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柄谷行人の検索結果1 - 40 件 / 41件

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柄谷行人に関するエントリは41件あります。 思想文学哲学 などが関連タグです。 人気エントリには 『なぜ柄谷行人は賞金1億円超の哲学賞を受賞したのか─哲学誌「ノエマ・マガジン」編集長に聞いた | 「柄谷は、さまざまな境界を越える独創的な思想家」』などがあります。
  • なぜ柄谷行人は賞金1億円超の哲学賞を受賞したのか─哲学誌「ノエマ・マガジン」編集長に聞いた | 「柄谷は、さまざまな境界を越える独創的な思想家」

    ──バーグルエン賞では、選考委員はどんな議論をして受賞者を決めるのですか。 選考委員はバーグルエン研究所から独立して受賞者の選考をしているので、選考委員ではない私は、今回の賞の選考の際にどんな議論があったのかは知りません。毎年、代わり番で6人の有識者に選考委員を務めてもらっています。2022年度の選考委員長は神経学者のアントニオ・ダマシオでした。 この哲学賞の目的の一つは、西洋の思想家だけでなく、西洋以外の地域、とくにアジアの思想家にも目を向けることです。それで選考委員会には、中国人哲学者の汪暉(ワン・フイ)と、香港出身で現在はドイツ在住の哲学者ユク・ホイの2人のアジア系の選考委員もいます。柄谷をノミネートしたのは、この2人でした。 柄谷の思想でとくに評価されたのは次の2点です。一つは、哲学が生まれたのはアテナイではなく、その前の古代イオニアの「イソノミア(無支配)」から生まれたという着想

      なぜ柄谷行人は賞金1億円超の哲学賞を受賞したのか─哲学誌「ノエマ・マガジン」編集長に聞いた | 「柄谷は、さまざまな境界を越える独創的な思想家」
    • 「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞に柄谷行人さん アジア初:朝日新聞デジタル

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        「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞に柄谷行人さん アジア初:朝日新聞デジタル
      • 人生を振り返ることについて:私の謎 柄谷行人回想録①|じんぶん堂

        記事:じんぶん堂企画室 批評家・思想家の柄谷行人さんは、多摩丘陵の自然のなかで暮らしている 書籍情報はこちら ――常々「忘れっぽい」「書いたら忘れる」と公言されている柄谷さんに、生まれてから現在までのこと、まだ書いていないことをお聞きしておきたいということで、連続インタビューをお願いしました。実は、『世界史の構造』(岩波書店)が2010年に刊行された後、朝日新聞から同じようなお話を頼んだときは、結局お断りになったと聞いています。 柄谷 最初はやってもいいかなと思ったんですよ。でも、回顧には関心がないし、まだこれからやろうとしているのにと、考えが変わった。『世界史の構造』を書いてすぐは、「これで終わり」という感じもあった。だけど、違ってたね(笑) ――まだ自分の仕事は終わらない、半生を振り返るのはまだ早いという気持ちになったわけですね。 柄谷 そうです。そういう意味では、今も難しい。だけど、

          人生を振り返ることについて:私の謎 柄谷行人回想録①|じんぶん堂
        • 観光客の哲学の余白に(23) 無料という病、あるいはシラスと柄谷行人について|東浩紀

          本誌の読者にあらためて紹介する必要はないと思うが、「シラス」という配信プラットフォームをつくった。10月19日にオープンし、すでに5000人を超える登録者がいる。ゲンロン完全中継チャンネルの視聴者も、半数以上がニコニコ生放送からシラスに移行している。 ゲンロンに社内エンジニアはいない。だからシラスの制作は開発会社に発注して行われた。けれどもその進行を管理するのはゲンロンだ。つまり言い出しっぺのぼくである。ぼくはこの1年ほど、業務時間の多くを、Slackのうえをすごい勢いで流れていくシステムの説明やら仕様の確認やら優先度の変更やらとの格闘に費やしてきた。ぶじ放送が始まり、胸を撫で下ろしている。 文系の大学院を出て基本的にはもの書きとして生きてきたぼくにとって、シラスの開発ははじめての体験の連続だった。IT業界には独特の言い回しが多い。たとえばみなさんは「チケットを出しておいてください」と言わ

            観光客の哲学の余白に(23) 無料という病、あるいはシラスと柄谷行人について|東浩紀
          • 落選がもたらした中上健次との出会い:私の謎 柄谷行人回想録⑦|じんぶん堂

            記事:じんぶん堂企画室 近所の公園を散策する柄谷行人さん=篠田英美撮影 書籍情報はこちら ――1967年3月に東大大学院の修士課程を修了して、最初は国学院大学の非常勤講師として英語を教えていたそうですね。 柄谷 当時は、英文科を出てまず英語の教師になるというのは、よくあるパターンでした。いきなり英文学を教えるというのはなかなか難しいから。実は最初に、ある東大の教授から、ある大学の専任講師の職があるということで、面接に行ったんだよ。ほぼ内定していたらしいんだけどね。週3日授業を持ってくれと言われたので、忙しいから週2日にしてほしい、といった。そしたら、その場でもう「さようなら」ということになってしまった。それを斡旋してくれた教授は、僕のことを怒っていたらしい。 ――メンツ丸つぶれだったんでしょうね。それは、指導教官だった大橋健三郎さんではないんですか? 柄谷 別の人です。大橋さんは僕のことが

              落選がもたらした中上健次との出会い:私の謎 柄谷行人回想録⑦|じんぶん堂
            • 大衆と慢心しきったおぼっちゃんと地方のお殿様と政治家 〜慢心する世襲議員と自らに多くを課すエリートの周流【柄谷行人『政治と思想』オルテガ『大衆の反逆』 】 - 日々是〆〆吟味

              慢心しきったおぼっちゃんとしての大衆と、地方のお殿様としての政治家 〜世襲と慢心 お殿様としての現代政治家 〜柄谷行人の意見 おぼっちゃんとお殿様と政治 〜慢心はあるかないか 気になったら読んで欲しい本 柄谷行人『政治と思想』 ミヘルス『政党政治の社会学』 パレート『エリートの周流』 オルテガ『大衆の反逆』 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020/01/10/180046 慢心しきったおぼっちゃんとしての大衆と、地方のお殿様としての政治家 〜世襲と慢心 もし大衆というものが慢心しきったおぼっちゃんであり、努力より怠惰を選び、しかし当然の権利として自分の分前を主張して世の中は変わらず維持される(なんか並べて書くとますます嫌になりますね)と考えているのだとしたら、あまり重要な決定をするところにいないで欲しい気もしますが、実際どうなのかはそれぞれ

                大衆と慢心しきったおぼっちゃんと地方のお殿様と政治家 〜慢心する世襲議員と自らに多くを課すエリートの周流【柄谷行人『政治と思想』オルテガ『大衆の反逆』 】 - 日々是〆〆吟味
              • 他者という問題 ~同じ規則と異なる規則の間柄の人間関係(付:柄谷行人『探究』) - 日々是〆〆吟味

                他者という問題 〜日本人とアメリカ人が謝ったとしたら 他者とはどのような存在か 他者とは異なる規則をもつ者である たとえば子供 たとえば外国人 まとめの図解 参考となる本 【柄谷行人『探究』】 他者という問題 〜日本人とアメリカ人が謝ったとしたら コミュニケーションがいかにして可能となるか、を考えようとしましたが、その前に1つ考えておかなければならない問題がありました。 それが他者という問題です。 これはコミュニケーションが可能かという前に、なぜコミュニケーションが成り立たないか、という問題を理解するために必要なことだと思いますので、ちょっと先に考えてみましょうね。 他者とはどのような存在か 他者というものはどのようなものでしょうか。自分以外の人のことを指して他者だ、と思うかもしれません。それはそれで間違ってないでしょうね。 しかしそれじゃ他人とどう違うんだ、と思われるかもしれません。そり

                  他者という問題 ~同じ規則と異なる規則の間柄の人間関係(付:柄谷行人『探究』) - 日々是〆〆吟味
                • 柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」|じんぶん堂

                  記事:じんぶん堂企画室 柄谷行人さん 書籍情報はこちら 「これ以上ないところまで書いた」 柄谷さんは、四半世紀にわたって、〈交換〉から社会の歴史を見る仕事に取り組んできた。今作は、その〈交換様式〉がもたらす〈観念的な力〉に着目した到達点といえる一冊だ。 「私は、これ以上ないというところまで書きました。だから、今後どうすればいいんですか、なんてことを聞かないでもらいたい(笑)」 その仕事に取りかかったきっかけの一つは1991年のソビエト連邦崩壊だった。 「やはり、すごく大きな事件だったんですね。このとき、〈歴史の終焉〉ということが大々的に言われましたが、私は反対でした。なぜなら、何も終わっていなかったからです」 当時、米国の政治学者フランシス・フクヤマが、イデオロギーの対立は自由・民主主義の勝利に終わったという仮説を示して注目を集めた。根本的な革命はもう起こらないとも言われた。しかし、柄谷さ

                    柄谷行人さん『力と交換様式』インタビュー 絶望の先にある「希望」|じんぶん堂
                  • 「奇妙な」子ども時代 左翼だった父が無言で託したものと繰り返し読んだ本:私の謎 柄谷行人回想録②|じんぶん堂

                    記事:じんぶん堂企画室 幼少期の柄谷行人さん(柄谷行人さん提供) 書籍情報はこちら ――柄谷さんは1941年8月6日、兵庫県尼崎市のお生まれですね。 柄谷 当時は、川辺郡園田村ですよ。そして、その中の森という地域です。代々の地主で農家ですね。先祖は江戸時代に菜の花油で材をなした豪商だったらしい。いまも残っている実家の建物は築150年くらい。蔵はもっと古い。代々「善右衛門」と名乗っていて、近所では「ゼオンさん」と呼ばれていましたね。祖父は善治郎、父は善之祐。それで僕は善男(よしお)。20代でペンネームとして行人を名乗ったから、もう書類上の名前だけだけどね。 森地区には、園田村全体の村長もやっていた中村という家と、柄谷の家と二つが古くからあった。その中村という人が中心になって、僕のじいさんや地元の人を集めて、女学校を作ったんですよ。「園田学園」です。僕の姉なんかは、戦後にそこに行っていました。

                      「奇妙な」子ども時代 左翼だった父が無言で託したものと繰り返し読んだ本:私の謎 柄谷行人回想録②|じんぶん堂
                    • アジア初 日本の哲学者 柄谷行人氏、2022年バーグルエン哲学・文化賞を受賞

                      アジア初 日本の哲学者 柄谷行人氏、2022年バーグルエン哲学・文化賞を受賞現代哲学と政治思想に大きく貢献した先駆的な思想家 バーグルエン研究所(米国 カリフォルニア州ロサンゼルス)は本日、バーグルエン賞審査委員会が、卓越した日本の哲学者、文芸評論家である柄谷行人氏を2022年のバーグルエン哲学・文化賞の受賞者に選出したことを発表しました。同賞は、急速に変化していく世界のなかでその思想が人間の自己理解の形成と進歩に大きく貢献した思想家に毎年授与されており、賞金は100万米ドルです。アジア人初の受賞者となる柄谷氏は、哲学、文学理論、美学、言語学、経済学、政治、東洋と西洋、過去と現在を横断する稀有な思想家です。同賞審査委員会は、「柄谷氏は現代哲学、哲学史、政治思想に対する極めて独創的な貢献をした。混迷するグローバル資本主義と民主主義国家の危機、めったに自己批判が伴うことのないナショナリズムの復

                        アジア初 日本の哲学者 柄谷行人氏、2022年バーグルエン哲学・文化賞を受賞
                      • ド・マン、デリダと語り合った日々:私の謎 柄谷行人回想録⑪|じんぶん堂

                        記事:じんぶん堂企画室 ポール・ド・マン(左端)と柄谷さん(右)。中央は、作家の冥王まさ子さん。イェール大学近くのカフェの前で。「78年だと思う。同席していたデリダが撮影したんじゃないか」と柄谷さん=パトリシア・ド・マンさん提供 書籍情報はこちら ――ポール・ド・マン(1919~83)との関わりについて、もう少し聞かせてください。ド・マンは、フランスの哲学者ジャック・デリダ(1930~2004)の“脱構築”を文学批評に展開してイェール学派の中心人物としてアメリカの文学界で大きな影響力を持つようになりますが、柄谷さんが渡米した1975年時点の実感としては、どうでしたか。 柄谷 まだイェールでも知る人ぞ知る存在ですよ。アメリカ国内で知られるようになっていくのは、80年前後じゃないですかね。僕は名前も知らなかった。だから、ド・マンに認められてうれしかったというのも、彼が有名だからとか何とかいうよ

                          ド・マン、デリダと語り合った日々:私の謎 柄谷行人回想録⑪|じんぶん堂
                        • 高校までは夢のなかにいた:私の謎 柄谷行人回想録③|じんぶん堂

                          記事:じんぶん堂企画室 高校時代の柄谷行人さん(本人提供) 書籍情報はこちら ――1954年4月、関西有数の進学校として知られる私立甲陽学院中学(兵庫県西宮市)に入学します。中学受験をされたきっかけは何だったんでしょうか。 柄谷 当時は、甲陽も「関西有数の進学校」ではなかったと思いますよ。灘もそうでしょう。少なくとも僕は、その存在も知らなかった。ところが、小学校のクラス担任の先生に、「灘より甲陽のほうがいいよ」と勧められたんです。どっちも知らないし、別に行きたいと思わなかった。その先生は、旧制の甲陽中学の野球部出身で、以来ずっと少年野球の指導をやっていたから、それで甲陽の野球部に行くことを勧めたんだろうな、くらいに思っていました。だから別に進学校だとも思わず、言われるがままに、何となく受験することになった。 ――ご自分の意志とは別のところにきっかけがあったんですね。妻の凜さんからは、柄谷さ

                            高校までは夢のなかにいた:私の謎 柄谷行人回想録③|じんぶん堂
                          • 文学は永遠だと思っていた新人批評家時代:私の謎 柄谷行人回想録⑨|じんぶん堂

                            記事:じんぶん堂企画室 批評家として活動を始めた頃の柄谷さん=本人提供 書籍情報はこちら ――1969年6月号の「群像」(講談社)に「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」が群像新人賞受賞作として掲載され、本格的に文芸批評家としての活動に入りますよね。ここからの数年間はいわゆる文芸批評をたくさん書かれています。1972年の第1評論集『畏怖する人間』には、「漱石試論」をはじめ1969年から1972年に発表された評論が収録されていますが、年譜によると受賞後最初に発表したのは、「群像」69年11月号の「江藤淳論」でした。江藤さんはどんな存在でしたか? 柄谷 やはり、批評家としていい仕事をしている先行者、という感じですね。僕はそれ以前に五月祭賞に応募した「思想はいかに可能か」で、吉本隆明、三島由紀夫、江藤淳の3人を、思想の基本的なあり方として示したんだけど、それくらい大きな存在として捉えていたのは確かで

                              文学は永遠だと思っていた新人批評家時代:私の謎 柄谷行人回想録⑨|じんぶん堂
                            • オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース

                              こんな人材が日本にも欲しかった。オードリー・タン。2020年に全世界を襲った新型コロナウイルスの封じ込めに成功した台湾。その中心的な役割を担い、世界のメディアがいま、最も注目するデジタルテクノロジー界の異才が、コロナ対策成功の秘密、デジタルと民主主義、デジタルと教育、AIとイノベーション、そして日本へのメッセージを語る。本連載はオードリー・タン著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)の一部を抜粋し、再編集したものです。 柄谷行人の「交換モデルX」から受けた大きな影響 私が現在興味を持っていることの一つは、日本の哲学者であり文芸評論家でもある柄谷行人さんが唱えている「交換モデルX」をデジタルの力で実現できないだろうかということです。 私は柄谷さんの思想に強い影響を受けています。たとえば、『トランスクリティーク カントとマルクス』は、カントの視点からマルクスを、マル

                                オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース
                              • 初めての批評は「大江健三郎さんのまね」 哲学者・柄谷行人さん談話:朝日新聞デジタル

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                                • 私の謎 柄谷行人回想録|じんぶん堂

                                  教室で口を利かなかった小学生は、いかにして柄谷行人になったのか――。世界的な批評家・思想家が自らの歩みを振り返り、ときにユーモアを交えて語ります。(月1回更新)

                                    私の謎 柄谷行人回想録|じんぶん堂
                                  • 「資本と国家への対抗」に機運 哲学者の柄谷行人さんに聞く|好書好日

                                    昨年来、米国での講義などの予定がなくなり、『世界史の構造』に続く「交換様式」に関する大作に取り組みながら、多摩の里山を歩き回る日々を送る。「庭で作物を作っているのをずいぶん見かけるようになった。農地を借りている人もいるようだ」。テレワークが進み、都会を出て地方に移住する人が増えたことに注目している。 アソシエーションとは、特定の興味や目的で結びついた社会組織を指す。食や環境への関心に導かれ、若者たちが都市から地方に移って就農することを「地縁や血縁で結びついた昔の共同体を取り返しているのではなく、新しい共同体を作っている」と好意的にみている。 多くの論者がコロナ禍をグローバル化と結びつけ、人々の移動の激しさが感染拡大を生んだと読み解いてきたが、柄谷さんは、むしろ「定住」にこそコロナ禍の根はあるとみる。 「僕の考えでは、人類史の大きな境目は定住にある。人類がなかなか定住に至らなかった原因の一つ

                                      「資本と国家への対抗」に機運 哲学者の柄谷行人さんに聞く|好書好日
                                    • 試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤|じんぶん堂

                                      記事:じんぶん堂企画室 マルクス『資本論』の初版本(1867年) 書籍情報はこちら ――前回は東大駒場寮時代のお話を伺いました。午前10時まで寝ていたということは、寮では先輩たちと夜中まで議論するような生活ですか? 柄谷 いや、本を読んでいた。誰かと一緒ではない。ひとりですよ。一番よく読んでいたのは、マルクス経済学者の宇野弘蔵です。ブント系は宇野を読むものだと聞いてたからだと思うけど、『経済原論』など、入学して早速買いましたね。マルクス主義について通俗的には知っていたけど、初めてマルクスについて考えた。マルクスの本領は『資本論』なんだと、宇野を通じて知った。 経済学者の宇野弘蔵 ――62年、経済学部に進みます。宇野弘蔵は58年に東大を退官していますが、当時は弟子の鈴木鴻一郎が教えていますね。宇野派の経済学を学ぶのが目的ですか? 柄谷 勉強しないでいいからです(笑)。当時、文科一類からは基本

                                        試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤|じんぶん堂
                                      • マルクス思想、独創的に解釈 柄谷行人さんにバーグルエン哲学・文化賞:朝日新聞デジタル

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                                          マルクス思想、独創的に解釈 柄谷行人さんにバーグルエン哲学・文化賞:朝日新聞デジタル
                                        • 『柄谷行人浅田彰全対話』 | 荒野に向かって、吼えない…

                                          『柄谷行人浅田彰全対話』 一九八七年から九八年にかけて行われた柄谷行人と浅田彰の六つの対話が収録されている。なおこの二人は座談会などを含めるとこれ以外にも膨大な「対話」を残しているので「全」とつけてしまうのは誤解を招くタイトルであろう(多分『柄谷行人蓮實重彦全対話』に合わせたのだろうけど)。 例によって挑発的というか放言めいているところも多数あるので、そのあたりは割り引いてというか慎重に受け止めねばならないのであるが、時事的な要素を多く含んだ対談というのは時間がある程度経過すると読めたものではなくなるのがほとんどだが、今読んでもというだけでなく今読むことで、新たに見えてくるところがあるというのはさすがとすべきだ。 本書収録のなかで一番有名なのが、一九八九年に行われた「昭和精神史を検証する」を改題した「昭和の終焉に」の冒頭の浅田のこの言葉だろう。 「実をいうと、僕は昭和について語りたいとはま

                                          • 初めての論考、読み直して再発見した自分:私の謎 柄谷行人回想録⑥|じんぶん堂

                                            記事:じんぶん堂企画室 柄谷行人さん 撮影:篠田英美 書籍情報はこちら ――1965年、東京大学経済学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科英文学専攻課程へ。フォークナーの研究や翻訳で知られる大橋健三郎さんのゼミに入ります。 柄谷 学部のときに大橋さんの授業を聴講していて、フォークナーも好きだったからね。文学部に入り直すのは面倒だったから、1年留年してから、大学院に進むことにしました。英文科に入ったとはいえ、僕の専攻は実はアメリカ文学なんですよ。当時、アメリカ文学を専攻する人はまだ少なかった。大学院生では、僕1人だけだったんだから。 アメリカ文学者の大橋健三郎 ――原真佐子さん(1939~1995)と結婚したのもこの頃ですね。翻訳家としても活動し、後に「冥王まさ子」の名で文芸賞を受賞する作家でもあります。 柄谷 大学院で知り合ってすぐに結婚しました。彼女は、年が二つ上、学年で言うと一つ上

                                              初めての論考、読み直して再発見した自分:私の謎 柄谷行人回想録⑥|じんぶん堂
                                            • 学生運動と年上の友人たち:私の謎 柄谷行人回想録④|じんぶん堂

                                              記事:じんぶん堂企画室 1960年6月、国会前を埋め尽くすデモ隊 書籍情報はこちら ――1960年、私立甲陽学院高校を卒業し、東京大学文科一類に入学します。岸信介内閣による日米安全保障条約改定に反対の波が広がっていた60年安保闘争のさなかですね。 柄谷 受験前の59年秋、国会へのデモに参加した学生運動の幹部に逮捕状が出て、彼らが東大駒場に籠城するという事件がありました。それが連日大々的に報道された。その後、デモが広がり、入試期間中も続いていました。僕は入学式よりもそのことが気になっていたから、入学式より前に、東大生のデモに参加した。国会前です。4月7日くらいだったかな。そこで、西部邁の演説を聞いた。結局、入学式には行かなかった。 《5月19日に政府が強行採決すると、26日のデモには17万人が参加。6月15日には全学連が国会に入り、機動隊の強制排除で多数の重軽傷者、逮捕者が出た。このときに東

                                                学生運動と年上の友人たち:私の謎 柄谷行人回想録④|じんぶん堂
                                              • オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」 | ゴールドオンライン

                                                こんな人材が日本にも欲しかった。オードリー・タン。2020年に全世界を襲った新型コロナウイルスの封じ込めに成功した台湾。その中心的な役割を担い、世界のメディアがいま、最も注目するデジタルテクノロジー界の異才が、コロナ対策成功の秘密、デジタルと民主主義、デジタルと教育、AIとイノベーション、そして日本へのメッセージを語る。本連載はオードリー・タン著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)の一部を抜粋し、再編集したものです。 影響を受けた日本人、柄谷行人の「交換モデルX」 柄谷行人の「交換モデルX」から受けた大きな影響 私が現在興味を持っていることの一つは、日本の哲学者であり文芸評論家でもある柄谷行人さんが唱えている「交換モデルX」をデジタルの力で実現できないだろうかということです。 私は柄谷さんの思想に強い影響を受けています。たとえば、『トランスクリティーク カント

                                                  オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」 | ゴールドオンライン
                                                • くじ引きで拓けた望外の道 34歳でイェールの客員教授に:私の謎 柄谷行人回想録⑩|じんぶん堂

                                                  記事:じんぶん堂企画室 秋めく自宅付近を歩く柄谷行人さん=篠田英美撮影 書籍情報はこちら ――今回は、柄谷さんにとって大きな転機となった1975年の渡米についてお聞きしたいのですが、その前段として73年発表の「マクベス論」(『意味という病』収録)の頃から始めたいと思います。『意味という病』の「第二版へのあとがき」に、「私にとって最も惨めだったのは、『マクベス論』を書いてからの数年間であったといってもよい」「私はもはや文芸評論を書く気がまったくなくなっており、すぐに(なぜか)マルクス論にとりかかったのだが、いっこうに書けなかった」とありますね。 柄谷 60年代は、新左翼の運動が盛り上がった時代です。それが終わったということを示すような事態が、60年代から次々とおこった。その極みの一つが、連合赤軍事件(1971~72)です。僕はそれについて直接言及したことはないけど、「マクベス論」を書いたとき

                                                    くじ引きで拓けた望外の道 34歳でイェールの客員教授に:私の謎 柄谷行人回想録⑩|じんぶん堂
                                                  • 「バーグルエン哲学・文化賞」に哲学者の柄谷行人さん | NHK

                                                    “哲学のノーベル賞”を目指してアメリカの研究機関が設けた「バーグルエン哲学・文化賞」に、アジアで初めて哲学者の柄谷行人さんが選ばれました。 7年前にアメリカの政策研究機関「バーグルエン研究所」が創設した「バーグルエン哲学・文化賞」は、人間の自己理解の形成や進歩に大きく貢献したとされる世界の思想家に毎年授与され、賞金は100万ドルです。 今回は、アジアで初めて哲学者の柄谷行人さんが選ばれ27日、東京 港区で贈呈式が開かれました。 柄谷さんは兵庫県尼崎市出身の81歳で、夏目漱石をはじめとした文芸評論家としての活動に加え、マルクスの「資本論」などをテーマとした政治経済学や、哲学史の分野でも多くの著作を発表しています。 著作は世界各国で翻訳されバーグルエン研究所は「文学や哲学、政治、経済学を思想的に横断し、民主主義やナショナリズム、資本主義の本質を深く掘り下げた」などと評価しています。 贈呈式であ

                                                      「バーグルエン哲学・文化賞」に哲学者の柄谷行人さん | NHK
                                                    • 「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞に柄谷行人さん アジア初(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

                                                      「世界史の構造」などの著書がある哲学者の柄谷行人(からたに・こうじん)さん(81)が、今年の「バーグルエン哲学・文化賞」の受賞者に決まった。米カリフォルニア州のシンクタンク、バーグルエン研究所が8日、発表した。この賞は、同所長で慈善家のニコラス・バーグルエンさんが「哲学のノーベル賞」を目指して2016年に創設し、「急速に変化していく世界のなかでその思想が人間の自己理解の形成と進歩に大きく貢献した思想家」に毎年授与している。 【写真】「考えるとは、再考することですよ」と言う柄谷さん 柄谷さんの受賞理由は「現代哲学、哲学史、政治思想に対する極めて独創的な貢献」。そして「混迷するグローバル資本主義と民主主義国家の危機、めったに自己批判が伴うことのないナショナリズムの復活という今の時代において、その作品は特に重要である」とされた。アジア初の受賞。柄谷さんは「思いもかけなかった評価に喜んでいる。感謝

                                                        「哲学のノーベル賞」バーグルエン賞に柄谷行人さん アジア初(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
                                                      • 並行世界への招待:現代日本文学の一断面|第1章 柄谷行人『探究Ⅱ』──この・・現実世界への疑念|加藤夢三 | 未草

                                                        本連載が書籍になりました。連載の内容に大幅な加筆をしての書籍化です。ぜひご覧ください。 並行世界の存在論 現代日本文学への招待 加藤夢三著 ISBN 978-4-8234-1181-6 2022年12月刊行 https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-8234-1181-6.htm ただ端的にある並行世界 冒頭から奇妙なことを言うようですが、僕は中学生か高校生くらいの頃から、並行世界というものが実際に存在するということを強く確信していました。別に、たとえば僕に瓜ふたつの人間がそこで生活しているというような、ある特定の具体的なドラマが仕立て上げられた時空間のことを想像していたわけではないのですが、とにかく世界がこのひとつだけであるとは単純にどうしても信じられなかったのです。僕にとって、それは科学的な証明とも哲学的な思弁とも一切関係なく、ただ端

                                                          並行世界への招待:現代日本文学の一断面|第1章 柄谷行人『探究Ⅱ』──この・・現実世界への疑念|加藤夢三 | 未草
                                                        • 【批評の座標 第4回】あいまいな批評家の私――柄谷行人(松田樹)|人文書院

                                                          今回の対象は、文芸評論はもとより、批評誌『批評空間』の運営やNAMという政治運動体の旗振り役を経て、現在では思想家として世界的な評価を受ける柄谷行人。中上健次研究の傍ら批評誌『近代体操』を主宰・運営する松田樹が、国際的には「思想家」を、国内的には「文芸批評家」を名乗る柄谷の揺れ動きを出発点に、批評という運動そのものを彼のテキスト自体から浮かび上がらせます。 批評の座標 ――批評の地勢図を引き直す あいまいな批評家の私――柄谷行人松田樹 一、文学者か思想家か 二〇二二年一二月、柄谷行人(1941-)は、米国のバーグルエン哲学・文化賞をアジア人として初めて受賞した。受賞の理由は、「現代哲学、哲学史、政治思想に対する極めて独創的な貢献」とされている[1]。 この報は、過去の批評家の歴史的な達成を紐解いていく、本企画にはうってつけのものであるように思われる。われわれが本企画で目論んだのは、まさに、

                                                            【批評の座標 第4回】あいまいな批評家の私――柄谷行人(松田樹)|人文書院
                                                          • 柄谷行人氏が明かす賞金1億円の使い途(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                                                            昨年12月、日本を代表する思想家・哲学者である柄谷行人氏が、「哲学のノーベル賞」を目指して創設された「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞した。 【写真】この記事の写真を見る(3枚) 柄谷氏は、「文藝春秋」の2時間に及ぶインタビューで、賞金の使い途と、哲学者「柄谷行人」ができるまでを語った。 賞金は100万ドル、日本円で1億円以上の大金だ。 「今回の受賞に際して、皆が真っ先に注目するのは、賞金の額のようです。私自身、やはり賞金に驚きました。この取材がきたのも、その力でしょう」 そう言って笑う柄谷氏に、使い途を直撃すると……。 「よく尋ねられますが、これほど大きな額のお金の使い方は、考えたことがなかったから、そんなに簡単には決められません。今回の受賞ではじめて、お金をどう使ったらいいのかを考えさせられましたね」 日本を代表する哲学者も、思わぬ「難問」を前に悩んでいるようだ。 柄谷氏が「アソシエー

                                                              柄谷行人氏が明かす賞金1億円の使い途(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                                                            • 柄谷行人氏が明かす賞金1億円の使い途 | 文春オンライン

                                                              昨年12月、日本を代表する思想家・哲学者である柄谷行人氏が、「哲学のノーベル賞」を目指して創設された「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞した。 柄谷氏は、「文藝春秋」の2時間に及ぶインタビューで、賞金の使い途と、哲学者「柄谷行人」ができるまでを語った。 賞金は100万ドル、日本円で1億円以上の大金だ。 「今回の受賞に際して、皆が真っ先に注目するのは、賞金の額のようです。私自身、やはり賞金に驚きました。この取材がきたのも、その力でしょう」 そう言って笑う柄谷氏に、使い途を直撃すると……。 「よく尋ねられますが、これほど大きな額のお金の使い方は、考えたことがなかったから、そんなに簡単には決められません。今回の受賞ではじめて、お金をどう使ったらいいのかを考えさせられましたね」 日本を代表する哲学者も、思わぬ「難問」を前に悩んでいるようだ。 柄谷氏が「アソシエーション」と呼んでいる、社会運動の組織を

                                                                柄谷行人氏が明かす賞金1億円の使い途 | 文春オンライン
                                                              • 「今、これ以上に必要不可欠な本を思いつかない」 柄谷行人さんが挙げた古典:じんぶん堂3周年ブックフェア|じんぶん堂

                                                                記事:じんぶん堂企画室 柄谷行人さんおすすめの一冊 書籍情報はこちら 柄谷行人さんおすすめの一冊 柄谷行人さんのおすすめは、ドイツの哲学者・カントの『永遠平和のために』(宇都宮芳明訳 岩波書店)です。古典というにふさわしい一冊ですが、柄谷さんはいまこそ、読むべき本だと強調しています。 カントは一八世紀末に、諸国家の連邦を提唱した。それが二〇世紀に、国際連盟や国際連合として実現されたのは周知のことだが、戦後日本の憲法九条の理念もまた、本書に根ざすものである。私は、今世紀のはじめに、来たるべき世界戦争の危機と、カント的諸国家連合の必然性を考えはじめた。ウクライナに始まった戦争が世界戦争に発展する気配の中、また日本が憲法九条を実質的に捨てようとしている今、これ以上に必要不可欠な本を思いつかない。 ブックフェア「知の深呼吸 考える みえてくる」開催書店では、対象書籍についての推薦コメントをまとめた

                                                                  「今、これ以上に必要不可欠な本を思いつかない」 柄谷行人さんが挙げた古典:じんぶん堂3周年ブックフェア|じんぶん堂
                                                                • オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース

                                                                  資源の争奪戦がなくなる可能性がある?柄谷さんがこれまでの社会について言っているのは、たとえば市場であれば、一般的には「自由」という価値が必要であるということでした。ただ、この近代資本主義社会では、自由の理念と平等の理念は両立しませんし、家族のような自由・平等・友愛という価値については、まだ名前がつけられていません。だからこその〝X〞なのです。 Xは自由・平等・友愛を補完するものかもしれませんが、だからといって自由・平等・友愛の重要性を否定するわけではなく、新しい可能性であると言っているわけです。 柄谷さんが使っている哲学的な言語は、私が世界を理解するために最も頻繁に使う言語です。彼が引用しているカントやマルクスなど関連する哲学者の書籍は、私も若い頃にほとんど読みましたし、彼がよく引用する後期のフロイトにも強く興味を抱いています。柄谷さんの使う概念は、私にとっては非常に身近なもので、母語のよ

                                                                    オードリー・タン…影響を受けた柄谷行人の「交換モデルX」(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース
                                                                  • 日本、近代、文学、起源 すべてをカッコに入れて:私の謎 柄谷行人回想録⑬|じんぶん堂

                                                                    記事:じんぶん堂企画室 1978年の柄谷行人さん 書籍情報はこちら ――様々な言語に翻訳されている『日本近代文学の起源』についてお聞きします。自分の書いた本は読み返さないという柄谷さんですが、これはちょっと例外のようですね。 柄谷 外国語版が出る度に序文を求められたから、僕としては珍しく何度も読み直したんだけど、今はもうだいぶ忘れているよ(笑)。 ――まず、どういう本か、というところからですが、日本の明治文学についての論考が収められた本です。「風景の発見」、「内面の発見」、「告白という制度」と、“風景”“内面”“告白”など当たり前のものになっていることが、実は近代化のなかで生まれた装置だということを、夏目漱石や森鷗外、国木田独歩に田山花袋などの明治文学を引きながら、次々に指摘していきます。例えば、人間の“内面”を描くために言文一致が確立されたのではなく、言文一致が確立される過程で“内面”が

                                                                      日本、近代、文学、起源 すべてをカッコに入れて:私の謎 柄谷行人回想録⑬|じんぶん堂
                                                                    • 柄谷行人、浅田彰『全対話』 - 備忘録

                                                                      柄谷行人浅田彰全対話 (講談社文芸文庫) 作者:柄谷行人,浅田彰発売日: 2019/10/11メディア: Kindle版 1980年代から90年代にかけての対話を集約しており、以前、何処かで読んだことのある文章がほとんど*1。バブル崩壊・金融危機以前の時代性が色濃く感じられ、長期停滞期を経た今とは文脈が異なる。加えて、経済学的な視点からみると、現在の論壇水準から乖離した「稚拙」さがある*2。「グローバリズム」という概念は未だなく(もしくは意味合いが異なっており)、それが現れる直前の極限点に思考を進めるが、現在の視点からすれば日本的「ポスト資本主義」といったものにリアリティは感じない。 日本的「コーポラティズム」批判にしても、そもそも、日本には「主体」がなく関係主義的なので「コーポラティズム」も容易なのだ、といった物言い自体、唯物的ではない。日本の雇用システムは、幾度かの批判の反復を繰り返し

                                                                        柄谷行人、浅田彰『全対話』 - 備忘録
                                                                      • 語ることで見えてきた偶然の運命:私の謎 柄谷行人回想録⑧|じんぶん堂

                                                                        記事:じんぶん堂企画室 「群像」1969年6月号(講談社)。群像新人賞が発表され、評論部門で柄谷さん、小説部門の受賞者は後に芥川賞や野間文芸賞を受賞する李恢成さんが当選した 書籍情報はこちら ――69年5月、柄谷さんは夏目漱石論で群像新人文学賞評論部門を受賞し、本格的な文壇デビューを果たします。 《受賞作「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」(単行本収録時に、「意識と自然――漱石試論(Ⅰ)」に改題)は、『門』や『こころ』といった漱石の長編小説ではテーマが分裂しているという指摘から始まる。しかし柄谷さんはそれを「構成的破綻」と言って終わらせるのではなく、漱石が多義的に使う〈自然〉という言葉に着目し、シェークスピアやエリオット、キルケゴールなどを援用しながら読み解いていく》 柄谷 応募したのは、68年の冬かな。そのとき、父が癌だったのですが、秋に書き終わってまもなく亡くなりました。だから、父は僕が

                                                                          語ることで見えてきた偶然の運命:私の謎 柄谷行人回想録⑧|じんぶん堂
                                                                        • 「資本と国家への対抗」に機運 哲学者の柄谷行人さんに聞く:朝日新聞デジタル

                                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                            「資本と国家への対抗」に機運 哲学者の柄谷行人さんに聞く:朝日新聞デジタル
                                                                          • 思想家・柄谷行人が、コロナ禍で揺れる世界に語る、新たなる社会変革の可能性|じんぶん堂

                                                                            記事:作品社 2021年1月、作品社より刊行された『ニュー・アソシエーショニスト宣言』――「世界変革への“新たなる宣言”!」 書籍情報はこちら 「NAM」後のアソシエーション運動 私は2000年に新アソシエーショニスト運動(NAM)を大阪で開始した。それは、簡単にいえば、「資本と国家への新対抗運動」である。そのとき、その理論的枠組として『NAMの原理』を出版した。組織としてのNAMは、2年で解散することになった。しかし、それでアソシエーションの運動そのものが終わったわけではない。NAMの解散に際して、私が反省したのはつぎの点である。NAMのような組織が意味を持つのは、多くの小さなアソシエーションがあった上で、それらがアソシエート(連合)するときである。NAMを組織するのは、早すぎた。 現代のアソシエーショニズムに影響を与え続けているカール・マルクス ゆえに、NAMの解散後も、私を含め、多く

                                                                              思想家・柄谷行人が、コロナ禍で揺れる世界に語る、新たなる社会変革の可能性|じんぶん堂
                                                                            • ■柄谷行人の新作『力と交換様式』について(3) 柄谷行人は、人類の社会構成体の歴史を、《 交換様式A 》《 交換様式B 》《 交換様式C 》《 交換様式D 》と言って、説明してにいる。それが 、『 世界史の構造』から『力と交換様式』にいたる最近の柄谷理論のキーワードである。したがって、まず ここから説明しよう。まず《 交換様式A 》について。これは未開社会 、あるいは原始社会の交換様式である。この社会では、具体的に言うと、《 互酬交換》が行われている。この《 互酬性 》の段階では 、交換はほぼ平等に行 -

                                                                              ■柄谷行人の新作『力と交換様式』について(3) 柄谷行人は、人類の社会構成体の歴史を、《 交換様式A 》《 交換様式B 》《 交換様式C 》《 交換様式D 》と言って、説明してにいる。それが 、『 世界史の構造』から『力と交換様式』にいたる最近の柄谷理論のキーワードである。したがって、まず ここから説明しよう。まず《 交換様式A 》について。これは未開社会 、あるいは原始社会の交換様式である。この社会では、具体的に言うと、《 互酬交換》が行われている。この《 互酬性 》の段階では 、交換はほぼ平等に行われ、あまり貧富の差や身分の差などは発生しない。富を独占的に所有するような権力者や支配者も、存在しない。したがって国家も国境も存在しない。さて、つぎに《 交換様式B》は、《 贈与と収奪》という交換が行われている社会の段階である。この段階で、富の独占や権力者、支配者が発生し、王様と奴隷というよう

                                                                                ■柄谷行人の新作『力と交換様式』について(3) 柄谷行人は、人類の社会構成体の歴史を、《 交換様式A 》《 交換様式B 》《 交換様式C 》《 交換様式D 》と言って、説明してにいる。それが 、『 世界史の構造』から『力と交換様式』にいたる最近の柄谷理論のキーワードである。したがって、まず ここから説明しよう。まず《 交換様式A 》について。これは未開社会 、あるいは原始社会の交換様式である。この社会では、具体的に言うと、《 互酬交換》が行われている。この《 互酬性 》の段階では 、交換はほぼ平等に行 -
                                                                              • 哲学者・柄谷行人さんが新著 資本と国家を乗り越える「力」への希望:朝日新聞デジタル

                                                                                ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                                  哲学者・柄谷行人さんが新著 資本と国家を乗り越える「力」への希望:朝日新聞デジタル
                                                                                • 交換様式Dと周辺地域、そして反復強迫:柄谷行人『力と交換様式』へのコメント(前) - 外付脳内そっ閉じメモ

                                                                                  柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店、2022年)読了。以下は気になった点についてのコメント。 Ⅰ『世界史の構造』からの変更点 まず『世界史の構造』(岩波書店、2010年)から明らかに立場を変更したと思われる点について。 〇上部構造/下部構造図式の再導入 『世界史の構造』では、生産様式から交換様式に視点を移せば、もはや上部構造と下部構造を区別する必要はなくなると述べられていたにもかかわらず、『力と交換様式』ではその区別が再び導入されていた。交換関係そのものと、そこから立ち昇る、当該の交換関係を維持・強化するようにと人々を呪縛する観念的・霊的力とを識別する必要が新たに生じたからだ。しかし、各交換様式からどのように人々を呪縛する観念的な力が立ち昇ってくるのか、その機序については最後までよくわからなかった。また交換様式Dに関しては、それ特有の交換様式と、呪縛する力とが同時に到来する以上、わざわざそ

                                                                                    交換様式Dと周辺地域、そして反復強迫:柄谷行人『力と交換様式』へのコメント(前) - 外付脳内そっ閉じメモ

                                                                                  新着記事