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  • 実写『シティーハンター』冴羽リョウのアップデートは最大の難関 プロデューサーが挑んだ海外版との差別化|シネマトゥデイ

    ユーモアとシリアスを絶妙にブレンド! 実写ならではの世界観を生んだ『シティーハンター』 - (C)北条司/コアミックス 1985 漫画家・北条司の代表作を実写化した映画『シティーハンター』が4月25日に配信を迎えた。世界中で絶大な人気を誇るコミックの映画化に挑んだのは、実写版「ONE PIECE」「幽☆遊☆白書」を成功に導いたNetflix。伝説の主人公・冴羽リョウ役に鈴木亮平を迎えた“はじまりの物語”はいかにして実現したのか。Netflixの高橋信一プロデューサーがその裏側を語った。 【動画】鈴木亮平&神谷明、冴羽リョウが特別対談!インタビュー動画 鈴木亮平の驚異的な献身 (C)北条司/コアミックス 1985 東京・新宿を拠点に、裏社会のトラブルを解決する一流のスイーパー(始末屋)・冴羽リョウの活躍を描く「シティーハンター」。スリリングなアクションとユーモアたっぷりに展開する、魅力的なキ

      実写『シティーハンター』冴羽リョウのアップデートは最大の難関 プロデューサーが挑んだ海外版との差別化|シネマトゥデイ
    • 東京あらーと饅頭

      2070年。 ほかの道府県が「2020年にちょっと流行ったしょぼいウイルス」のことなど忘れ去り平穏な日常を送るなか、東京だけは依然アラート態勢下にあった。 当然、東京への出入りは厳しく監視される。外部者が都内に入るには14日間の隔離期間が必要で、感染を抑えるため都内での行動は48時間以内に限定され、それを超えたものは強制的に"都民"となる。刻印を押された"都民"が外部に出ることは許されない。血液に染み付いたウイルスはどんな手段を用いても除去できない(とされている)からである。 広々とした空間で楽しく三密の日常を送る都外者は、時折漏れ聞こえる密にして疎なる都内の悲惨極まりない噂に憐憫と恐怖を覚える。 そんな世界で、唯一都内からの持ち出しが制限されていない物品こそが「東京あらーと饅頭」である。他のあらゆる東京土産が汚染により規制される中、アルコールと次亜塩素酸で作られたこの饅頭だけはしぶとく生

        東京あらーと饅頭
      • 都会でも田舎でもない金沢。観光地の中にあるハレとケ(映画監督・岨手由貴子) - SUUMOタウン

        著: 岨手由貴子(そでゆきこ) なぜ地元ではない金沢へ移住したのか 2017年の秋、私は長く暮らした東京を離れて、家族とともに石川県金沢市に移住した。 移住する前、映画監督を生業にしている私は東京で第一子を出産後、しばらく仕事復帰ができずにいた。待機児童の多いエリアに住んでいたことや、フリーランスゆえに勤務実績を証明しづらいこともあり、なかなか認可保育園に入れなかったのだ。 当時、夫は広告関係の映像制作会社で働いており、長時間の勤務が当たり前という状況。家に帰るのが明け方になることも多かった。お互いの実家は遠方のため両親に頼ることも難しく、息子が2歳になるまでワンオペ状態で子育てをする生活が続いた。 働けないことでまともな収入が得られず、仕事復帰のために一時保育を利用するも、数時間でものすごい金額が飛んでいく。日々の生活にいっぱいいっぱいで、仕事ができない焦りだけが募っていった。 東京で子

          都会でも田舎でもない金沢。観光地の中にあるハレとケ(映画監督・岨手由貴子) - SUUMOタウン
        • 池袋と目白の中間地点で、ブックギャラリーを19年前に始めて現在に至る話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

          著: 玉置 標本 池袋と目白の中間あたり、人通りもまばらな住宅街に店を構えるブックギャラリーポポタム。国内外のアートブックやリトルプレス(少量生産の本)、アーティストによる絵画やグッズを扱っている。 ポポタムのオープンは2005年。この店がこの場所に誕生した理由、19年間にわたって作家やお客様に支持され続けてきた訳、個性的な品揃えの基準などを、店主の大林えり子さんから伺った。 本とサブカルに親しんだ学生時代 大林さんの出身は香川県の西側、お雑煮が白味噌の汁に丸い餡子餅をいれる地域とのこと。 高校卒業後、大学進学のため上京をして、なんやかんやあって店をオープンさせて現在に至る。 多くの人が「本当にこっちでいいのかな?」と迷いながら辿り着く店、それがポポタム ――昔から本は好きだったのですか。 大林えりこさん(以下、大林):「特別好きとは意識していなかったけど、今思うと、よく読んでいたと思いま

            池袋と目白の中間地点で、ブックギャラリーを19年前に始めて現在に至る話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
          • カウントダウンでも渋谷駅周辺での飲酒禁止 渋谷区 | NHKニュース

            東京・渋谷区は、渋谷駅周辺で年越しのカウントダウンが行われることを受けて、大みそかの夕方から元日の朝にかけて路上などでの飲酒を禁止することにしています。 渋谷区では、ことし、センター街などを中心に大勢の人で混雑する10月のハロウィーンの際に渋谷駅周辺の地域を対象に路上などでの飲酒を禁止する条例を制定し一定の効果を得ていて、この条例を年越しのカウントダウンのイベントでも適用するとしています。 条例が適用される時間帯は大みそか12月31日の午後6時から元日1月1日の午前5時までで、スクランブル交差点やセンター街など駅周辺の地域を中心に路上や公園、それに広場での飲酒を禁止します。 また、区はこの期間、コンビニエンスストアなどの事業者に対し酒の販売を自粛するよう要請しているほか、当日は職員が巡回し路上で酒を飲んでいる人を見つけた場合は飲酒をやめるよう指導するということです。 渋谷区は「渋谷のカウン

              カウントダウンでも渋谷駅周辺での飲酒禁止 渋谷区 | NHKニュース
            • カテゴライズされていない、上も下もない街「大森」 - SUUMOタウン

              著: 金井茉利絵 家族で最後に過ごした街「大森」 私が大森に住んでいたのは、小学1年〜中学3年まで。大森は母親の出身地でもあり、駅から徒歩15分ほどの母親の実家を建て直した一軒家に住んでいた。たまに家族で「ダイシン」に行ったり、駅ビルに昔あったパスタ屋さんで食べたり、大森貝塚の近くの塾に通って帰りは母親が迎えに来たりと、今思うとちょうどいい大森ライフを幸せに送っていた時代だった。 ただ、中学3年のころ、家族の事業に問題が起きてお金がなくなり、家も土地も売ることになり、家族で引越しすることに。さらにその後いろいろあって、家族4人で仲良く暮らしていたのはその大森の家が最後となってしまった。 そんなことがあった大森なので、自分にとっては少し切ない、最後の家族の思い出がある場所ではある。でも実はなぜか大森に行っても特に何も感じないし、「うわー」と何か悲しい思い出し方をしたりする感じは全然ない。いつ

                カテゴライズされていない、上も下もない街「大森」 - SUUMOタウン
              • 上新庄、淀川、東南の角部屋|岸政彦 - SUUMOタウン

                著: 岸政彦 わたしはこれまでにあったすべてのことがこれからもありつづけるだろうこと、これからあるだろうすべてのことがこれまでにもつねにあったことを、閃光のようにさとったんだ ──ウィンストン・ナイルズ・ラムファード 大阪と猫のことに関しては、これまでさんざんあちこちで書いてきた。だから、ここでこれから書くことも、たぶんすでにどこかで書いたことばかりで、「この話どこかで読んだことがあるぞ」と思うような話ばかりになるだろう。でもそれも仕方がない、ひとりの平凡な男の人生に、書く価値がある物語がそれほどたくさんあるわけがないのだから。だからここでも同じ話を書く。 実家がとにかく嫌だった。子どものころから、家のなかで会話ができる相手が犬(当時はまだ珍しかったミニチュアシュナウザー、名前は「エル」)と猫(拾った黒猫、名前は「ねこ」)しかいなかった。 大学を受験することになった。 生涯ひとびとの人生の

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                • 「若者の街」は原宿から下北沢に?盛り上がりを見せるカルチャーの街シモキタ

                  サブカルの聖地、古着の街、演劇の街、音楽の街、カレーの街......と様々な異名を持つ下北沢。再開発もあって、今若者を中心に賑わいを見せている。一方で、「若者の街」としても知られる原宿はコロナ禍で閉店するショップが続出したほか、街へ集う人も減少傾向にあり、流行の発信地としての側面は陰りを見せている。様々な分野で「若者の〇〇離れ」と言われる中、下北沢が支持される理由は?原宿のトレンドを発信してきたストリートスナップ誌「TUNE」の元編集長としての経歴を持ち、現在セレクト&ヴィンテージショップ「メニュー(MENEW)」を下北沢に構え、下北沢近辺に約20年間住んでいるという「ノントーキョー(NON TOKYO)」のディレクター中川瞬氏に街の変遷と下北沢の魅力を聞いた。 中川氏が下北沢近辺に住み始めたのは2002年頃。1970年代頃から「サブカルの聖地」とも言われていたこともあり、劇場やライブハウ

                    「若者の街」は原宿から下北沢に?盛り上がりを見せるカルチャーの街シモキタ
                  • 大阪の自転車利用環境を調べて考えてみた[長柄橋北詰編]|酢水

                    「大阪ってめちゃくちゃ自転車が多いけど、めちゃくちゃマナー悪いな〜」と思ったので、実際に交通量と交通マナーを調べてみました。 調べるうちに「マナーの悪さは、乗り手の問題よりも道路の構造が原因では…?」と思ったので、交差点の危険箇所や自転車の特性ついて考えてみました。 はじめに大阪市内で自転車中心の暮らしを始めて約6年。 日々、大阪の自転車の多さは全国的トップレベルだなあ、と感じています。 大阪の中心地である梅田や難波でも至る所で多数の自転車を目にします。 土地柄なのか、よくおばちゃん・おばあさんに話しかけられるのですが、「⚫︎⚫︎(5km以上離れた場所)から自転車で来たわ〜」と言う70代の方もいれば、「毎日自転車に乗って買い物に来てるのよ〜」と笑顔で話す90歳近い方もいるなど、年齢を問わず市民の生活の足として自転車が馴染んでいます。 そんな自転車の多さと同時に、自転車のマナーの悪さも非常に

                      大阪の自転車利用環境を調べて考えてみた[長柄橋北詰編]|酢水
                    • おそらく最初で最後の貴重な「静まりかえった世界中の都市」の環境音を録音家が収集&公開中

                      私たちの日常は通常、車の走行音、飛行機が飛ぶ音、電子的なアナウンスなどにあふれていますが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でロックダウンが行われた都市は、他に類を見ないほど静まりかえっています。この数十年で最初で最後かもしれない貴重な「静まりかえった都市の環境音」が世界中の録音家によって収集され、公開されています。人の気配がない町に時折響く鐘の音、人工的なアナウンス、鳥の鳴き声などは、終末後の世界を想像させるとともに、どこか心落ち着くものとなっています。 Hear the Soundscapes of Cities Transformed - Atlas Obscura https://www.atlasobscura.com/articles/changing-sound-of-cities 映画・テレビ・ゲーム・アプリ・ラジオのために世界中で「音」を採取・録音している

                        おそらく最初で最後の貴重な「静まりかえった世界中の都市」の環境音を録音家が収集&公開中
                      • アフターコロナ世界はどう変わるのか、9つの視点|Noritaka Kobayashi, Ph.D/小林慎和

                        2020年4月18日現在、連日、世界のコロナウイルス 関連ニュースを読み漁っています。まさに朝から晩まで。 今日、日本の感染者は1万人を超えました・・・ついに大台に来てしまいました。スタートアップの経営者として、今回の危機をどのように捉え、それにどう立ち向かっているか、立ち向かうべきか。毎日考えに考えています。 今日は、我々社会人は、どうアフターコロナに備えていけば良いのか。それを書いてみたいと思います。 コロナ危機はいつまで続くのか?結論としては、最低でも2021年夏まで。そう思っています。2021年の東京オリンピックの開催も難しい。私はその予測で動いています。 その結論に至る最大の根拠は、「ワクチンの一般普及の時期」です。 今回のウィルスで最も厄介なことは、「潜伏期間の長さと、無症状感染者の存在」です。 この特性がある以上、ワクチンがない中で、一旦新規感染者の増加が小さくなったとしても

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                        • 僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの

                          僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの今年、「東京の生活史」プロジェクトを始動する社会学者・岸政彦さん。「よくあるイメージ」を壊して、「普通の大阪」や「普通の沖縄」を描くような仕事をしてきた彼が描く東京とは。 「東京の存在を、ずっと忘れて生きていたんですよね」 50歳近くなって、その社会学者は、東京という街と「出会い直した」と言う。 大学進学を機に、大阪へ移り住んだ。大学院で調査のフィールドに選んだのは沖縄だ。観光で沖縄を訪れ、ハマっていった。20年以上経った今も、沖縄の階層格差や沖縄戦の記憶に、人々の語りを通じて向き合う。 社会学者・岸政彦さんは今年、「東京の生活史」プロジェクトを始動する。耳を傾けるのは、今、東京に暮らす人々の語りだ。100人程度の語りを収録することを目指している。 東京に生きる「普通の人」の語りが聞きたい。岸さんは、こう口にする。「普

                            僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの
                          • 「新宿」ビックリするほど激変する再開発の全貌

                            渋谷の次は新宿だ。「世界一の駅」をめぐる再開発計画の全貌が見えてきた。 東京都内における再開発の主役はおよそ10年周期で入れ替わる。2000年代は六本木ヒルズ、東京ミッドタウンを主軸とした六本木エリアが主役だった。 2010年代の主役は渋谷駅周辺エリア。2012年開業の渋谷ヒカリエを皮切りに、昨年11月には渋谷駅直上に高さ約230メートル、地上47階建ての渋谷スクランブルスクエア東棟、12月には東急プラザ跡地に地上18階建ての渋谷フクラスが開業した。さらに今年に入ると1月に銀座線の渋谷駅に新駅舎が誕生、6月には山手線から遠く離れた場所に位置していた埼京線ホームが山手線ホームと並列化し、利便性が大幅に改善された。 新宿駅地下に東西を結ぶ自由通路が完成 その渋谷駅に続き変貌を遂げようとしているのが、2020年代の主役になるであろう新宿駅エリアだ。今年7月、新宿駅地下に東西を結ぶ自由通路が完成し

                              「新宿」ビックリするほど激変する再開発の全貌
                            • 青春と大人、あるいは上野と秋葉原の間で。モラトリアムと御徒町(文:淺野義弘) - SUUMOタウン

                              著者: 淺野義弘 住んでいる場所を聞かれたとき、最寄りじゃない駅名で答えている。「御徒町」と言うより、「上野と秋葉原の間」と答えたほうが、相手に伝わりやすいからだ。3年前、不動産屋に連れられてやってきた僕にとっても、「御徒町」は正直言って、あまりピンとこない地名だった。 そもそも、2022年現在「御徒町」という住所は存在しない。1964年に行政上の区分が変更され、それまで「御徒町」と「仲御徒町」だった地名が「台東」や「上野」になったそうだ。だから、今となってはなんとなくこの辺かな?という認識をみんなが持ち合わせている、ふわっとしたエリアなのだ。 地名の由来は、江戸時代に下級武士である「御徒(おかち)」が住んでいたことにあるという。JR御徒町駅の東側には宝飾品店が並んでいるが、これは浅草寺をはじめとした寺院で扱う仏具や、吉原などの歓楽街で需要のある贈答品を作る職人が多くいたことの名残らしい。

                                青春と大人、あるいは上野と秋葉原の間で。モラトリアムと御徒町(文:淺野義弘) - SUUMOタウン
                              • 僕の大好きな埼玉文化圏の象徴首都、池袋。その溢れんばかりの魅力 - 今夜はいやほい

                                僕は池袋が好きだ。毎週末予定がなければ必ず池袋にいる 日曜日、目がさめるととりあえず二度寝をする。微睡みから抜けてきたら、スマホでツイッターなどを一通り見る。そのあと、特に何をするでもない虚脱の時間を1時間ほど挟み、体の細胞たちの50%が起きたなという時点でようやく起床する。体は自然と池袋へ。ほとんど習慣化されているといっても過言ではない。池袋に着いたらまずジュンク堂へ向かう。 池袋駅からジュンク堂へいくには、西武百貨店を抜けていく必要があるのだけれど、小腹が減っていれば味咲きでたい焼きを買う。ここのたい焼きは本当においしい。 小倉クリームチーズをよく買う。モチモチで品のある甘さだ。毎日おやつに食べたいくらい好きである。 たい焼き屋なのにいつも店の前に2〜3人が並んでいる。列をなす人々に、心の中で、味咲きの素晴らしきたい焼きを手に入れる喜びを分かち合う同志たちよ!という賛辞を送る。たい焼き

                                  僕の大好きな埼玉文化圏の象徴首都、池袋。その溢れんばかりの魅力 - 今夜はいやほい
                                • 酒飲みの街、京成立石。再開発とそこでの生活(文・田中鈴) - SUUMOタウン

                                  著: 田中鈴 京成立石は懐かしい音がした。 改札を出てまっすぐ階段を下りると、商店街が現れてカーンカーンカーンカーンとけたたましく鳴る踏切が出迎えた。走り去る電車を追いかけるように今度はカンカンカンカンと倍速で鳴り始めると、反対側の電車が通り過ぎていく。 商店街は、子どもを後ろに乗せたたくさんの自転車が行き交っていて、お店の人とお客さんの声も聞こえる。昼から飲んでいたのだろう酔っぱらった大人たちの叫び声もアーケード内でよく響く。 そんな京成立石。2028年には高層マンションが建つらしい。 京成立石が苦手だった 京成立石に越してきたのは、21歳のころ。高校を卒業後、「3年で辞める」と決心して入社した食品販売の仕事をぴったり3年で辞めて、もう私は自由だった。 親元を離れて一人暮らしをしようか、どこか海外にでも行こうか。いっそのこと、どこか遠くで生活してみるのはどうか、と考えてから、職も決めずに

                                    酒飲みの街、京成立石。再開発とそこでの生活(文・田中鈴) - SUUMOタウン
                                  • アニメの街はこうして作られる!宮崎駿、細田守監督作品のロケハンで美術監督・大野広司さんが体験したこと - 住まいのお役立ち記事

                                    必要であれば海外にも赴く。アニメ制作におけるロケハンの中身とは? ――アニメの背景美術の元になった土地にファンが足を運ぶ行為が、近年では「聖地巡礼」という言葉でクローズアップされることも多いです。それくらい、実在する場所を参照しつつアニメの背景美術を作られることが多いのかなと思うのですが、アニメの制作時にはほぼロケハンがあると考えてもよいのでしょうか? 大野広司さん(以降、敬称略):いえいえ、ない方が多いですよ。現地に足を運ばずとも資料は集められますし、最近はインターネットで見られるものも多いですからね。例えば、Production I.Gが制作していたテレビシリーズの『シュヴァリエ~Le Chevalier D’Eon~』という、フランス革命の時代を舞台にした作品に関わったときも、ヴェルサイユ宮殿へ実際には行っていないんです。 ただ、そうした状況で作ると資料の限界で描ける構図が限られてし

                                      アニメの街はこうして作られる!宮崎駿、細田守監督作品のロケハンで美術監督・大野広司さんが体験したこと - 住まいのお役立ち記事
                                    • 離婚後、町田で私は「一人でも大丈夫」と思えるようになった|文・吉玉サキ - SUUMOタウン

                                      著: 吉玉サキ 離婚しても、私たちは相変わらず町田で遊んでいる 離婚してそろそろ一年になる。 私は2015年から町田の団地に住んでいる。町田といっても、町田駅から近いわけではない。どこの駅からも遠い、日当たりのいい部屋だ。 離婚後は夫がこの家を離れ、私は引き続き住み続けることになったため、部屋の名義を夫から私に変更した。ここ数年、家賃は私が払っていた。というか、夫は働いておらず、生活費はすべて私が払っていたので、名義が私でないことが不思議なくらいだった。 離婚しても町田に住み続けるのは、単純に、町田とこの家が好きだからだ。洗濯物を干すときに、ベランダから丹沢山地の稜線(りょうせん)が見えるのが好き。団地内を歩いていると、お散歩中の保育園児の列とすれ違うのが好き。団地はペット禁止のはずなのに、広場には犬の散歩をしている人がたくさんいるのが好き。 私はここが好きで、ここで過ごした日々が好きだか

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                                      • 街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン

                                        著: むらたえりか 行きたいときに行きたい場所に確実にたどり着ける。 そんな私にとっての「自由」を教えてくれたのは、大学入学から25歳で上京するまで住んでいた街・仙台だった。 自転車で駆け巡った仙台の「道」 仙台のことを考えるといつも並木道ばかりが思い出される。もともとは江戸時代に伊達政宗公の意向により街に緑が増え、明治時代には「森の都」と呼ばれたそうだ。その後一度は空襲で消失してしまうものの、復興などを経て現在は「杜(もり)の都・仙台」として親しまれている。そんな歴史から、繁華街・郊外問わず仙台には大きな街路樹が多い。 今年は少ないと聞いたが、秋になると銀杏並木の下には足の踏み場もないほどたくさんの銀杏の実が落ち、足の踏み場もないので踏んでしまう。学生のころには、友達とくさいくさいと大げさに騒ぎ笑いながら仙台駅までの道を急いだ。 仙台市の中でもいくつかの街に住んだが、大学時代の大半を過ご

                                          街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン
                                        • 西荻の街が好き過ぎて「西荻案内所」を運営していた夫婦が語る西荻窪の魅力とは【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

                                          西荻窪の魅力を発信すべく、2013年から2016年にかけて西荻窪駅周辺をボランティアで案内するスペース、その名も「西荻案内所」を運営していた奥秋圭・亜矢夫妻に、古さと新しさが混在する西荻窪の紹介をしていただいた。 偶然と必然が生んだ西荻窪での新生活 今回、西荻窪を案内してくれる奥秋夫妻の出身地は、デザイナーである圭さんが山梨県、そしてディレクターの亜矢さんが愛媛県。どちらかが、あるいはお二人ともが地元民だと勝手に想像していたのだが、全然違った。 西荻窪とはまったく関係ないところで生まれ育ち、それぞれが東京にある別の大学へと進学し、卒業後に共通の趣味である演劇を通じて出会ったという間柄。 そんな二人が、なぜ「西荻案内所」を運営することになったのだろうか。まずは西荻窪に移り住んだ理由から伺ってみた。 在りし日の西荻案内所、2016年4月頃。写真提供:奥秋圭 奥秋圭さん(以下、圭):「上京してか

                                            西荻の街が好き過ぎて「西荻案内所」を運営していた夫婦が語る西荻窪の魅力とは【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
                                          • 地形と暗渠で読み解く谷中・根津・千駄木の本5冊【街を読む】(寄稿・三土たつお) - SUUMOタウン

                                            著: 三土たつお 知っているはずの街も、書物を通して見るとまた違った景色が広がるかもしれません。新企画「街を読む」では、毎回一つの街やエリアを軸に、選者の方に独自の観点から書籍をご紹介いただきます。初回となる今回は、ライター三土たつおさんの「地形と暗渠(あんきょ)から谷根千を読み解く5冊」をお届けします。 谷中・根津・千駄木。隣接するこれら三つの地域は、近年「谷根千」という愛称で親しまれている。実際に訪れた人のなかには、その下町風情を残した街並みに惹かれたという方も多いのではないだろうか。 しかし、谷根千の魅力は地形や土地の歴史をひもといていくことで、よりはっきりと見えてくるかもしれない。このエリアの過去と現在、そして未来予想などが描かれたいくつかの本のなかから探ってみたい。 谷根千の特徴は地形にあり?『まち歩きガイド東京+』 『まち歩きガイド東京+』(TEKU・TEKU著、学芸出版社)

                                              地形と暗渠で読み解く谷中・根津・千駄木の本5冊【街を読む】(寄稿・三土たつお) - SUUMOタウン
                                            • 「青森・八戸」の郷土料理を味わう、1泊2日の旅。魚介がおいしいお店や市場を巡る

                                              投稿者 : トラベル ライター、投稿日 2020 年 1月14日 「青森・八戸」の郷土料理を味わう、1泊2日の旅。魚介がおいしいお店や市場を巡る 土地それぞれに、“ならでは”の味あり。私の旅の楽しみ方は、「その土地で愛されてきた食べもの」を訪ね、味わう。これに尽きます。 こんにちは、各地のローカルフードや郷土メシを愛するライター、白央篤司(はくおうあつし)と申します。今回はJR東京駅から新幹線で最速2時間44分、青森県の東部にある、八戸市を旅してきましたよ。 太平洋に面する八戸は、港町として栄えてきました。海の幸に恵まれ、個性ある食文化が今も根付いています。 繁華街がギュッとまとまっていて、飲食店を周りやすいのも嬉しいところ。青森・八戸の郷土メシを巡る1泊2日の旅、しばしお付き合いください。 本八戸に到着。地元の人におすすめされた居酒屋で、八戸の魚介に舌鼓 今回は、八戸駅に夕方ごろ着くよう

                                              • 遊郭の石碑、撤去か保存か「負の歴史」「貴重な資料」再整備で歌舞練場は今夏取り壊し 京都・橋本地区|社会|地域のニュース|京都新聞

                                                京都府八幡市橋本地区で、遊郭にまつわる石碑の扱いを巡って市民の間で意見が分かれている。遊郭の存在を「負の歴史」ととらえて石碑の撤去を求める住民がいる一方、「貴重な歴史資料」と保存を求める声もあるためだ。一帯の再整備を計画する市は地元自治会の意向を受けて撤去する方針で、生乾きの歴史とどう向き合うのか、市民に波紋を広げている。 石碑は「養神(ようしん)」と大書され、高さは約170センチ。1922(大正11)年に建てられた「旧歌舞練場兼芸娼妓(げいしょうぎ)慰安余興場」の敷地内にあった。歌舞練場は戦後、アパートなどに転用されてきたが、隣接する京阪橋本駅前の整備を八幡市が計画したことに伴って今夏に取り壊された。現在は養神碑だけが残されている。 市は整備にあたって、予定地一帯にある石碑などの扱いについて地元自治会に希望を聞いた。その結果、明治元年の行政区画整備で消えた「橋本」の地名が28(昭和3)年

                                                  遊郭の石碑、撤去か保存か「負の歴史」「貴重な資料」再整備で歌舞練場は今夏取り壊し 京都・橋本地区|社会|地域のニュース|京都新聞