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通州事件の検索結果1 - 40 件 / 60件

  • アパホテル書籍で言及された「通州事件」の歴史事実

    <アパホテルが中国から批判されているが、問題の書籍では南京大虐殺の否定と並んで通州事件の陰謀説が説かれている。近年「歴史戦」という言葉が取り沙汰されるが、そもそも通州事件とは何か。そして私たちは歴史戦をどのように理解すればいいのか。『通州事件』の著者、広中一成さんに聞いた> 事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。 ――藤誠志『本当の日本の歴史 理論近現代史学』より(客室設置の書籍について | 【公式】アパグループ) 日本のホテルチェーン、アパグループが中国から批判されている。いわゆるネット炎上事件

      アパホテル書籍で言及された「通州事件」の歴史事実
    • 「通州事件」ユネスコ記憶遺産に申請へ つくる会「世界に知ってほしい」 中国人部隊の邦人200人殺害 - 産経ニュース

      国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は11日、2017年の記憶遺産登録を目指し、日中戦争の発端となった盧溝橋事件直後に200人以上の日本人が中国側に殺害された「通州事件」の資料をユネスコに申請すると発表した。 通州事件は1937年7月29日、北京東方の通州で日本人が中国人部隊に襲われた事件。申請する資料は、東京裁判に提出された証言や外務省の抗議声明などの公的文書のほか、当時の新聞の号外なども予定している。同会は「通州事件が忘れられている現状を意識的に変えなければならない。広く世界に知ってほしい」と訴えている。 記憶遺産の登録審査は2年に1度行われ、申請できるのは1国2件まで。ユネスコの国内委員会はすでに2017年の登録候補2件を公募の上で選定しており、それぞれ申請者である自治体などが来年3月に

        「通州事件」ユネスコ記憶遺産に申請へ つくる会「世界に知ってほしい」 中国人部隊の邦人200人殺害 - 産経ニュース
      • 通州事件 - Wikipedia

        元々、1933年5月の塘沽協定で日中の軍事衝突を避けるための非武装地域が設けられ、双方の軍隊は立ち入りを禁止され、治安維持は中国側の警察部隊が担うことになっていた。そのため、保安隊は主に日本軍を避けて満洲から逃れてきた漢人や馬賊たちが採用され、これらは俗に「雑軍」と呼ばれていた。[10][11] 冀東防共自治政府は、なおも華北への影響力拡大を狙う日本の華北分離工作によって樹立されたものであった[8]。早稲田大学を卒業した親日派の殷汝耕を中心に1935年11月25日、通州で自治宣言を発表し、12月には自治政府として活動を始め、自治政府保安隊2個隊が設置された[8]。国民党政府はこの冀東自治政府に対抗して冀察政務委員会(冀察政府)(委員長:宋哲元)を設置した[8]。 冀東防共自治政府保安隊は、日本軍の支那駐屯軍から派遣された将兵により軍事訓練が施された治安部隊であり、教導総隊及び第一、第二、第

          通州事件 - Wikipedia
        • 百田尚樹 on Twitter: "そうです!中国人は昔からやります。日本人にはない特性です。 RT @Ksmagic52: 通州事件で被害にあった方々の写真が南京大虐殺の証拠としてでっちあげられたのは有名な話です。犯人は蒋介石国民党軍。遺体を陵辱するなどの行為は支那人特有のものですね。"

          そうです!中国人は昔からやります。日本人にはない特性です。 RT @Ksmagic52: 通州事件で被害にあった方々の写真が南京大虐殺の証拠としてでっちあげられたのは有名な話です。犯人は蒋介石国民党軍。遺体を陵辱するなどの行為は支那人特有のものですね。

            百田尚樹 on Twitter: "そうです!中国人は昔からやります。日本人にはない特性です。 RT @Ksmagic52: 通州事件で被害にあった方々の写真が南京大虐殺の証拠としてでっちあげられたのは有名な話です。犯人は蒋介石国民党軍。遺体を陵辱するなどの行為は支那人特有のものですね。"
          • 「通州事件」日本などの民間団体がユネスコ記憶遺産に登録申請

            反日活動の阻止を目指す「なでしこアクション」(山本優美子代表)など民間団体は3日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産への2017年の登録を目指し、「慰安婦と日本軍規律に関する文書」と、日中戦争の発端となった盧溝橋事件直後に200人以上の日本人が中国側に殺害された「通州事件」の資料などを期限までに申請したと発表した。 「慰安婦」資料は日米の公文書など。日本枠2件は選定済みだが、複数国の共同申請は枠外でできるため米国在住日本人・日系人団体となでしこなどで申請。通州事件は「20世紀中国大陸における政治暴力の記録」として「通州事件アーカイブズ設立基金」(藤岡信勝代表)がチベット亡命政府前議員と共同申請。「慰安婦は性奴隷という誤解を解きたい」「政治利用ではなく一次資料を登録したい」などとしている。

              「通州事件」日本などの民間団体がユネスコ記憶遺産に登録申請 
            • ネトウヨくんに贈る「通州事件」講座 改

              あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4 「南京事件は30万人も殺してないから、虐殺事件なんかなかった」というネトウヨは、同じ年に起きた「通州事件」は「婦女を含む日本人ら223名が殺された大虐殺事件だ、日本人なら絶対に忘れるな」と訴える。@ndoro4 あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4 1945年まで続いた慰安婦制度のことを「いつまで昔のことをしつこく蒸し返してやがるんだ、いい加減にしろ」と罵倒するネトウヨが、1937年の「通州事件」は、忘れるな、教科書に載せろ、中国の蛮行を許すなと、まるで昨日の事件のように叫ぶ。@ndoro4 あざらしじいさんアンチヘイト泥憲和 @ndoro4 慰安婦のことでは「謝罪もすみ、償い金も渡したのにいつまでこだわってんだ」というネトウヨが、相手政府の公式謝罪も受け、賠償金も受け取り、遺族も納得している通州事件だと、70年以上たっても

                ネトウヨくんに贈る「通州事件」講座 改
              • 歴史修正主義者の通州事件認識 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                通州事件に関しては以前、いろいろ調べた上で巷間言われているような猟奇的な集団虐殺ではなく、南京事件をはじめとする他の虐殺事件と同様の軍民虐殺であることを記事にしました。通州事件の歴史的な意義は、日本が対中全面戦争に突入するにあたっての国内向け反中プロパガンダに利用されたという点くらいで、虐殺事件そのものとしては特筆して取り上げる価値はあまりありません。 もし、通州事件を虐殺事件として歴史教育で取り上げるなら、平頂山事件や南京事件はもちろん、陽高事件、廠窖虐殺事件に至るまで取り上げなければバランス感覚に欠けると言えます。 バランス感覚に欠けた歴史修正主義者にとっては、通州事件は中国を非難するための便利な道具でしかありませんから特筆して誇張して何度も何度も叩きます。 一方で、真面目な研究者にとっては、通州事件を詳細に調べる動機があまりなく*1、結果としてネット上では適当な通州事件プロパガンダが

                  歴史修正主義者の通州事件認識 - 誰かの妄想・はてなブログ版
                • 日本も対抗するように本気で通州事件を映画化するべきかもしれないね - 法華狼の日記

                  ユネスコ記憶遺産に南京事件資料が登録されたことを受けて、そこここで話題になっている通州事件。中国人の軍隊による日本人の虐殺ということで、あたかも相殺できるような主張もされている。 たとえば登録発表の直前、日本会議支部のブログに下記のような主張が掲載されていた。後半の主張など、登録後の日本政府の行動にもうりふたつ。 http://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12081752968.html*1 今回の捏造記憶遺産申請が通った場合、日本は「通州事件」を世界記憶遺産に登録申請するべきです。 いや、是非ともそうしていただきたい。 支那がいかに残虐であったか、捏造ではなく本当の事実を世界に知らしめるべきなのです。 「チベット虐殺」、「ウィグル虐殺」、「文化大革命」、「天安門事件」など支那が引き起こしてきた事件は、数えあげれば枚挙にいとまがありません。 むこう

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                  • 通州事件の政治利用の始まり - 誰かの妄想・はてなブログ版

                    通州事件に関する情報が通州外に届いたのは、7月29日正午ごろ日本軍偵察機による報告が最初と見られます。しかし、29日中は航空機のみの情勢把握が行われただけで、ある程度の詳細が知れるのは翌30日午前1時半ころの通州城内の日本軍守備隊との通信によってです。 この通信も無線通信で情報量には限界があり、そもそも日本軍守備隊が兵営から出られない状況でしたから、居留民の被害についてはほとんどわかりませんでした。 居留民被害について明らかになるのは7月30日の夜明け以降で、通州外部からの救援が到着するのは30日午後4時になってからです。 報道機関が被害状況を現地取材したのは8月2日以降で、取材結果が報道されたのは8月4日以降です*1。 通州事件の詳細がまだ報道されていなかった8月2日、以下のような通信が上海の日本大使館付武官から発せられました。 通州事件其他に関する報道の件 【 レファレンスコード 】

                      通州事件の政治利用の始まり - 誰かの妄想・はてなブログ版
                    • 10月7日のハマスによるイスラエル攻撃って、つまり「通州事件」だろう。 - 読む・考える・書く

                      イスラエルがガザ地区で行っている残虐な殺戮行為について、まるで10月7日のハマスによるイスラエルへの大規模攻撃がその原因であり、イスラエルが行っているのは自衛権の行使、せいぜい過剰防衛程度のものであるかのような言説が日本も含む西側諸国の政府やマスコミによって繰り返されている。 しかし、これは1948年のイスラエル「建国」以来延々と続けられてきたパレスチナの人々への迫害・追放・殺戮の歴史を無視した暴論でしかない。 イスラエルがパレスチナの人々からどれほどの土地を奪ってきたかは、下の図を見れば一目瞭然だろう。 画像出典:ISRAEL & PALESTINE: THE MAPS TELL THE TRUE STORY もちろんその過程では、ありとあらゆる虐待・殺戮・嫌がらせが行われてきた。 東エルサレムの街中で民間人にスタングレネード浴びせるイスラエル軍と、それが顔に当たって顎を骨折した聴覚障害

                        10月7日のハマスによるイスラエル攻撃って、つまり「通州事件」だろう。 - 読む・考える・書く
                      • 通州事件関連エントリー - 誰かの妄想・はてなブログ版

                        通州事件の歴史的な意味は、日本が日中戦争にまい進していくにあたっての国民動員のためのプロパガンダとして利用されたという点にあります。正当性のない中国侵略を、どうして日本国民が支持したのか、というのは歴史研究の重要な論点ですが、(軍部の責任が大きいのは言うまでもないですが)昨今ではメディアの責任についても研究が進んでいます。その意味では通州事件は歴史学上、どのようにプロパガンダに利用されたかという点に重点が置かれています。 一方で通州事件をメディアとの関連ではなく、事件そのものとして研究した成果というのは、少なくともネット上ではあまり見かけません。軍事史学会などで通州事件関連の論文もありますが、日本軍がなぜ居留民を守れなかったかというのが主眼になっており*1、事件そのものについては踏み込んだ研究がされていません。 通州事件そのものの存在については、否定するものはまずいませんので、「利用される

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                        • 通州事件85周年、専門家に聞く“悲惨な歴史”との向き合い方(高口康太) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                          1937年7月29日、中国で多くの日本人が命を落とした通州事件が起きた。一時は日本でも“忘却”されていた歴史だが、85周年を迎えた今、“再発見”され、多くの注目を集めている。関連書籍の出版が相次ぐほか、ツイッターでも記念日当日にトレンド入りするなど、関心を集めている。 二次大戦中のプロパガンダが21世紀日本の歴史認識にも影響を与えている。 そう警鐘をならすのは、『増補新版 通州事件』(志学社、2022年)を出版した、愛知学院大学の広中一成准教授。悲惨な事件だったからこそ、冷静に事実と向き合うべきと強調している。 写真は広中一成准教授(本人提供) 通州事件と傀儡政権――まず、通州事件とはどのような事件だったのかについて教えてください。 広中一成: 1937年7月29日、北京市に隣接する通州で、多数の日本人が殺害された事件を指します。当時、通州には大日本帝国によって作られた「冀東政権(きとうせ

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                          • 通州事件の記憶遺産登録は日本にとってヤブ蛇ですが : 戦争を語るブログ

                            2015年12月14日21:02 通州事件の記憶遺産登録は日本にとってヤブ蛇ですが カテゴリ歴史修正主義南京事件 manfor Comment(0)Trackback(0) 中国で南京事件の追悼式典。 今年は、南京事件資料のユネスコ記憶遺産登録があったにもかかわらず前年より地味におこなわれ、さらに日本に気を使ったのか、習近平以下最高指導部は出席を見合わせたという。 一方。 「南京」で検索すると、「否定派」の冒涜発言ばかり出てくるのがインターネットの日本語圏だ。 なんにせよ、まず死者に敬意を表すのが人の道だと思うが、日本のネット右翼にそういう心ある反応をまったく期待できないところが凄い。 ある者は「30万も殺されなかった」と憤り、別の者は「虐殺はまったくなかった」とまでうそぶく。 加害側の子孫が被害国に対して、本気で怒っているのだ。 (人間として、どこかずれてる) しかし真相はどうあれ、戦闘

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                            • 邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触(1/2ページ)

                              日中戦争(1937〜45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織に離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也) ◇ 通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。 共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「

                                邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触(1/2ページ)
                              • 無残……日本人虐殺の「通州事件」はなぜ起こってしまったのか?――生き残った記者が激白する地獄の現場 | 文春オンライン

                                戦慄!凄惨!血に飢え、たけり狂った冀東軍の200名の日本人居留民虐殺事件を当時同盟記者として生き残った筆者が発表 初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「通州の日本人大虐殺」(解説を読む) 「通州に何事か起きた!」立ち上る黒煙に”冀東保安隊の寝返り” 昭和12年7月29日。北平(今の北京)の城壁の上に立った市民は東方、城門の向うに、ウッスラ白煙の動くのを見た。やがてそのうす煙りは、黒いかたまりとなり、一条の大きな円柱を作って高くのぼっていった。北平の東で目ぼしい所といえば、まず、30キロ程の先の通州である。通州に何事か起きた! 市民はすぐにそう直感したことであろう。それほど北支は、日本軍と宋哲元軍の衝突の結果蘆溝橋事件とか広安門事件とか続出の騒然たる物情であった。通州の異変と判断しても、それがどんな状況や真相なのか、その朝、北平の日本人で誰も分ったものは1人として

                                  無残……日本人虐殺の「通州事件」はなぜ起こってしまったのか?――生き残った記者が激白する地獄の現場 | 文春オンライン
                                • 北平近郊における通州事件直前の日本軍による虐殺事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                  「日本人は差別されているという右翼の言い分もまた、きちんと聞かなければならないということだな」*1と言われたからではありませんが、主に南京事件否定派が「中国人による日本人虐殺」と大騒ぎしている通州事件について、これまで結構調べてきました。 今回調べたのは、通州事件当時、通州近郊の状況はどうだったかのか、と言う点。 軍事行動については通州事件/通州(通県)起義の背景に記載しましたが、それ以外の部分です。なお、通州事件の際に通州だけではなく、順義でも保安隊の反乱が起こっていたと言う記述が寺平忠輔氏の「盧溝橋事件」にありますが、これ以外では見かけません。これについては要調査というところです。 さて、調べてみると、日本軍は北京包囲の態勢を作る過程で進行路上の住民を少なからず殺害していることがわかります。 1937年7月27日 大興区 大興区は北京南方にあり、総攻撃時の主戦場となった南苑のすぐ西南部

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                                  • 通州事件/通州起義 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                    通州事件は、1937年7月29日に起きた冀東防共自治政府所属の保安隊が国民政府側に起って反乱を起こした際、通州城内に居住していた日本人・朝鮮人の民間人を殺害した事件です。犠牲者数は200人強で、大虐殺と言って構わないレベルですが、通州事件の5年前に起きた平頂山事件(犠牲者数:400〜3000人)*1や通州事件の5ヵ月後に起きた南京事件(犠牲者数:数千人〜数十万人)に比べると小規模な事件と言えます。 中国側では、通州起義あるいは通州反正と呼び、日本の傀儡政府の下から起ち上がって、日本の侵略軍と戦うために中国軍に参加した、と言った肯定的な評価をしています。 日本側は民間人が虐殺されたことのみを強調し前後の状況を無視する一方、中国側は日本の侵略に際し傀儡軍であることに甘んじず立ち上がったことを強調しその際に生じた民間人犠牲者については無視しています。 日本側、特に右翼やネトウヨなど歴史修正主義者

                                      通州事件/通州起義 - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                    • どうして通州事件なら構わないのか - 煙

                                      ようやく、元テキストを読んだうえでの議論ができるようにになった。 そのうえで、最初に私の立場を表明しておくと、町山氏の「彼でなければダメだった テリー・ジョージ監督の賭けに見事に応えたドン・チードル」の最終部、「隣人を守れるか」という命題は「ホテル・ルワンダ」の主題の一部をなすこともので、町山氏が勝手に作り上げたものでないことは疑いないと考える。 そのうえで最後の一行については「あってもいいんじゃない」程度の感慨で、特にこの主張を支持するというほどのものではない。この意味で私は木走氏の立場に近い。したがって、町山氏のテキストに違和感を持つ人がいても不思議はないと思うし、そのことを否定したりはしない。 しかし、finalvent氏のエントリ http://d.hatena.ne.jp/finalvent/comment?date=20060304§ion=1141473634#c には正直驚

                                        どうして通州事件なら構わないのか - 煙
                                      • この記述で「通州事件」をどうやって教えるのだろう? - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                        通州事件を記載した教科書が出たということでネトウヨらは大喜びしていましたが、 反日的な記述残り  ロシア革命も肯定的 2011.3.30 21:31 (2/3ページ) 一方、「1937年7月末には、北京東方の通州で、200人の民間日本人が親日政権の兵隊に惨殺される、通州事件がおこった」(自由社)と、日本側の民間人被害を加えた教科書もある。 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110330/edc11033021330011-n2.htm 正直言って、この記述を授業でどう説明するのかよくわかりません。 「親日政権」ではなく「傀儡政権」の方が適切だとは思いますが、事実関係としては間違ってません。ただ、「民間日本人が親日政権の兵隊に惨殺される」とだけ読んでも、意味がわからないのではないか、と思うんですよね。まじめにこの記述を読んだ学生はまず「なんで親日政権の兵隊

                                          この記述で「通州事件」をどうやって教えるのだろう? - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                        • 「憲兵物語」における通州事件と冀東暴動 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                          コメント欄でid:smtz8さんに御教示いただいた点についてです。 ネトウヨおなじみの通州事件は1937年7月29日に起きた事件ですが、この事件とは別に「冀東暴動」という事件が1938年7月に起きています。通州事件のほぼ1年後です。森本堅吉氏の「憲兵物語」では通州事件と冀東暴動が混同されていますが、前後の記述を読む限り同書中の記載はほとんどが1938年の「冀東暴動」を指しており、1937年の通州事件のことではないことがわかります。 114ページに、 冀東暴動のとき、冀東政府最高顧問の細木原特務機関長は、中国要人との宴会から帰って、着替えの間もなく殺され、つづいて日本人二百人以上が惨殺された。 とあり(「細木原」は「細木」の誤記として)、この説明はどう考えても通州事件を指しているのですが、その他の場所で「冀東暴動」と呼んでいる事件では通州事件とは別個の事件を指しています。 どうも、森本氏がこ

                                            「憲兵物語」における通州事件と冀東暴動 - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                          • 通州事件/通州(通県)起義の背景 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                            通州事件/通州起義の続き。 通州事件直前までの話です*1。 北平総攻撃の準備行動 一般的に盧溝橋事件直後は(北支限定での)対中戦争については日本政府が積極的であり、軍部は消極的だったとも言われます。郎坊事件、広安門事件などの中国側からの挑発の結果、やむなく攻撃した、的な主張です。しかし、実際には郎坊事件にせよ広安門事件にせよ、日本軍側の挑発行為と言える側面があります。 例えば郎坊事件ですが、郎坊駅は中国側第29軍の支配下にあり、日本軍部隊が立ち入るには中国側の許可を必要とする場所でした。7月25日、日本軍は電線修理の名目で郎坊に部隊を派遣し、それには中国側も許可を出していますが、日本軍が派遣したのは一個中隊200人で電線修理の規模ではありませんでした。しかも電線修理は夜中になっても終わらず、日本軍は中国側に宿舎の提供を要求し、それがこじれた結果、武力衝突に至っています。日本側は電線修理の名

                                              通州事件/通州(通県)起義の背景 - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                            • どすこい隊長 on Twitter: "初めて知ったのだが、日中戦争のときの旧日本軍が行った、南京大虐殺ってなかったんだって。なんか中国人が日本人虐殺した通州事件が南京大虐殺とすり替えられたらしい。まぁ今思えば30万人の人一気に殺せる訳ないやん。 原爆投下とか大空襲しない限り。これもアメリカの罠だって。詳しくはネットで"

                                              初めて知ったのだが、日中戦争のときの旧日本軍が行った、南京大虐殺ってなかったんだって。なんか中国人が日本人虐殺した通州事件が南京大虐殺とすり替えられたらしい。まぁ今思えば30万人の人一気に殺せる訳ないやん。 原爆投下とか大空襲しない限り。これもアメリカの罠だって。詳しくはネットで

                                                どすこい隊長 on Twitter: "初めて知ったのだが、日中戦争のときの旧日本軍が行った、南京大虐殺ってなかったんだって。なんか中国人が日本人虐殺した通州事件が南京大虐殺とすり替えられたらしい。まぁ今思えば30万人の人一気に殺せる訳ないやん。 原爆投下とか大空襲しない限り。これもアメリカの罠だって。詳しくはネットで"
                                              • 2冊の『通州事件』 - Apeman’s diary

                                                今年は通州事件と題する書籍が2冊(歴史修正主義者によるものを除いて)刊行されました。 -広中一成『増補改訂版 通州事件』、志学社、2022年7月 -笠原十九司『通州事件 憎しみの連鎖を絶つ』、高文研、2022年9月 広中版『通州事件』は2016年に星海社新書として刊行されたものの増補改訂版です。新書版が本文3章とコラム2つからなっていたのに対し、増補改訂版は4章「通州事件被害者家族の戦後」が加えられ、コラムも2つ増えています。また「資料編」として遺族2名へのインタビュー、および『東京新聞』が遺族を取材した記事2本が収録されています。 両者の共通点として、(あたりまえでしょうが)近年歴史修正主義陣営が通州事件を反中国キャンペーンに利用している状況を強く意識していることがまずあります。笠原版のサブタイトル、また広中版の帯に記された「恨みを恨みで返すのは、もうやめようー」という謳い文句がそのこと

                                                  2冊の『通州事件』 - Apeman’s diary
                                                • 自虐史観検証プロジェクト 第1回は「通州事件」 13日からニコニコ動画で

                                                  戦後、日本人に植え付けられた自虐史観を検証するプロジェクトがスタートする。日本の心を大切にする党の和田政宗政調会長と、拓殖大学の藤岡信勝客員教授らが、ニコニコ動画のチャンネルで、慰安婦問題や南京事件、日本共産党などに切り込むという。第1回の13日は、1937年に中国で200人以上の日本人が虐殺された「通州事件」に迫る。 「プロジェクトでは、自虐史観の根幹となった6項目、36章のテーマを3年かけて深掘りする。若者から高齢者まで理解できるよう、戦後レジームを網羅的かつ分かりやすく検証していく」 メンバーの1人である、論破プロジェクトの藤井実彦氏はこう語った。 第2次世界大戦後、日本人はGHQ(連合国軍総司令部)によって「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」を施され、贖罪意識を植え付けられた。いまだに、一部のメディアや識者、国民は洗脳されたままで、情報操作の片棒を担いでい

                                                    自虐史観検証プロジェクト 第1回は「通州事件」 13日からニコニコ動画で
                                                  • 通州事件から学ぶべきこと

                                                    7月29日は、日本人のみならず、人類史として決して忘れてはならない「通州事件(つうしゅうじけん)」が起こった日です。 事件が発生したのは、昭和12(1937)年7月29日のことです。 ねずブロでこの事件を最初にご紹介したのは、平成21(2009)年6月のことですが、当時この事件について知る人は、限られたごく一部の人たちだけでしたし、事件そのものについても、名前を聞いた事があるくらで、それがいなかる非道行為であったかについてまで知る人は、ほとんど稀という情況でした。 いまは、かなりの人がこの通州事件の惨劇についてご存知のこととなっていますが、消された歴史を暴き、また二度と日本のみならず世界の人類史上繰り返す事があってはならない事件として、この事件は、もっと多くの人に、日本の常識、世界の常識として知っていただかなくてはならない、まだまだ拡散し続けなければならない事件であると思っています。 この

                                                    • 保阪正康×広中一成「歴史に埋もれた中国兵による日本人虐殺“通州事件”を書いた理由 」#1 | 「戦争」を書く | 文春オンライン

                                                      戦後72年。かの戦争体験の声が次第に聞けなくなっている今、証言者たちの“孫世代”の中に、声を拾い、研究を深め、表現をする人たちがいる。 1978年生まれの研究者・広中一成さんは、1937年に日中戦争の中で起きた「通州事件」を再検証し一冊の本にまとめた。日本人居留民ら225人が殺害された大事件は、なぜ日中の歴史認識に翻弄され、忘れられたのか――。 昭和史研究の第一人者・保阪正康さんとともに、この事件を今、改めて問い直す意味を語り合っていただいた。 広中一成(愛知大学非常勤講師) ◆ 保阪 今年で日中戦争が始まってから80年を迎えます。しかし、日本と中国の歴史認識を巡る争いはいまも続いています。特に1937(昭和12)年12月の「南京事件」は、犠牲者数を巡る議論やそもそもそのような事件は存在しなかったとする主張もあり、議論の的となっています。 一方、南京事件の向こうをはった中国人の残虐性を象徴

                                                        保阪正康×広中一成「歴史に埋もれた中国兵による日本人虐殺“通州事件”を書いた理由 」#1 | 「戦争」を書く | 文春オンライン
                                                      • 【拡散希望】通州事件を忘れるな(2)

                                                        通州事件については、以前、ねずブロでも当時の模様を掲載させていただきました。 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-535.html そして以下にお示しするのは、実際に現場にいてこれを体験した方の手記です。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 【通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)・日本人皆殺しの地獄絵】 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100730/p1 大東亜戦争のきっかけのひとつになったともいわれる「通州事件」です。 通州の日本人居留民は、日本軍守備隊の留守をねらった支那の保安隊、学生によって、世界の残虐史上類例を見ないほどの残虐行為を受け、虐殺されました。 支那人達は、殺した日本人に対して一片の同情も哀れみもなく、屍体までもいたぶった。 ようやくかけつけた日本軍がそこで見たものは、言語に絶する惨状でした。

                                                        • 憎しみの連鎖は絶てるのか 日本人虐殺「通州事件」をどう見る | 毎日新聞

                                                          「通州事件」をご存じだろうか。日中戦争開始直後の1937年7月、中国人が日本人居留者らを殺害した事件である。この事件について、日本軍が多くの中国軍民を殺害するなどした「南京大虐殺」(南京事件)研究の第一人者で都留文科大名誉教授の笠原十九司さん(78)が今夏、遺族への聞き取りを基に著書「通州事件 憎しみの連鎖を絶つ」(高文研)にまとめた。二つの虐殺事件から何が見えるのか。笠原さんに聞いた。【聞き手・吉井理記】 ――「通州事件」は37年7月29日、日本が中国北部(華北)を影響下に置くために樹立させた傀儡(かいらい)政権「冀東(きとう)防共自治政府」(冀東政権)の保安隊の中国人が反乱を起こし、北平(現在の北京)の東にあった都市・通州の日本軍守備隊や日本人、朝鮮人の居留民ら二百数十人を虐殺した事件です。なぜこの事件を? ◆2017年に「日中戦争全史」(高文研)を出したのですが、通州事件で父母と2歳

                                                            憎しみの連鎖は絶てるのか 日本人虐殺「通州事件」をどう見る | 毎日新聞
                                                          • 【今日は何の日】通州事件を忘れるな(閲覧注意)【覚悟を決めた人はシェア】

                                                            以下は、<出典>しらべかんが著『天皇様は泣いてござった』の書き起こしで、ねずさんのひとりごとからの転載です。 冒頭部分は、通州事件に至るまでの(事件を目撃した者の)エピソードが続きます。 時代背景も踏まえ、ご覧ください。 【Sさんの体験談】 私は大分の山の奥に産まれたんです。 すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。 それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。 そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。 小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。 それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思って

                                                              【今日は何の日】通州事件を忘れるな(閲覧注意)【覚悟を決めた人はシェア】
                                                            • 残虐目を覆う通州事件

                                                              孫・・・通州事件って何ですか。 私・・・通州事件というのはね、蘆溝橋事件から三週間 後の七月二十九日に、北京の近くの通州で起きた中国 兵による大規模な日本人虐殺事件で、二百数十名の日 本の子女達が、見るも無残に虐殺された事件だよ。 孫・・・へー、そんなことがあったんですか、そこに日 本軍は居なかったんですか。 私・・・居たことはいたんだ。しかし偶々守備隊の大部 分が別の場所へ戦闘に行っていて、通州にはごく僅か の留守部隊しか残っていなかった。通州には親日的な 殷汝耕氏を委員長とする自治委員会が昭和十年十一月 から出来ていて、中国の保安隊も形の上ではその隷下 にあったわけだから、日本軍も或る程度安心していた のではないかな。それが日本軍の手薄を知って突然寝 返ったわけだ。 孫・・・飼い犬に手を咬まれたというところですね。 私・・・飼い犬とまでは行かなかったかも知れないが、 とに角多勢に無勢、

                                                              • 通州事件/通州(通県)起義の経過 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                                                なかなか本筋に入れず、3回目に突入。 1回目:通州事件/通州起義 2回目:通州事件/通州(通県)起義の背景 - 誰かの妄想・はてな版 今回ようやく本筋の通州事件に入ります。 まず、事件の時系列を簡単に見てみましょう。参考としたのは寺平忠輔氏の「盧溝橋事件」と安藤利男記者の「虐殺の巷通州を脱出して」(アジア歴史資料センター:B02030917700)、生存者緒方一策氏*1に対する朝日新聞の取材記事(1937年8月4日)などです。 事件発生 当時通州城内にいた関係者を示しておきます。 冀東政府(殷汝耕ら) 冀東保安隊(張慶余ら) 日本軍守備隊(辻村憲吉中佐、山田正大尉、藤尾心一中尉ら) 領事館警察(浜田末喜ら) 特務機関(細木繁中佐、甲斐厚少佐ら) 7月29日午前2時半 冀東保安隊が反乱を起こして、まず襲撃したのは首席殷汝耕のいた冀東政府です。この冀東政府関係建物の制圧はほとんど抵抗を受けず成

                                                                  通州事件/通州(通県)起義の経過 - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                                                • 「通州事件」「慰安婦の真実」を世界記憶遺産に 日米民間団体などが申請

                                                                  日米の民間団体などが、正しい歴史を後世に残すために立ち上がった。中国で日本人多数が惨殺された「通州事件」の記録と、旧日本軍が慰安婦を適正に処遇していたことを示す資料を、来年の世界記憶遺産登録を目指して、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に申請したのだ。 申請したのは、通州事件は「新しい歴史教科書をつくる会」など、慰安婦は「なでしこアクション」や米国の「日本再生研究会」などのメンバー。3日、文科省で記者会見して発表した。 通州事件は1937年7月、中国人部隊が、日本人居留民380人のうち、223人を殺した大量虐殺事件。当時の新聞は「無残 累々たる死屍(しし=死体)」「虐殺、掠奪(=略奪)、破壊、鬼畜の乱舞」などと悲惨さを伝えている。 今回申請された通州事件の記録は、新聞記事や関係者証言など18点で、つくる会の藤岡信勝副会長(拓殖大客員教授)は「人類が記憶すべき負の遺産だ」と語った。 慰安婦の申

                                                                  • 200人以上の日本人居留民が中国人部隊などに虐殺された…「通州事件」から80年、集会に300人参列「事件をユネスコ『世界記憶』に」

                                                                    日中戦争開始直後の1937年7月、中国・北京郊外の通州(現・北京市通州区)で200人以上の日本人居留民が中国人部隊などに虐殺された「通州事件」の発生から80年に当たる29日、犠牲者の慰霊と事件の記憶を目的とした集会が東京都内で開かれ、約300人が参加した。 出生前に父と叔母が殺された加納満智子さん(79)は、被弾して破損した父の日記帳を公開し、事件の凄惨さを伝えた。加納さんを身ごもっていた母も背中を撃たれたが、奇跡的に助かったという。

                                                                      200人以上の日本人居留民が中国人部隊などに虐殺された…「通州事件」から80年、集会に300人参列「事件をユネスコ『世界記憶』に」
                                                                    • 通州事件に関する日本側証言は正確か?(Sさんの体験談) - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                                                      「Sさんの体験談」というのは、佐賀県基山町の僧侶調寛雅(しらべ かんが)氏(2007年1月死去)がタイで設立した慧燈財団*1による本「天皇さまが泣いてござった」に掲載された通州事件の目撃者というSさんという女性の証言です。本自体が手に入らないため、ネット上への引用を信頼して記述します。 この「天皇さまが泣いてござった」という本については以下のように説明されています。 調前理事長が著し、平成9年11月に上梓されたこの本は、前半部分が先の大戦によって日本が蒙った被害について書かれており、後半部分は主に、調前理事長の自坊である因通寺 (佐賀県)に戦後開設された戦争罹災孤児引揚養護施設「洗心寮」を昭和天皇が行幸された時のことについて著された本です。 調氏は学徒出陣した経験を持ち、終戦直後に実家の佐賀県因通寺で戦災孤児を養護しています。その後1989年になってタイ北部に訪れ、日本兵の遺骨収集やタイの

                                                                        通州事件に関する日本側証言は正確か?(Sさんの体験談) - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                                                      • finalvent氏のコメント‥関東大震災は異なるが、通州事件は同じらしい - 煙

                                                                        ブックマーク煙 - 町山智浩氏のパンフ所収文章を全文転載します で目に留まったコメント 2006年03月04日 finalvent 『締めは、「中国でも通州事件の日本人虐殺からまだ百年経っていないのだ。」としたいところ。』 ‥つまり、ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる が、通州事件とルワンダ虐殺は異ならない、ということらしい。 通州事件についてはhttp://www.geocities.jp/yu77799/tuushuu/tuushuu1.htmlがわかりやすい。 一部転載 江口圭一氏「十五年戦争研究史論」より 補論 通州事件について 中国の抗日は日本の侵略にたいする反撃であり、正当・当然であるからといって、通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない。しかし通州事件の評価・位置づけには少なくとも以下の三点への留意が必要である。

                                                                          finalvent氏のコメント‥関東大震災は異なるが、通州事件は同じらしい - 煙
                                                                        • 中国の日本人虐殺「通州事件」 鼻に針金通し青竜刀で体抉る

                                                                          戦後70年、中国は自らが犯した戦争犯罪をひた隠しにしてきた。その一つが、多数の在留邦人が虐殺された「通州事件」だ。残されたわずかな記録からその封印を解く。 その凄惨な事件は、日中が本格的な軍事衝突を始めた盧溝橋事件(*注1)直後の1937年7月29日、北平(現在の北京)近郊の通州で発生した。 【*注1/1937年7月7日、日本軍と中国の国民党軍の間で起きた武力衝突事件。中国共産党軍が事件を誘発させたとの説が有力となっている】 当時、満州国と隣接する中国・河北省には、蒋介石の国民党政府から独立し日本人が実質統治していた「冀東(きとう)防共自治政府」が置かれていた。自治政府は九州と同程度の面積で、人口はおよそ700万人。「首都」である通州には400人近い日本人が暮らしていた。自治政府の首班は、日本への留学経験もあり、日本人の妻を持つ親日派の殷汝耕(いんじょこう)。通州には邦人保護を目的とする日

                                                                            中国の日本人虐殺「通州事件」 鼻に針金通し青竜刀で体抉る
                                                                          • 通州事件ほか - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

                                                                            職業系・宗教系ネット右翼のバカどもによって「通州事件(通州虐殺)」のトンデモ言説がweb世界を走っているので、はてなキーワードに登録する。 通州事件 〔略〕一方、〈蘆溝橋事件が起きると〉華北では日本軍は七月三〇日までに北平・天津を占領した。その間の二九日冀東政権の保安隊が反乱を起こし、中国民衆も加わって、日本人居留民二二三名を惨殺する通州事件〈原補足〉が発生した。 〈原補足〉保安隊は関東軍飛行隊に兵舎を誤爆されたことに憤怒して反乱したといわれる。また中国民衆は通州を拠点とする【日本のアヘン・麻薬密売の盛行】にたいして憤激を爆発させ、報復した〔23〕。この事件は日本国民の敵愾心をあおるために利用された。 〈原注〉 〔23〕信夫清三郎「通州事件」『政治経済史学』二九七号、一九九一年。 以上、出典;江口圭一『十五年戦争小史』青木書店、1991年。125p。 http://www.amazon.c

                                                                              通州事件ほか - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
                                                                            • 日本人200人超虐殺の通州事件 中国指摘する南京事件と酷似

                                                                              日本に対して、「歴史の直視」を訴える中国政府の急所は、自国の歴史認識に他ならない。1937年に北京郊外で発生した通州事件と1946年に吉林省で発生した通化事件。いずれも多くの日本の民間人が虐殺されたが、中国共産党は、現在に到るまで隠蔽し続けている。戦後70年の今年、中国は戦勝国としての「面子」と「立場」を盛んに強調するが、自国の戦争犯罪を検証できない国に未来はないとジャーナリストの櫻井よしこ氏は指摘する。 * * * 今年に入って中国が、日本に対して次々と「歴史カード」をきってきています。最近では、虐殺の事実を確認できない南京事件の犠牲者を「40万人」とまで言い始め、「日本兵の残忍さ」を世界中に宣伝しています。3月21日の日中韓外相会談でも中国の王毅外相は日本の岸田文雄外相に「歴史を直視せよ」と述べ、安倍政権を厳しく牽制しました。 しかしこの言葉は、中国にこそ向けて発せられるべき言葉だと、

                                                                                日本人200人超虐殺の通州事件 中国指摘する南京事件と酷似
                                                                              • 【衝撃事実】日本人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動工作が判明! 中国での研究で明らかに / 正義の見方

                                                                                53 【衝撃事実】日本人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動工作が判明! 中国での研究で明らかに 2017年01月04日17:08 カテゴリ  支那(中国) http://www.honmotakeshi.com/archives/50370438.html【衝撃事実】日本人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動工作が判明! 中国での研究で明らかに 1: キドクラッチ(秋田県)@\(^o^)/ [ニダ] 2017/01/04(水) 09:55:38.63 ID:EUj3ck2z0 BE:194767121-PLT(12001) ポイント特典 日中戦争(1937~45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を 受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日

                                                                                  【衝撃事実】日本人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動工作が判明! 中国での研究で明らかに / 正義の見方
                                                                                • <書く人>恨みを乗り越える 『通州事件 憎しみの連鎖を絶つ』 都留文科大名誉教授・笠原十九司(とくし)さん(78):東京新聞 TOKYO Web

                                                                                  日中戦争の当初に中国で、日本人と日本統治下の朝鮮人、二百数十人が、中国人に虐殺された。悲劇が起きた場所から「通州事件」と呼ばれる。当時の報道機関は中国人の残虐さを強調して戦意をあおった。今でも、右派の論客が過去の戦争を正当化するために事件を持ち出すことがある。 笠原さんも「虐殺はけして許されることではない」と思う。でも、嫌中の文脈で事件を語ることに両国の未来はあるのか。そこで同書でたどったのが、すでに高齢の被害者の娘二人が「中国人への憎しみを絶つ」に至る戦後の歩みだった。 通州は北京の東にある都市で、当時は「冀東(きとう)防共自治政府」と呼ばれる、日本が親日の中国人に首班を担わせたかいらい政権が支配していた。虐殺に手を染めたのは、同政府の警察組織で、中国人の隊員らでつくる「保安隊」だった。

                                                                                    <書く人>恨みを乗り越える 『通州事件 憎しみの連鎖を絶つ』 都留文科大名誉教授・笠原十九司(とくし)さん(78):東京新聞 TOKYO Web