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日中戦争の検索結果1 - 40 件 / 59件

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日中戦争に関するエントリは59件あります。 戦争歴史軍事 などが関連タグです。 人気エントリには 『日中戦争無視されすぎ問題』などがあります。
  • 日中戦争無視されすぎ問題

    この時期にいつも思うのは、日中戦争が無視されすぎてるということ。 この時期は太平洋戦争の開戦判断ばかりに注目が集まってしまうし、一部の人が言う「先の戦争」って表現は太平洋戦争のことだし。 そして太平洋戦争勃発を境に日本が大きく変わったかのような表現が目立つ。 そりゃ大きく変わったのは事実だけど、ずっと前から変わっていたんじゃねーの? 1937年7月 盧溝橋事件 1937年12月 南京戦 1938年4月 国家総動員法公布 ここから既に国内の人材・物資徴発が始まっていたわけで、いわゆる戦時下体制で内閣は挙国一致内閣。 マスコミは1937~1941年にもっとスポットあてるべき。 日中のどっちが正しいかとかそういうのはいらんから、なぜ立ち止まれなかったのかを考える材料を提供してほしい。

      日中戦争無視されすぎ問題
    • 日中戦争の軍拡と、人材劣化の話

      みなせ ★某A産業リクルーター @Ton_beri 日中戦争前において、陸軍は17個師団23万人を常設舞台としていました。 これが日中戦争開戦に伴い、34個師団に増加します。 1938年における累計動員数は73万人であり、一気に規模を3倍に拡大させます。 これはそのまま、質の低下を意味しました。 twitter.com/paya_paya_kun/… 2020-07-18 10:57:09 ぱやぱやくん @paya_paya_kun しかし戦争末期の1943~45年になると兵隊不足から近所の八百屋の親父や、ひ弱な人、知的障碍の人を徴兵し、訓練期間も大したことなく連隊に編入して戦場に送り込んでいたそうです。そのため、行軍中にキツくて手榴弾で自殺をしてしまう兵卒も珍しくなかったそうです。(続く) 2020-07-17 13:30:57

        日中戦争の軍拡と、人材劣化の話
      • 日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞

        1939年、日中戦争の従軍中に撮影された小林太郎氏の写真(8月8日、京都市北区・立命館大国際平和ミュージアム) 日中戦争に約2年間従軍した男性の日記が、遺族から立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に寄贈された。中国軍の敗残兵や農民を殺害した「加害の日常」を淡々とした筆致で書き残しており、ミュージアムは「普通の市民だった末端の日本兵が、罪の意識もなく残虐な行為に及んでしまう戦争の恐ろしさを伝えている」としている。 京都市伏見区に司令部があった陸軍第16師団第9連隊に歩兵一等兵や上等兵として所属した小林太郎氏=1972年に61歳で死亡。37年8月に召集されて39年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わった。出征当時は27歳で、京都市左京区に本籍があり、前年に日本大学工学部を卒業していた。 日記は縦23センチ、横19センチで厚さ6センチ。従軍中のメモを帰国後にまとめたとみられ、

          日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞
        • ロードランナー様 on Twitter: "ウクライナ侵攻に関して日中戦争の話はよくされるけど、日清戦争があまり引き合いに出されないのはなんで?歴史知識が乏しいのでこういうところがよくわからないんだ。"

          ウクライナ侵攻に関して日中戦争の話はよくされるけど、日清戦争があまり引き合いに出されないのはなんで?歴史知識が乏しいのでこういうところがよくわからないんだ。

            ロードランナー様 on Twitter: "ウクライナ侵攻に関して日中戦争の話はよくされるけど、日清戦争があまり引き合いに出されないのはなんで?歴史知識が乏しいのでこういうところがよくわからないんだ。"
          • 日中戦争の旧日本軍には「略奪マニュアル」があった “強盗”指南も | 毎日新聞

            1937年に始まった日中戦争で中国大陸に侵攻した旧日本軍は、現地住民の食料などを奪う行為を繰り返していた。大本営直属の経理部門「野戦経理長官部」は、39年3月に「支那事変ノ経験ニ基ク経理勤務ノ参考(第二集)」という冊子を発行した。そこには事実上の「略奪マニュアル」と言える内容があり、民衆が隠した物資をどのように発見するかの「コツ」が記されていた。 冊子の一項目「住民ノ物資隠匿法ト之ガ利用法」には、次のような内容が書かれている。「前方にレンガの壁を設け、その後方の家屋や倉庫などの全体を覆い隠していることがある。この場合には壁を破壊する必要がある」。また「銀行の倉庫には抵当物として食料その他が発見されることがある」と「銀行強盗」を促すような内容もある。 当時は戦地の兵士たちに日本国内から十分な物資が補給されず、食料は現地で手に入れる「現地自活」の方針が取られていた。資料からは、末端の兵士の判断

              日中戦争の旧日本軍には「略奪マニュアル」があった “強盗”指南も | 毎日新聞
            • バナナみっくす on Twitter: "@article_97 そこで日中戦争 普通は首都抑えたら勝ちだよな? 国際法上で でも、南京制圧したら蒋介石は首都を重慶に変えた スポーツで例えたら日本がホームラン打ったら、中国がホームベース掘り起こして持ち去ったってところだ めちゃくちゃだろ"

              @article_97 そこで日中戦争 普通は首都抑えたら勝ちだよな? 国際法上で でも、南京制圧したら蒋介石は首都を重慶に変えた スポーツで例えたら日本がホームラン打ったら、中国がホームベース掘り起こして持ち去ったってところだ めちゃくちゃだろ

                バナナみっくす on Twitter: "@article_97 そこで日中戦争 普通は首都抑えたら勝ちだよな? 国際法上で でも、南京制圧したら蒋介石は首都を重慶に変えた スポーツで例えたら日本がホームラン打ったら、中国がホームベース掘り起こして持ち去ったってところだ めちゃくちゃだろ"
              • 日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と(京都新聞) - Yahoo!ニュース

                日中戦争に約2年間従軍した男性の日記が、遺族から立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に寄贈された。中国軍の敗残兵や農民を殺害した「加害の日常」を淡々とした筆致で書き残しており、ミュージアムは「普通の市民だった末端の日本兵が、罪の意識もなく残虐な行為に及んでしまう戦争の恐ろしさを伝えている」としている。 【写真】日記を残した小林太郎氏 京都市伏見区に司令部があった陸軍第16師団第9連隊に歩兵一等兵や上等兵として所属した小林太郎氏=1972年に61歳で死亡。37年8月に召集されて39年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わった。出征当時は27歳で、京都市左京区に本籍があり、前年に日本大学工学部を卒業していた。 日記は縦23センチ、横19センチで厚さ6センチ。従軍中のメモを帰国後にまとめたとみられ、ほぼ毎日の軍事行動を記録している。剣や銃で殺害された中国兵の写真、トーチカ(防御

                  日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と(京都新聞) - Yahoo!ニュース
                • 「そう遠からず日中戦争が勃発する」「経済は即死状態、餓死者・戦死者も多数」...台湾有事の「瀬戸際」にいる日本と明らかになった「アメリカの限界」(週刊現代) @gendai_biz

                  「そう遠からず日中戦争が勃発する」「経済は即死状態、餓死者・戦死者も多数」...台湾有事の「瀬戸際」にいる日本と明らかになった「アメリカの限界」 これから何が起こるのか、過去から何が学べるのか。説明抜きでタモリが言った言葉は、時代の空気を掬っていたからこそ話題となった。終戦から78年のこの夏、私たちの地点を見つめ直す試みとしての特別対談。 2つめの記事『日本には新しい「民間主導の戦争論」が必要だ...「右派も左派も理屈がおかしく、いつまでもまともな安全保障を議論しない」日本社会の問題点』より続く。 保坂正康(ほさか・まさやす)/1939年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『昭和の怪物 七つの謎』『ナショナリズムの昭和』ほか著書多数 白井聡(しらい・さとし)/1977年東京都生まれ。政治学、社会思想研究者。京都精華大学国際文化学部准教授。著書『永

                    「そう遠からず日中戦争が勃発する」「経済は即死状態、餓死者・戦死者も多数」...台湾有事の「瀬戸際」にいる日本と明らかになった「アメリカの限界」(週刊現代) @gendai_biz
                  • 「日本は負ける」…日中戦争が始まったとき、既に日本の敗北を“予見”していた若き海軍兵学校生徒がいた(神立 尚紀) @gendai_biz

                    今年もまもなく「終戦の日」がやってくる。終戦から76年もの歳月が経ち、体験者の話としてこんにち伝わるのはどうしても大戦末期の話題が主になる。だが、原因のないところに結果がないように、大戦末期のことだけを見て「戦争」を語るのは無理がある。戦前、戦中の史料や証言の掘り起こしは、今後ますます大切になってくるだろう。 ――終戦からさかのぼること8年、昭和12(1937)年の支那事変(日中戦争)勃発直後、すでに戦争の先行きについてはっきりと悲観的な所感を日記に記した一人の海軍兵学校生徒がいた。彼はその後、戦闘機パイロットとなり、無謀な戦争への疑問を抱きながらも最前線で戦い、27歳の若さでガダルカナル島上空で戦死した。本人が遺した日記と、遺族や部下だった人の証言から、そんな一人の若者の戦いを振り返る。 宮野善治郎の日記 筆者の手元に、昭和9(1934)年から13(1938)年にかけての二冊の古い日記帳

                      「日本は負ける」…日中戦争が始まったとき、既に日本の敗北を“予見”していた若き海軍兵学校生徒がいた(神立 尚紀) @gendai_biz
                    • Sonota on Twitter: "これを日中戦争時の中国人がやったら天文学的賠償額になり、とてもじゃないが賠償しきれないので中国も放棄せざるを得ないことを日本はやったんだけど、そこにつけ込んで侵略を否定するくずの多いこと。 https://t.co/73ci01Y0Qi"

                      これを日中戦争時の中国人がやったら天文学的賠償額になり、とてもじゃないが賠償しきれないので中国も放棄せざるを得ないことを日本はやったんだけど、そこにつけ込んで侵略を否定するくずの多いこと。 https://t.co/73ci01Y0Qi

                        Sonota on Twitter: "これを日中戦争時の中国人がやったら天文学的賠償額になり、とてもじゃないが賠償しきれないので中国も放棄せざるを得ないことを日本はやったんだけど、そこにつけ込んで侵略を否定するくずの多いこと。 https://t.co/73ci01Y0Qi"
                      • 笠原十九司『日中戦争全史』

                        Author:だい 大阪・神戸で、日本軍「慰安婦」問題のことを考え、行動しています。 もりナビ(守口から平和と民主主義を考える会)、みんナビ(みんなで考えよう「慰安婦」問題)の主宰者。「慰安婦」問題を考える会・神戸、子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会のメンバー。

                          笠原十九司『日中戦争全史』
                        • 東條のと@African Kung Fu Nazis公認サポーターVTuber on Twitter: "中田敦彦のYouTube大学で学んだこと ・国民党と共産党が清朝を打倒しようと動いていたところに日本が攻め込んできて日中戦争だか日清戦争だかになった ・関東軍は満洲事変で張作霖を爆殺した ・満洲事変は日本が中国本土へ侵略するための… https://t.co/WnZ1Kr2rY6"

                          中田敦彦のYouTube大学で学んだこと ・国民党と共産党が清朝を打倒しようと動いていたところに日本が攻め込んできて日中戦争だか日清戦争だかになった ・関東軍は満洲事変で張作霖を爆殺した ・満洲事変は日本が中国本土へ侵略するための… https://t.co/WnZ1Kr2rY6

                            東條のと@African Kung Fu Nazis公認サポーターVTuber on Twitter: "中田敦彦のYouTube大学で学んだこと ・国民党と共産党が清朝を打倒しようと動いていたところに日本が攻め込んできて日中戦争だか日清戦争だかになった ・関東軍は満洲事変で張作霖を爆殺した ・満洲事変は日本が中国本土へ侵略するための… https://t.co/WnZ1Kr2rY6"
                          • 石平太郎 on Twitter: "海外に住む中国人がツィッターでアップした一枚の写真、日中戦争中の中国某所、村人のお婆さんはごく自然な笑顔で、日本兵たちにお茶を振る舞っている。中国共産党と日本の左翼のプロバガンダでは、日本兵が中国で殺戮と放火と強奪の限りを尽くした… https://t.co/AxIUwcWb6O"

                            海外に住む中国人がツィッターでアップした一枚の写真、日中戦争中の中国某所、村人のお婆さんはごく自然な笑顔で、日本兵たちにお茶を振る舞っている。中国共産党と日本の左翼のプロバガンダでは、日本兵が中国で殺戮と放火と強奪の限りを尽くした… https://t.co/AxIUwcWb6O

                              石平太郎 on Twitter: "海外に住む中国人がツィッターでアップした一枚の写真、日中戦争中の中国某所、村人のお婆さんはごく自然な笑顔で、日本兵たちにお茶を振る舞っている。中国共産党と日本の左翼のプロバガンダでは、日本兵が中国で殺戮と放火と強奪の限りを尽くした… https://t.co/AxIUwcWb6O"
                            • 日中戦争に従軍した祖父

                              ※過去の記憶を頼りに書いているため、情報の正確性を保証できません。それを了承の上でお読みください。 前置きを飛ばしたい場合は引用ブロック部分へ 今は亡き私の祖父は、日本軍兵士として末期の日中戦争に従軍した。 約10年前、祖父は私にその時の詳細を一度だけ語った。 第二次世界大戦が終わって75年、その話を自分の記憶がこれ以上劣化しないうちに書き留めておく。 ・祖父…1920年12月生まれ、1944年頃〜1945年従軍、体験を語った当時90歳(認知機能正常) ・私 …1990年生まれ、話を聞いた当時21歳 私は幼い頃から祖父が中国へ戦争に行ったことを知っていた。 しかしそれ以上のことは何も知らないままだった。 大学2年のGW、私は両親、妹と共に父方の祖父母宅へ遊びに行った。 祖母と母が台所で食事の片付けをし、祖父、父、妹、私が居間で団欒していたその時だった。 祖父が何の前置きもなく、そして極めて

                                日中戦争に従軍した祖父
                              • 「日中戦争」と「大阪万博」は残念なほど似ている…日本人が「ぐだぐだ」「ダラダラ」を止められない根本原因 「旧日本軍的」な意思決定の正体

                                1937年から8年間にわたって続いた日中戦争は、悲惨な戦争だった。『後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線II』(角川新書)を刊行した愛知学院大学文学部の広中一成准教授は「だれも失敗の責任を取ることなく、ダラダラと戦争が続いてしまった。この傾向は、いまの日本社会にも引き継がれている」という。ルポライターの安田峰俊さんが聞いた――。 “忘れられた戦争”になった「後期日中戦争」 1937年7月の盧溝橋ろこうきょう事件で幕を開けた日中戦争は、なし崩し的に8年も続いた。歴史上、日本が一国を相手にこれだけ長期間の対外戦争をおこない続けた例はない。ただ、盧溝橋事件、南京事件、汪兆銘おうちょうめい政権成立……と、後世に知られるエピソードの大部分は前半の4年間に集中している。いっぽう、1941年12月に対英米開戦に踏み切って以降の中国戦線の状況は、世間でほとんど知られていない。 この「忘れられた戦

                                  「日中戦争」と「大阪万博」は残念なほど似ている…日本人が「ぐだぐだ」「ダラダラ」を止められない根本原因 「旧日本軍的」な意思決定の正体
                                • 信州戦争資料センター(まだ施設は無い…) on Twitter: "何のために日中戦争を8年も戦ったのか、ご存知の方はおられるでしょうか。いないはずです。だって、当時の日本軍だって政府だって考えてなかったんだから。実際に国会で問われても答えてないし、陸軍内でも目的不明のままでは国民理解が得られないって撤兵の提案まで出てる。"

                                  何のために日中戦争を8年も戦ったのか、ご存知の方はおられるでしょうか。いないはずです。だって、当時の日本軍だって政府だって考えてなかったんだから。実際に国会で問われても答えてないし、陸軍内でも目的不明のままでは国民理解が得られないって撤兵の提案まで出てる。

                                    信州戦争資料センター(まだ施設は無い…) on Twitter: "何のために日中戦争を8年も戦ったのか、ご存知の方はおられるでしょうか。いないはずです。だって、当時の日本軍だって政府だって考えてなかったんだから。実際に国会で問われても答えてないし、陸軍内でも目的不明のままでは国民理解が得られないって撤兵の提案まで出てる。"
                                  • 「日中戦争」と「大阪万博」は残念なほど似ている…日本人が「ぐだぐだ」「ダラダラ」を止められない根本原因 「旧日本軍的」な意思決定の正体 (4ページ目)

                                    ――ウクライナ戦争は日中戦争との類似点を感じます。侵略を受けた国のトップが、世界を味方につけて寝技で粘り続ける。「蒋介石=ゼレンスキー」説を提唱したくなりますが……。 かつての中国と、現在のウクライナの違いは国の大きさですよね。今回の場合はロシアの方が大きいですから、戦争が長く続くほど、物量でどうしてもロシアが有利になる。もっとも、一対一の戦いは限界があるので、世界を味方につけて戦う寝業師という点ではゼレンスキーと蒋介石は結構共通点があるかもしれません。 大阪万博にも共通する“日本社会の危うさ” ――日中戦争の教訓がもうひとつあるとすれば、戦略目的が曖昧なまま巨大事業に税金を注ぎ込み、微妙な結果を生んでしまうという構図の危うさではないでしょうか。 そうですね。戦術はあるけれど戦略はない。そして、失敗しても撤回できない。その理由は、撤回すると誰かが責任を取らなくてはならないからです。 日中戦

                                      「日中戦争」と「大阪万博」は残念なほど似ている…日本人が「ぐだぐだ」「ダラダラ」を止められない根本原因 「旧日本軍的」な意思決定の正体 (4ページ目)
                                    • 泥沼化する日中戦争で日本が繰り返した「自己正当化」

                                      戦前日本は1931年の満州事変という大きな転機を経て、日中戦争、そして破滅的な太平洋戦争へと突き進むことになる。その過程で旧日本陸軍が大きな役割を果たしたのは間違いないが、ではその「軍の暴走」の下地はどのように整えられたのだろうか。旧日本陸軍の「変貌」をたどってみよう。 一貫した戦争目的を欠いたまま、場当たり的に日本は対中・対米戦争に突き進んでいく(写真は1938年の中国戦線の日本軍)(Pictures from History/Gettyimages) 1937年に始まった日中戦争は、当初は局地紛争に過ぎなかった。日本政府も陸軍もこの紛争を全面戦争に発展させる意思はなかった。まして米国との全面戦争につながることを期待した人間はいなかった。なぜ多くの政治家や軍人の意思とは裏腹に、極東の小紛争は対米全面戦争へと発展していくのだろうか。 後追いで設定された戦争目的 戦争が政治行動である以上、そ

                                        泥沼化する日中戦争で日本が繰り返した「自己正当化」
                                      • <独自>日中戦争で幻となった万博入場券使用可能に 昭和15年の紀元2600年博

                                        2025年大阪・関西万博の入場について、昭和15年に予定されながら日中戦争の影響で開催されなかった「紀元2600年記念万博」の入場券の使用も認められることが11日、分かった。紀元2600年記念万博の前売り回数券は100万冊が販売され、大半が払い戻されたがその後も所有している人がいるため、日本での万博開催のたびに使用の可否が検討されてきた。 紀元2600年記念万博は、日本書紀に基づく日本建国から2600年の節目と、大正12年の関東大震災からの復興を世界にアピールしようと企画された。 東京・月島(現在の晴海)の埋め立て地を中心にした約150万平方メートルと、横浜・山下公園の約10万平方メートルを会場とする計画。想定来場者数は約4500万人で、大阪・関西万博が開かれる人工島・夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)の会場面積155万平方メートル、想定来場者約2820万人を上回る規模だった。 大阪・関西万

                                          <独自>日中戦争で幻となった万博入場券使用可能に 昭和15年の紀元2600年博
                                        • ゆう@小さな資料集 on Twitter: "余談。私の義祖父は、日中戦争に従軍しまして、その日記が残っています。弔事の席か何かで「故人の思い出」として配られたものであるそうです。義母に借りて読んでみて、驚きました。例えばこんな記述があるんですよね。"

                                          余談。私の義祖父は、日中戦争に従軍しまして、その日記が残っています。弔事の席か何かで「故人の思い出」として配られたものであるそうです。義母に借りて読んでみて、驚きました。例えばこんな記述があるんですよね。

                                            ゆう@小さな資料集 on Twitter: "余談。私の義祖父は、日中戦争に従軍しまして、その日記が残っています。弔事の席か何かで「故人の思い出」として配られたものであるそうです。義母に借りて読んでみて、驚きました。例えばこんな記述があるんですよね。"
                                          • GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方

                                            当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった 小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵は弱くて、すぐに逃げた」と言う話が今も記憶に残っている。 支那軍は陸軍兵士の数では世界最大規模であった。GHQ焚書の『北支事変』に他国と比較した数字が出ている。 陸軍常備兵力は、ソヴェット・ロシアが百六十万(歩兵八十五個師団、騎兵二十個師団)、それからずっと下って、フランスの六十万(植民地守備軍十九満を含む)であるのにくらべて、支那陸軍の二百二十五万、ほかに共産軍二十万余、合計約二百五十万とは何たる驚異的数字でありましょう。…中略…各地おしなべて六百種程度の税目にわたって、人民の財布から搾り上げていることは、いつわりのない事実であります。それでなくてはどう

                                              GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方
                                            • R・グループ@創作用(動画/ゲーム/漫画/小説 on Twitter: "歴史に学ぶ 問「武漢の事柄が原因で辞退したオリンピックはどこ?」 答「東京オリンピック」 1938年6月、日中戦争において、日本軍は武漢を攻略。7月、戦火拡大を理由に1940年に予定された東京オリンピックを辞退しました。"

                                              歴史に学ぶ 問「武漢の事柄が原因で辞退したオリンピックはどこ?」 答「東京オリンピック」 1938年6月、日中戦争において、日本軍は武漢を攻略。7月、戦火拡大を理由に1940年に予定された東京オリンピックを辞退しました。

                                                R・グループ@創作用(動画/ゲーム/漫画/小説 on Twitter: "歴史に学ぶ 問「武漢の事柄が原因で辞退したオリンピックはどこ?」 答「東京オリンピック」 1938年6月、日中戦争において、日本軍は武漢を攻略。7月、戦火拡大を理由に1940年に予定された東京オリンピックを辞退しました。"
                                              • 大塚英志未刊行小説「木島日記 うつろ舟」「北神伝綺」「北神伝綺 妹の力」発売中 on Twitter: "日中戦争下、出征する兵士への寄せ書きを古書店で見たのだが、女性たちのそれは華やかな少女画の模写で彩られ太宰の「女生徒」の如き口語体でまるでスポーツ大会の応援のような口ぶりでそのリアリティのなさや戦場に人を送るカジュアルさに「銃後」の空気をリアルに感じ、ちょっと恐ろしかった。"

                                                日中戦争下、出征する兵士への寄せ書きを古書店で見たのだが、女性たちのそれは華やかな少女画の模写で彩られ太宰の「女生徒」の如き口語体でまるでスポーツ大会の応援のような口ぶりでそのリアリティのなさや戦場に人を送るカジュアルさに「銃後」の空気をリアルに感じ、ちょっと恐ろしかった。

                                                  大塚英志未刊行小説「木島日記 うつろ舟」「北神伝綺」「北神伝綺 妹の力」発売中 on Twitter: "日中戦争下、出征する兵士への寄せ書きを古書店で見たのだが、女性たちのそれは華やかな少女画の模写で彩られ太宰の「女生徒」の如き口語体でまるでスポーツ大会の応援のような口ぶりでそのリアリティのなさや戦場に人を送るカジュアルさに「銃後」の空気をリアルに感じ、ちょっと恐ろしかった。"
                                                • 日中戦争 「野砲兵の日記」

                                                  日中戦争に従軍経験のある父が他界後、戦場で書かれた日記・随想が残されていました。 判読してみると、日中戦争が始まった当時の戦場のようすを伝える貴重な記録だったことが分かり、公開することにしました。 以下の内容は、令和3年2月22日に大阪狭山市の熟年大学でスピーチさせて頂いたときの原稿と配布資料を合体させたもので、 日記を拾い読みしながら、日中戦争が始まった頃の戦場のありさまをご紹介しています。 なお、日記の全体については上のメニューバーから「PDF資料集」をご覧ください。 ★★★ 各PDFファイルを大幅に加筆訂正しました(2022/12/28) ★★★ 朝鮮の兵営へ ゲストスピーカーを仰せつかりました髙田と申します。今日はよろしくお願い致します。 私は歴史については全くの素人でございますが、たまたま私の父が戦争に行っていた時に、戦場で書いていた日記が手元に残っていました。 昨年(令和2年)

                                                  • ウクライナの戦争と日中戦争は似ている? - そういちコラム

                                                    ロシアによるウクライナの侵攻は、日本がかつて中国で行った戦争に似ていると、最近思うようになりました。 つまり、満州事変(1931~1933)およびその後の日中戦争(1937~1945)の経緯は、今のウクライナの戦争と共通性があるのではないか。なお、満州事変は「日中戦争の前段階」といえるでしょう。 まず、侵略・侵攻を行った国の「世界での立ち位置」が似ています。戦前の日本も今のロシアも、世界で指折りの軍事大国でしたが、経済力・技術力は今ひとつ。 1930年頃の日本は、アメリカ・イギリスに次ぐ世界第3位の規模の海軍を持っていました。しかし、石油や鉄などの重要な資源の多くを、アメリカやイギリスの植民地に依存していた。技術や産業も、アメリカやイギリスにはとてもかなわなかった。 これは、今のロシアと似たところがあります(ただし、ロシアは資源大国だというちがいはあります)。 *** ウクライナ侵攻や、日

                                                      ウクライナの戦争と日中戦争は似ている? - そういちコラム
                                                    • 日中戦争とウクライナの戦争の類似・和平交渉のむずかしさについて - そういちコラム

                                                      先日(2022年9月15日)アップした当ブログの記事で、私は日中の戦争(満州事変も含めると1931~45)の経緯を簡単に紹介し、それが今のウクライナの戦争と似たところがある、ということを述べています。 要約するとこういうことです。 以下、侵略する国=日本、ロシア 侵略を受けた国=中国、ウクライナ。 ・どちらも、「軍事大国ではあるが、経済・産業は今ひとつ」という国が、自分たちの「ブロック(支配圏)」をつくろうと始めた。 ・最初は、侵略を受ける国の周辺的な地域(満州、クリミア)で侵略が始まり、その後数年を経て、中核地域あるいは国全体への侵攻へと拡大した。 ・そして、侵略側は相手を過小評価して「すぐに制圧できる」とふんでいたが、予想外の激しい抵抗にあい、戦争は泥沼化していった。 ・参戦はしていない覇権国側(アメリカなど)が侵略を受けた国を積極的に支援して、その支援が戦争の動向を大きく左右した。

                                                        日中戦争とウクライナの戦争の類似・和平交渉のむずかしさについて - そういちコラム
                                                      • 「台湾を国家として承認せよ」、ポンペオ発言は日中戦争への導火線

                                                        キヤノングローバル戦略研究所の瀬口清之研究主幹(以下、瀬口):「米国は、台湾を主権国家として承認すべきだ――」。トランプ米前政権で国務長官を務めたマイク・ポンペオ氏が台湾を訪れ、3月4日にこう発言しました。今日は、この出来事を取り上げます。 同氏は「米国は必要かつ、とっくに実行しておくべきだったことを直ちに行う必要がある。台湾を自由な主権国家として承認することだ」と発言したのです。 前回のコラムで、ロシアによるウクライナ侵攻が中国による台湾武力統一を促すことはないとお話ししました。理由は3つ。 (1)台湾の現状を維持しておいても中国にとって軍事リスクが高まることはない。台湾が本気で独立を宣言する可能性も当面は極めて小さい (2)中国共産党の党大会が今秋に予定されている。習近平(シー・ジンピン)国家主席にとって、この場で総書記3期目の続投を決めることが最優先。それまで無用のリスクは取らない

                                                          「台湾を国家として承認せよ」、ポンペオ発言は日中戦争への導火線
                                                        • 日本人が知らない「後期日中戦争」 | | 広中一成 | 毎日新聞「政治プレミア」

                                                          歩兵砲の照準器をのぞき込んで砲撃目標を定める日本陸軍の兵士=中国・広東省で1941年(昭和16年)9月、阿部徹雄撮影 太平洋で米国と戦争をしていたとき、中国戦線はどうなっていたか。「後期日中戦争」の著書がある、愛知学院大学准教授の広中一成さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 ◇ ◇ ◇ なぜ「後期」 ――なぜ「後期日中戦争」なのでしょう。 広中氏 8年間の日中戦争が半分を過ぎたころに、太平洋戦争が始まりました。 私自身、盧溝橋事件や南京事件のような日中戦争の前半部分については事細かく話すことができても、「太平洋戦争の時の日中戦争」について聞かれると、うまく説明できない経験をしました。 太平洋戦争中の中国戦線に触れた研究はあっても、日中戦争全体のなかで取り上げられることが多く、後半に焦点を当てたものは少ないのです。 ――抜け落ちています。 ◆アジア太平洋戦争の枠組みのなかでは、真珠湾攻撃後は

                                                            日本人が知らない「後期日中戦争」 | | 広中一成 | 毎日新聞「政治プレミア」
                                                          • 日中戦争理解の為の読書リスト(2022.10.11作成)

                                                            昼寝猫 @tcv2catnap 加藤陽子「天皇と軍隊の近代史」 リンク先あとがき読めるよ。これと「戦争の論理」「模索する1930年代」が加藤史学の金字塔三部作。 keisoshobo.co.jp/book/b481268.h… 2022-10-10 01:17:59

                                                              日中戦争理解の為の読書リスト(2022.10.11作成)
                                                            • 敗将が大出世、誰も責任を問わない旧日本軍の悪弊 知られざる日中戦争、「第二次長沙作戦」という悲惨な負け戦 | JBpress (ジェイビープレス)

                                                              真珠湾攻撃の裏で起きていた旧日本軍の悲惨な負け戦「第二次長沙(ちょうさ)作戦」を知っているだろうか? 盧溝橋事件(1937年7月7日)をきっかけに火蓋が切られた日中戦争。果てしない泥沼と化したこの戦争の全容は、対米戦の陰に隠れてしまい、あまり知られていない。中国近現代史・日中戦争史の専門家、広中一成氏(愛知大学非常勤講師)は、著書『後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』(角川新書)の中で、「アジア太平洋戦争全般を扱ったこれまでの日本の研究所や一般書の多くが、太平洋戦争に記述の大半を割くあまり、同時期の日中戦争を、十分に論じることなく終わっている」と述べる。 日本軍は中国でどのような作戦を展開していたのか。ここでは、真珠湾攻撃の裏で手痛い敗北を喫した作戦を取り上げよう。1941年12月から翌年1月にかけて行われた「第二次長沙作戦」である。 作戦を率いたのは、第11軍司令官、阿南惟幾(あなみ・

                                                                敗将が大出世、誰も責任を問わない旧日本軍の悪弊 知られざる日中戦争、「第二次長沙作戦」という悲惨な負け戦 | JBpress (ジェイビープレス)
                                                              • 𝟓,𝟎𝟎𝟎𝐦𝐀𝐡 on Twitter: "ネトウヨ批判したらネトウヨに「中立な学術書を複数読んで」と諭された。 沢山読んだ結果、 ・日本はアジアを解放した ・韓国は植民地ではなかった ・日中戦争は侵略じゃない ・南京虐殺は捏造 などネトウヨが主張する歴史観が全て主観… https://t.co/H0K39G8q5j"

                                                                ネトウヨ批判したらネトウヨに「中立な学術書を複数読んで」と諭された。 沢山読んだ結果、 ・日本はアジアを解放した ・韓国は植民地ではなかった ・日中戦争は侵略じゃない ・南京虐殺は捏造 などネトウヨが主張する歴史観が全て主観… https://t.co/H0K39G8q5j

                                                                  𝟓,𝟎𝟎𝟎𝐦𝐀𝐡 on Twitter: "ネトウヨ批判したらネトウヨに「中立な学術書を複数読んで」と諭された。 沢山読んだ結果、 ・日本はアジアを解放した ・韓国は植民地ではなかった ・日中戦争は侵略じゃない ・南京虐殺は捏造 などネトウヨが主張する歴史観が全て主観… https://t.co/H0K39G8q5j"
                                                                • 住友陽文 on Twitter: "驚いているが、そんなに多くの日本人が、ロシア軍による侵略に抵抗するウクライナの国民と、大日本帝国の臣民とをダブらせているのか。比定するとしたらロシア軍は中国侵略をした帝国日本軍ですよ。対英米戦争は記憶に残っていても、日中戦争を忘れているのかな。"

                                                                  驚いているが、そんなに多くの日本人が、ロシア軍による侵略に抵抗するウクライナの国民と、大日本帝国の臣民とをダブらせているのか。比定するとしたらロシア軍は中国侵略をした帝国日本軍ですよ。対英米戦争は記憶に残っていても、日中戦争を忘れているのかな。

                                                                    住友陽文 on Twitter: "驚いているが、そんなに多くの日本人が、ロシア軍による侵略に抵抗するウクライナの国民と、大日本帝国の臣民とをダブらせているのか。比定するとしたらロシア軍は中国侵略をした帝国日本軍ですよ。対英米戦争は記憶に残っていても、日中戦争を忘れているのかな。"
                                                                  • ゼレンスキー大統領演説に滲み出ていた日本への「本当の期待」 岸田政権はプーチンに「日中戦争の教訓」を説いて停戦を説得せよ | JBpress (ジェイビープレス)

                                                                    ウクライナのゼレンスキー大統領(提供:Ukrainian Presidential Press Office/AP/アフロ) (朝比奈 一郎:青山社中筆頭代表・CEO) 3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、日本の国会でオンライン演説を行いました。そこでゼレンスキー大統領は、日本がアジアで最初にロシアへ圧力をかけ、経済制裁に乗り出したことに謝意を示し、引き続きロシアへの制裁を維持してほしいと訴えました。また戦後のウクライナ復興への協力も要請しました。 欧米各国で行った演説に比べれば、かなりソフトな内容で、憲法上、武器供与などが出来ない日本の状況もよく理解したうえで練られた内容だったと感じました。原爆投下や東日本大震災という大災厄を経験した日本国民の感情に寄り添う表現も随所に散りばめられていて、概ね好意的に受け止められていたと思います。日本政府としては、少なくとも短期的には、ゼレンス

                                                                      ゼレンスキー大統領演説に滲み出ていた日本への「本当の期待」 岸田政権はプーチンに「日中戦争の教訓」を説いて停戦を説得せよ | JBpress (ジェイビープレス)
                                                                    • 東京・成城のほこらで見つかった身元不明の「頭蓋骨」、添えられた手紙には「日中戦争から帰ってきた人です」の文字が… - 弁護士ドットコムニュース

                                                                      弁護士ドットコム 民事・その他 東京・成城のほこらで見つかった身元不明の「頭蓋骨」、添えられた手紙には「日中戦争から帰ってきた人です」の文字が…

                                                                        東京・成城のほこらで見つかった身元不明の「頭蓋骨」、添えられた手紙には「日中戦争から帰ってきた人です」の文字が… - 弁護士ドットコムニュース
                                                                      • 游存(サークル『いすかんでやる』) on Twitter: "(在野ですが)サイレン研究の立場からも、「(日中戦争下の)加害の音」→「(日米戦争の)被害の音」の図式が全く共有されておらず、深刻な問題だと思います。日中戦争の近衛政権下で戦勝の音としてバンバン鳴らしまくっていたのが、日米戦争で「… https://t.co/TtfOHMc4oJ"

                                                                        (在野ですが)サイレン研究の立場からも、「(日中戦争下の)加害の音」→「(日米戦争の)被害の音」の図式が全く共有されておらず、深刻な問題だと思います。日中戦争の近衛政権下で戦勝の音としてバンバン鳴らしまくっていたのが、日米戦争で「… https://t.co/TtfOHMc4oJ

                                                                          游存(サークル『いすかんでやる』) on Twitter: "(在野ですが)サイレン研究の立場からも、「(日中戦争下の)加害の音」→「(日米戦争の)被害の音」の図式が全く共有されておらず、深刻な問題だと思います。日中戦争の近衛政権下で戦勝の音としてバンバン鳴らしまくっていたのが、日米戦争で「… https://t.co/TtfOHMc4oJ"
                                                                        • 【ゆっくり解説】対米開戦の戦犯「近衛文麿」!日中戦争勃発•泥沼化…対米開戦の責任を東條英機へ押し付け…戦犯指名後に服毒自○。彼の激動の生涯を振り返る【リメイクver.】

                                                                          ご視聴いただきありがとうございます。 今回は近衛文麿の激動の生涯(リメイクver.)を振り返っていきます。 ぜひゆっくりしていってね! 0:00 オープニング 1:08 近衛文麿の概要 3:21 近衛文麿の生涯の振り返り 37:19 エンディング ▼東條英機リメイク動画 https://youtu.be/X_P7sFkCBD0 ※リメイク作品 こちらの動画は以前(2020/10/26)解説した近衛文麿の【リメイク動画】になります。前回の動画よりも内容は濃く、面白い動画に仕上がっています。 『以前投稿した動画→https://youtu.be/qxLef_VjqOI』 ※参考文献と引用サイト ・川田稔 近衛文麿と日米開戦-内閣書記官長が残した「敗戦日本の内側」- ・林千勝 近衛文麿 野望と挫折 ・首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/) ・外務省

                                                                            【ゆっくり解説】対米開戦の戦犯「近衛文麿」!日中戦争勃発•泥沼化…対米開戦の責任を東條英機へ押し付け…戦犯指名後に服毒自○。彼の激動の生涯を振り返る【リメイクver.】
                                                                          • 【独自】秩父宮、軍紀の乱れ懸念…日中戦争初期の書簡見つかる

                                                                            【読売新聞】 昭和天皇の弟宮で陸軍軍人だった秩父宮雍仁(やすひと)親王が、日中戦争(1937~45年)初期に旧日本軍の戦略や軍紀の乱れを懸念した書簡が見つかった。秩父宮が日中戦争に否定的だったことは陸軍関係者の証言などで知られていた

                                                                              【独自】秩父宮、軍紀の乱れ懸念…日中戦争初期の書簡見つかる
                                                                            • 731部隊と日中戦争|manabe kaoru

                                                                              731部隊の「マルタ」が話題になっている。 日本軍の不法行為として731部隊の史実は戦争犯罪に関心を持つ人にとってはよく知られているが、一般の日本人はほとんど知らないので、基本的な知識を得ていただくために、『日中戦争全史』下巻(94~103頁)から抜粋する。 ノモンハン戦争と七三一部隊 関東軍は、ノモンハン戦争において初めて細菌兵器を使用した。本書第Ⅴ章の武漢攻略作戦における日本軍の毒ガス兵器使用のところで述べたように、細菌兵器の使用は国際条約で禁止されていたことはいうまでもない。 ノモンハン戦争における細菌兵器の使用 関東軍作戦参謀服部卓四郎中佐は、三九年八月初頭、ソ連軍の給水状況に着目、その給水地を攻撃して給水を断ち、後退させる作戦を検討したが、関東軍の自動車不足から実施を断念した。つぎに考えたのが、捕虜から得た、ソ連軍はハルハ河を主な給水源とし、しかも水をほとんど煮沸あるいは濾過しな

                                                                                731部隊と日中戦争|manabe kaoru
                                                                              • 布施祐仁/FuseYujin on Twitter: "今日、被爆者の証言で原爆投下前の話で時間切れになったのを初めて見た。90歳をこえるその女性は「広島は軍都として栄えて、日中戦争では宇品港から中国に大量の日本軍兵士を送り込んだ。原爆の被害の話も大事だが、加害への反省がなければ同じこ… https://t.co/uXU6JwrSDi"

                                                                                今日、被爆者の証言で原爆投下前の話で時間切れになったのを初めて見た。90歳をこえるその女性は「広島は軍都として栄えて、日中戦争では宇品港から中国に大量の日本軍兵士を送り込んだ。原爆の被害の話も大事だが、加害への反省がなければ同じこ… https://t.co/uXU6JwrSDi

                                                                                  布施祐仁/FuseYujin on Twitter: "今日、被爆者の証言で原爆投下前の話で時間切れになったのを初めて見た。90歳をこえるその女性は「広島は軍都として栄えて、日中戦争では宇品港から中国に大量の日本軍兵士を送り込んだ。原爆の被害の話も大事だが、加害への反省がなければ同じこ… https://t.co/uXU6JwrSDi"
                                                                                • アジア記者クラブ(APC) on Twitter: "日本の戦争番組は真珠湾攻撃に始まり、空襲の被害と原爆で終わる。1927年の山東出兵に始まる中国大陸での18年戦争が対米戦を招いた経緯は検証しない。日中戦争や南京虐殺事件を検証したNHK番組は見たことがない。今年9月18日の柳条湖事… https://t.co/ZZ5pCnUtN9"

                                                                                  日本の戦争番組は真珠湾攻撃に始まり、空襲の被害と原爆で終わる。1927年の山東出兵に始まる中国大陸での18年戦争が対米戦を招いた経緯は検証しない。日中戦争や南京虐殺事件を検証したNHK番組は見たことがない。今年9月18日の柳条湖事… https://t.co/ZZ5pCnUtN9

                                                                                    アジア記者クラブ(APC) on Twitter: "日本の戦争番組は真珠湾攻撃に始まり、空襲の被害と原爆で終わる。1927年の山東出兵に始まる中国大陸での18年戦争が対米戦を招いた経緯は検証しない。日中戦争や南京虐殺事件を検証したNHK番組は見たことがない。今年9月18日の柳条湖事… https://t.co/ZZ5pCnUtN9"

                                                                                  新着記事