ばれる学部学科の審査を受ける。成績優良な者から順に進学する学科を選択できるシステムであり、文三生のなかでもトップの数人は、希望すれば法学部や経済学部にも越境して進むことが可能である。 ちなみに……我らが国史学科はダントツで人気がない。成績の悪いヤツが最終的に行き着く場所、とまで言われていた(

                              土方歳三の「研究」はなぜ少ない? 歴史オタクが“歴史学者”になれない理由(本郷 和人)
                            • 僕が小学校低学年の時に叩き込まれた「国語の入試問題必勝法」(本郷 和人)

                              『歴史学者という病』――そんな題名だけ聞くと、さぞかし怖い本のように思うかもしれない。しかし、実際に読んでもらえればわかるが、この本は歴史学者・本郷和人の人生を本人が語りながら、生きていくことの辛さや不可解さ、そして、面白さや可能性などについても触れている。そこで特別企画として、この本にはあまり収録できなかった話を中心に「人生相談」風にまとめてみた。題して「人生の難問は歴史学者に聞け。本郷和人のルサンチマン人生相談」です! 第三回は、「国語のテストには『作法』がある」です。 関連記事 第一回:「幸せな人生を送る」ために大事だと、僕が思うたった一つのこと 第二回:子育てで最初に心がけるべき、たった一つのこと 今回の相談事項 「国語のテストが苦手です。問題が、ちょっと難しい文章だと、読んでいる途中で頭がこんがらがってよくわからなくなります。なにかいい方法はないでしょうか?」

                                僕が小学校低学年の時に叩き込まれた「国語の入試問題必勝法」(本郷 和人)
                              • 助けた源頼朝に足をすくわれる、仏ごころが仇になる男・平清盛(本郷 和人,堀田 純司,瀬川 サユリ)

                                「歴史を学んで意味があるのかな」「教科書っておもしろくない」と思っているあなた! それはまだ君がリアルな歴史を知らないから!! あの偉人たちの本当の姿…「清く正しく<ない>日本史」を、『東大教授が教える日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本』からピックアップ。誰もが知る英雄たちの真実を今こそ漫画で振り返ろう! 歴史に残るやらかし ひとつの選択が何年、何百年も経ってとんでもない事態を引き起こしてしまうことがある。禍根の種を残し一族が滅ぼされた平清盛。プライドだけが高すぎた直江兼続。関ヶ原のときの判断が幕末、徳川家を滅ぼすことになる鳥居元忠。幕府を守ろうとして結果的に動乱を煽ってしまった井伊直弼。「やらかし」にこそ歴史のおもしろさがある。 今回は、仏ごころが仇になる 平清盛に迫ります。 第1章 英雄の真実 本物のうつけもの? 織田信長│謎の英雄 豊臣秀吉│都会派たぬきおやじ 徳川家康│貴公

                                  助けた源頼朝に足をすくわれる、仏ごころが仇になる男・平清盛(本郷 和人,堀田 純司,瀬川 サユリ)
                                • 「俺もなかなか大人になれねえな」 世におもねらない歴史学者・本郷和人<現代の肖像> | AERA dot. (アエラドット)

                                  古文書を収蔵した東京大学の書庫。「きょうは、ツラ(顔)の調子もいいですよ」と冗談をとばした/倉田貴志撮影 毎月2回、東大(東京・本郷)の近くで開く「古文書研究会」。古文書愛好家十数人と中世の記録を丹念に読む。「ここは上下関係がないからとても楽しい」/倉田貴志撮影 豊富な知識と、語り口の上手さで、歴史番組の解説役としても人気の本郷和人さん。笑いを取りつつも、研究者としての信念はかたい。たとえ世間の潮流に逆らっても、自分の研究に基づいて語る。歴史を知れば現代の価値が分かる。しかし、国立大学の中世史研究がなくなると危機感を抱くほど、若者の歴史への興味が薄れている。 【「古文書研究会」の様子はこちら】 今年1月16日。歴史学者の本郷和人(59)は、自民党の勉強会「まなびと夜間塾」に講師として招かれた。開口一番、こう切り出した。 「最初に懺悔をいたします。私、令和という素晴らしい元号にミソをつけまし

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                                  • 『愛犬の日本史: 柴犬はいつ狆と呼ばれなくなったか』(平凡社) - 著者:桐野 作人,吉門 裕 - 本郷 和人による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

                                    著者:桐野 作人,吉門 裕出版社:平凡社装丁:新書(302ページ)発売日:2020-07-17 ISBN-10:458285950X ISBN-13:978-4582859508 希少史料を丹念に集め人と犬の関わりを探る縄文時代、犬は獲物を狩ってくれた。弥生時代、犬は集落の警護役として、稲の実りを狙うサルを撃退してくれた。犬はまさに、人間の相棒であった。その犬と日本人の関係を、本書は軽妙に説き明かす。だが、それは実に難しい作業でもある。 新聞の一面にはどんな記事が書かれているか。紛争が生じた、通商交渉がまとまった、大災害が起きた。政治や経済や軍事、規模でいうと日本全体に関わること、さらには世界的なことである。文化や生活は一面ではめったに論じられないし、まちがっても犬やネコの話題が取り上げられることはない。 歴史史料にも、同じことがいえる。為政者が発給する古文書や、知的エリートが他者に読まれ

                                      『愛犬の日本史: 柴犬はいつ狆と呼ばれなくなったか』(平凡社) - 著者:桐野 作人,吉門 裕 - 本郷 和人による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
                                    • 本郷和人 武田信玄の失敗は「北信濃10万石に10年も費やしてしまった」こと…信玄・晩年の領土規模<約60万石>を信長は20代で達成していたという事実 「失敗」の日本史|教養|婦人公論.jp

                                      2023年に放映された大河ドラマ『どうする家康』。家康は当時としてはかなりの長寿と言える75歳でこの世を去っています。「家康が一般的な戦国武将のように50歳前後で死んでいたら、日本は大きく変わっていた」と話すのが東京大学史料編纂所・本郷和人先生です。歴史学に“もしも”がないのが常識とは言え「あの時失敗していたら」「失敗していなければ」歴史が大きく変わっていたと思われる事象は多く存在するそう。その意味で「武田信玄のとある失敗」が歴史に与えた影響は絶大だったそうで――。 国へのこだわりに絡め取られた信玄 前回、武田信玄最大の失敗「長男・義信の自死」について触れました。 もうひとつ、これは失敗ということではないのですが、信長と比較して、信玄は「国」という単位にこだわり過ぎた気がします。 信玄は甲斐の隣の信濃を攻略した。これは先に述べたように信濃を攻略することで、甲斐本国の盾にするという意味があっ

                                        本郷和人 武田信玄の失敗は「北信濃10万石に10年も費やしてしまった」こと…信玄・晩年の領土規模<約60万石>を信長は20代で達成していたという事実 「失敗」の日本史|教養|婦人公論.jp
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