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思想に関するquasimoto_sanのブックマーク (63)

  • 近代思想史の大家、99歳の悔恨 | 名大ウォッチ

    新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、 大学の今を自由な立場で綴っていきます。 名古屋大学東山キャンパスの南端、山手グリーンロード沿いに、木立に囲まれて大学らしからぬたたずまいを見せているのが名古屋大学ジェンダー・リサーチ・ライブラリである。昨年11月に開館した。その名の通り、ジェンダー関係の書物を集め、研究や交流の拠点となることをめざしている。目玉の一つは、女性史研究のパイオニアである水田珠枝・名古屋経済大学名誉教授の蔵書約7000冊を収める「水田珠枝文庫」である。多くの人に利用してもらいたいとの思いから寄贈されたものだが、他ならぬ水田さん自身がこのところ通って来ている。現在、新しいの原稿を執筆しており、そのための資料としてライブラリに収めたが必要になったという。 名古屋大学ジェンダー・リサーチ・ライブラリの1階にはカフェもあり、にぎわいを見せている。

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/06/20
    “「女性を抜きにした近代思想史は不完全」”
  • 天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート

    衆議院選挙を間近に控えて、自民党の憲法改正案が話題になっています。 その中で、自民党の参議院議員片山さつき氏の次の発言が特に問題になりました。 国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました! 片山さつき on Twitter これに対し、「天賦人権論の否定なんて言語道断だ」という反応がある一方で、「天賦人権論なんておかしい、片山議員は正しい」という反論も複数出てきました。Twitter上での議論は既にかなりの量に上っています。以下のリストは私の目に付いたTogetterによる議論まとめを列挙したものですが、全部を網羅できてはいません。 自民党が公式に国民の基的人権を否定し、さらに改憲案で日

    天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート
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    quasimoto_san 2018/06/19
    "「人権を守るために国家があるのであり、国家が人権を与えたのではない」"
  • 2018-02-11 - frrootsのtwitter補完メモ

    はじめに 先日、広辞苑の「フェミニズム」の項目が新しくなったというニュースがありました。以前は「女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し組み替えようとする思想・運動。女性解放思想。女権拡張論」という説明だったのが、最新の第7版では「女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動。女性解放思想。女権拡張論。」という説明になったそうです。「男性支配的な文明と社会を批判し組み替えようとする」が「性差別からの解放と両性の平等とを目指す」に変わっています。「平等」という文言が入ったのは、明日少女隊というグループの活動の成果であり、敬意を表したいと思います。 けれど個人的には、「平等」という言葉が入ることでフェミニズムのイメージが変わるかというと、必ずしもそんなことないのではないかという気もしていま

    2018-02-11 - frrootsのtwitter補完メモ
  • 市民にとっての「正義論」~野間易通さんの「だいたいの正義」論に示唆を得て

    的に自分用のメモ。在野の運動家の示唆を得て、在野法曹が呟いたもの。まさに「実践知」に基づくものですので、「学問」のレベルではありません(笑)。学者・研究者の方々からのご意見、訂正等は歓迎しますが、ネトウヨの「荒らし」には対応させて頂きます。

    市民にとっての「正義論」~野間易通さんの「だいたいの正義」論に示唆を得て
  • 権威主義 - Wikipedia

    権威主義(けんいしゅぎ、英語: Authoritarianism、ドイツ語: Autoritarismus)とは、権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする個人や社会組織の態度を指す[1]。政治学においては、権力を元首または政治組織(政党など)が独占して統治を行う政治思想や政治体制のことである。 全体主義よりも穏健な体制、あるいは非民主主義の総称として独裁政治、軍国主義含めた用語として使用されている。権威主義的な統治の下では、国や地域における政治権力が一人または複数の指導者に集中しており、その指導者は典型的には選挙されず、排他的で責任を負わない恣意的な権力を持つ[2][3]。 ただし、民意の支持を得たとして統治の正当性を誇示できる選挙を、全く実施しない権威主義国家は少数である。スウェーデンのV-Dem研究所による『デモクラシー・レポート2022』の分類では、複数

    権威主義 - Wikipedia
  • 権威主義(ケンイシュギ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    〘 名詞 〙 自分の主張を、何らかの権力、威光によって、真理であると断定する立場。また、権威に対して盲目的に服従する態度、および、それに伴う種々の思考様式、行動様式。[初出の実例]「封建的職人社会の家父長制的な権威主義のにおいが、東映の時代劇にはとくに濃厚に感じられる」(出典:裸の日人(1958)〈佐藤忠男〉III ) 権力が,時に強制力の行使をも予定することによって,自己の優越性を人々に承認させるのに対し,権威はみずから有する価値を社会の大部分の人に自発的に承認されることによって成り立つ。人々は権威者に自発的に信従するだけでなく,自己を対象に積極的に同一化することによって,自己に欠如していると思われる威信を獲得し,補うことができると錯覚することがある。そこでは,権威者の価値体系に疑惑をもったり,不同意であることは反逆とみなされ,大部分の人から冒瀆(ぼうとく)であり罪悪であるとされる。こ

    権威主義(ケンイシュギ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • リベラリズムとリバタリアニズムの進化形、ベーシック・インカムが可能にするハイパー競争社会

    稿執筆後、ベーシックインカム懐疑論者に転向した。詳しくは末尾へ] 自由人にとって政府とは一つの道具や手段にほかならず、何か施しをしてくれるやさしい庇護者でもなければ、敬い仕えねばならない主人 でもない。また国家の目標も、一人ひとりの目標の集合体としてしか認めない。 — ミルトン・フリードマン(『資主義と自由』) 私の政治思想では「セイフティネットや機会の平等を重視するリベラル的な側面」と「市場原理を重視しつつ結果としての経済格差も許容するリバタリアン的な側面」が併存しています。 これは奇妙に見えるかもしれません。というのも、一般的には、リベラリズムとリバタリアニズムは矛盾すると思われているからです。 しかし、リベラリズムとリバタリアニズムそれぞれの弱点を補う形で、「新しい政治思想」に昇華させることができるのだ、というのが私の主張です。それを可能にするカギは、ベーシック・インカム制度で

    リベラリズムとリバタリアニズムの進化形、ベーシック・インカムが可能にするハイパー競争社会
  • 差異のとらえかた: 相対主義と普遍主義

    一、はじめに あるものの見方が、特定の歴史的・社会的な状況によって産み落とされ、そうした状況のおかげで広く信奉者を獲得するということは、それほどめずらしい話ではない。そして状況の変化に応じて、その内実を変え、姿を大きく変えていくということも、またよくある話である。その挙げ句に、そのものの見方が、それを産みだし、あるいは変形した状況自体を構成する要素になっていくというのも、おおいにありうる話である。私がこれから論じようとする一つのものの見方--文化相対主義--も、そんなふうに状況と結び付きその構成部分となった経緯をもつものの見方の一つである。 文化相対主義とは、通常理解されているところによれば、人間は、それぞれが独自の価値を持った異なる文化に所属しており、一つの文化の価値や認識の基準を別の文化に単純に当てはめて理解することは出来ない、という考え方である。こうした考え方が、人間が--それぞれの

  • ISIS戦闘員のおはなし

    لا إله إلا الله @lsisbaha 我々に慈悲は必要ない, 我々はあなたを許さない Allahの裁きを受けるであろう, あなたの政府は馬鹿@kelog21 @muhammadTIMEZ 2015-01-25 03:32:37

    ISIS戦闘員のおはなし
  • https://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/chugan.htm

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2014/12/29
    「8. 中観派ーー空観」
  • 「差別」の定義を言えますか? -モスク建設反対は差別なのか- - 図書館学徒未満

    震災からモスク建設まで、最近身近な「これは差別なのかな?」という事例が増えてまいりました。 差別は絶対に許されず、あってはならないものです。これに反対する人はほとんどいないでしょう。私たちは小学校の頃から「差別教育」を受けており、いかなる差別も行わない、許容することがないようしつけられております。 それなのになぜ差別は減らないのでしょうか。「差別は許されないがこれは差別ではない」「いいやそれはれっきとした差別だ!」「差別なんてされた方が差別だと思えば差別なんだよ」などという言説の混乱が起きるのでしょうか。 おそらく、それは「差別とはなんなのか、どうなっていれば差別なのか」の、差別の定義が曖昧な所為で混乱を招いていると思われます。 稿では差別の定義を探り、具体例にそくして考察することで、多少なりとも差別をめぐる状況の整理ができないかを試みます。

    「差別」の定義を言えますか? -モスク建設反対は差別なのか- - 図書館学徒未満
  • 宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    (前編より続く) 日は反知性主義の時代に突入した。路上では排外主義的デモや人種差別が繰り広げられ、インターネットではネット右翼たちが跋扈している。政治家はこれを利用し、自らの都合のいいように歴史の修正をもくろむ。そして、これらに対抗する言論はまだまだ主導権を握ることができていない。なぜなのか。 社会学者・宮台真司は言う──連中に理屈を説いてもムダ、と。この愚昧さが筒抜けの社会をひも解く鍵は〈感情の劣化〉にあるという。感情のるつぼと化した政治、ネット、ヘイトの深層を〈大衆〉という観点から分析する宮台。インタビュー後編をお届けする。 ……………………………………………… ──近著『これが沖縄の生きる道』で、内地と沖縄における〈我々〉意識の違いを論じていますね。そのなかで“感情”という概念を頻繁に用いつつ、ネット右翼たちへの言及もあります。とりわけ宮台さんが問題にする〈感情の劣化〉ついて詳しく

    宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?

    タイトルに「教科書」と謳われているものの、いわゆる教科書のような体裁はしていない。むしろ「音楽」というものを考え直すことを目的としたである。ここで「音楽」と呼ばれているものは「西洋近代音楽」のことだ。 「考え直す」といっても、著者の中には確固とした結論があらかじめ用意されている。いちおう音楽教育を問うた体のではあるので、音楽教育に対する見解としてもそれは披露される。著者は要するにこういいたいようである。 「音楽教育なんか全部無駄、むしろ害悪だからやめてしまえ」 もう少しひもといてみよう。結論にあたる第8章は、モーツァルトを例に早期音楽教育を論じた部分だ。 いうまでもなくモーツァルトは至上の天才として音楽史に刻まれており、早期教育の成果は申し分なく発揮されている。だが、親の想定を超えて「モンスター化」し、親と故郷を捨てて、非常に低い収入で暮らすうちに若くして死んでしまった。 そんなエピソ

    『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?
  • 自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について - 中東・イスラーム学の風姿花伝

    匿名でコメントをする非礼を、どうかお許しください。 中田氏は、「イスラム国」を自称する組織が使っている旗の前で、銃を持っている写真が、インターネットで回覧されております。 http://blog.livedoor.jp/eleking0620-urausagijima/archives/14485144.html わたしは学がないので、「イスラム法学者」という人が何をするのかを、正確には知りません。しかし、「法学者」が、このような行動を取るということは、どうなのでしょうか。私は先生のブログの一読者に過ぎませんが、お時間がおありのときのブログ投稿で、池内先生のお考えをお伺いする機会をいただければ幸甚です。 先生のブログからは、いつも大変多くを学ばせていただいております。知識の流布を、ありがとうございます。知識を得ることを妨げないことが、社会のために、若い世代のために、必要なことだと信じており

    自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について - 中東・イスラーム学の風姿花伝
  • ゲーム理論による制度分析と「予想」/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    この連載は毎回、原則として毎月最終週ぐらいに掲載していただいているのですが、今回は十日以上遅れました。楽しみにしてくださっている読者のみなさんには、大変もうしわけありませんでした。 もともと、やむを得ざる私事のために、今月三月分は恐縮ながら休載させていただく予定でしたので、今回は、二月・三月分の合併ということでご理解下さい。そのため、若干長めの分量になりましたが、悪しからずご了解下さい。 *  *  * さて前回は、経済学の学問分野で言うと「マクロ経済学」と呼ばれる分野で1980年代に広まった、「反ケインズ革命」等と呼ばれる学説史上の大転換について見ました。それが経済学の発展に貢献したコアは何だったか──「予想は大事!」という見方だった。それを、「反ケインズ革命」の旗手として有名なフリードマンやルーカスさんの議論を検討する中から確認しました。 そうするとわかったことは、一般にはこの二人はと

    ゲーム理論による制度分析と「予想」/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #フリードマン#合理的期待形成 さてこの連載では、国家が経済のことにいろいろ管理介入する1970年代までの体制が、80年代以降世界中で崩れている転換を、「転換X」と呼び、その正体は何だったのかを探っています。 それは「小さな政府」への転換だ──こう言って、企業が利潤をもとめて活動するのを自由にして、みんな競争させようという「新自由主義」や、それをマイルドにした「ブレア=クリントン=日民主党路線」が80年代以降今日に至るまでとられてきました。しかしそれは誤解だったというのが、この連載で言いたいことです。 そこで、70年代までのやり方が行き詰まった原因がどこにあって、それを解決するためにはどうしなければならないのか──それを、この転換を提唱した経済学者たちの言っ

    反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • 「小さな政府」という誤解/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS

    この連載では、これまでの三十年ほど、世界中でみんなが「大きな誤解」をしてきたという話をします。 「誤解」というのは何かと言うと、「小さな政府」というスローガンのことです。こないだ亡くなったイギリスのサッチャーさんから始まって、小泉さんとかブッシュさんとか、このかんずっと、世界中でいろんな政権が追求してきましたよね。 最初はいま名前をあげた人たちなんかが、大きな企業が自由におカネもうけできるようにしよう、もっと競争を激しくしようということで、「小さな政府」の路線を進めました。「新自由主義」政策と呼ばれています。 これが、格差だとか貧困だとか、地域の人々の絆の崩壊だとか、金融危機だとかをもたらしたというわけで、今度は、イギリスのブレア政権とか、アメリカのクリントン政権だとかが、もう少しマイルドにした路線をとりました。新自由主義でも、これまでの福祉国家でもない、「第三の道」だとかと自称していたも

    「小さな政府」という誤解/松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 - SYNODOS
  • bigakukenkyujo.jp

  • ブルーノ・ラトゥール - Wikipedia

    ブルーノ・ラトゥール (Bruno Latour、1947年6月22日 - 2022年10月9日) は、フランスの哲学者・人類学者・社会学者。専門は、科学社会学、科学人類学。アクターネットワーク理論(Actor–network-theory、ANT)に代表される独自の科学社会学の構想によって知られる。パリ国立高等鉱業学校での教授経験を経て、2006年からパリ政治学院教授。翌2007年から同学院の副学長を務める。なお、ブルーノという表記は英語圏でのBrunoの発音に忠実なものだが、フランス語での発音に忠実な日語表記はブリュノ・ラトゥールである。 人物[編集] 1947年、フランス・コート=ドール県のボーヌに生まれる。ミシェル・セールの影響を受けて哲学のアグレジェとなった後、人類学に興味をもち、コートジボワールでフィールドワークを行う。その後、民族誌的記述を応用して実験室内の科学者について記

    ブルーノ・ラトゥール - Wikipedia
  • 高橋悠治 vs 茂木健一郎  対談記録

    平田星司さんに教えられてICCのサイトに出ている高橋悠治と茂木健一郎の対談を聞いた。7年前に行われた対談だが非常に面白かった。 http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20051217 2005年12月に行われた、当時の売れっ子脳科学者、茂木健一郎が高橋悠治に言い負かされている(かのように見える)という興味深い対談である。 すれ違いのように見える対談だが、しかし高橋、茂木の両者とも非常に興味深いことを述べていて、内容を良く聞くと非常に面白い。 対談を途中まで文字にしている人がいた。http://d.hatena.ne.jp/manuka/20051224/p1 文字で追うと動画で話しを聴くよりも内容が頭に入ってくる。私はその人の文にさらに加筆し、ところどころコメントを付け加えた。 8年前の対談であるので、茂木・高橋とも何をいまさらという感