9日の長崎市での平和祈念式典で鈴木史朗市長が読み上げる平和宣言には、今年、没後50年を迎えた被爆者で詩人の福田須磨子(1922~74年)の詩「原爆を作る人々に」が引用される。原爆で肉親を奪われ、病苦と貧困にあえぎながら創作を続けた被爆詩人。その訴えは、核兵器使用をちらつかせて緊張を高める世界の首脳に強く警鐘を鳴らす。 須磨子は長崎市浜口町の青果問屋に生まれ、県立長崎高等女学校を卒業後、尋常小学校の代用教員を経て、長崎師範学校の会計課に勤務していた。45年8月9日、23歳の時に爆心地から約1・8キロにあった同校で被爆。自身は助かったが、爆心地から約600メートルの自宅で被爆した両親と姉は、焼け跡から骨となって見つかった。 家族も家も財産も失い、戦後は粗末な住まいで雨露をしのぎながら、屋台商やヤミ物資のブローカー、人形作りなどで生計を立てた。発熱や倦怠(けんたい)感、脱毛などにも苦しみ、55年